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二十時三十分のいまむかし

 パソコン入力の得意なヘルパーさんの泊まりのとき、夕食を早めに済ませスタンバイをする。
 そんな日にかぎって、どうもエンジンがかからない。洗い物が終わって、ヘルパーさんも手持ち無沙汰にしていたり、「書くわ」のひと言にそなえてパソコンを置くテーブル代わりの衣装ケースを定位置に出して待ち構えていたりする。

 今夜も十九時三十分あたりから、ヘルパーさんは洗い物を済ませるだけではなく、洗濯物の乾き具合をチェックしていた。
 ぼくはといえば、ぼんやりとラジオを聴くばかりだった。

 ついさっき、気づいたことがある。
その日のリズムに関係なく、ぼくの脳が働きはじめるのは二十時三十分前後だ。
 気づいたことにうれしくなって、今日のネタは予定変更。

 ぼくの記憶のはじまりのころ、二十時三十分といえば大ファンだった読売ジャイアンツには「八時半の男」と呼ばれた宮田投手がいた。試合の終盤でリードした展開になると、彼がマウンドへ上がり「落ちる球」を駆使して、チームを勝利へ導いた。
 九連覇時代だったので、当然、勝つ試合が多かったはずだ。
それでも、鮮明に憶えている情景は、ジャイアンツが負けるたびに大泣きしているぼく自身だ。毎晩のように泣きじゃくっていた気がする。

 八歳から暮らした施設では、二十時三十分には就寝準備を終えて、家族が買ってくれたトランジスタラジオに耳を傾ける毎日だった。
 ベッドを窓ぎわへ替えてもらって、電波状態がクリアになる二十時ぐらいから北海道や福岡といった写真でしか見ることのできない地域の番組に、胸をワクワクさせていた。中国や朝鮮半島の放送局が割りこんできたり、雨の日は雑音が激しかったり、それをかき分けるような気持ちで聴いていた。
 いまはラジコで、北から南までどの放送局もクリアそのものだ。
でも、たまにあの雑音だらけのラジオをもどかしく見つめているぼくを思い出す。

 十五歳から入学した養護学校の寄宿舎では、二十時三十分ごろといえば何をしていただろうか。ぼくは受験とは無関係だったけれど、気がむけば予習をしたり、友だちとお茶を飲みながらだべったりしていただろうか。
 そういえば、好きなうたをカセットテープに録音してもらって、自分の部屋(六人部屋)で楽しんでいた。イヤホンがよくハズレたっけ。
 幼いころから親しんでいたAMラジオは、山の中だから地元の放送局とラジオ第一と第二しか入らなかった。

 卒業後すぐに生活した施設では、ベッドが危険だということで、幸運なことに畳のひとり部屋だった。
 夕食は十七時三十分には終わっていて、一時間も経てば着替えも済んで、あとはテレビ番をするばかりだった。
 二十時三十分といえば、オレたちひょうきん族や風雲たけし城を一番に思い出してしまう。元気が出るテレビもあったなぁ。
 時間は前後するけれど、ひとりだったので深夜番組をよく観ていた。
 新聞のテレビ欄をくまなくチェックしていると、たまに地味なフランス映画をしていた。風景の美しい平坦なストーリーの作品が好みだった。

 転居した施設では、二十時三十分というと、自治会の書類づくりに追われる日が多かった。指先だけはすこし自由がきいたので、手首まで固定してワープロと格闘していた。
 もちろん、ヒマな夜はテレビを観たり、同じ部屋の人たちと話しこんだりしていた。
 二十代後半~三十代前半のこの時期、ほんとうにいろいろあった。
いろいろな喜怒哀楽の二十時三十分を過ごした。

 ひとり暮らしをはじめてからの二十時三十分も、とてもまとめきれない。
ボランティアさんとの待ちあわせ時間まで、ひとりでネオン街を行くあてもなく歩く日もあった。どしゃ降りのなか、車いすに固定している腕ベルトがハズレて、人通りのない路地で立ち往生したこともあった。奇跡的に車と出遭って、助けられた。
 ケータイ電話を持つことがイヤで、ぼくのような生活スタイルをしている障害者では、購入が遅いほうではなかったのではないだろうか。
 最後には、待ちあわせ時間に大幅に遅刻しても、「らしいなぁ」と、あきらめというか、納得というか、連絡がつかないことがあたりまえにしてもらえた。
 そんなぼくも、ケータイ電話を持つようになって二十年近くになった。
 たまに、電源を切っていてヘルパーさんを心配させることもあったけれど。
 食通のヘルパーさんと、どれぐらいおいしい店を食べ歩いただろうか。ほとんどがなにもリサーチせず、「この店がぼくを呼んでいる」などと言いながら、行き当たりばったりに入っていった。
 入店拒否もあった。でも、なぜか店の人によろこばれることもあった。お客さんも迷惑がる人は少なかった。

 一年半近く前から引きこもるようになって、ずっと二十時三十分にはヘルパーさんがそばにいる。
腰痛をはじめとした体調も回復して、一日中とはいかなくても三~四時間は車いすに乗り続けられるようになりそうだ。
 ただ、ヘルパーさんのシフトの関係や寝る前のマッサージといった「やらなければならない」ことが増えて、二十時三十分にひとりで出歩くことはできなくなるだろう。

 そのせいだろうか、幼いころからの二十時三十分をふり返ると、しんどかった記憶が消去されている。「いいことばかり」を書くつもりはなかった。
 ぼくの脳ミソは、こんなに都合よくできているのだろうか。
素直に、首を傾げたくなった。

 最初に「夜」か「午後」をつけて書きはじめれば、読む人にはすぐに理解できることなのに、八時三十分ではなく、二十時三十分で通してしまった。
 どうしても、普段のおつき合いがヘルパーさんにかたよっていて、不規則な時間の仕事柄、日常的に二十四時間単位で会話することが普通になってきた。
 それでも、ぼくは十七時とか二十時とか言われると、ふと「何時のことだっけ?」と、うまく会話に乗れなくなるときがある。
 今夜も違和感を持ちながら、最後までやってきてしまった。
そういえば、ラジオの番宣で「日曜二十六時」などと言っているのを聴くことがある。「月曜午前二時」とどちらが頭に入りやすいのだろうか。

 ただいま、午前零時二十八分。
これでカーソルを止める。

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