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丸かじりと根気

 最初に書いておく。これを読んだからといって、何も元気は出ないだろう。その代わりに、ため息が出るかもしれない。

 昨日、とうとうぼくの根気が尽きてしまった。しかも、「食」に対してもっとも通じあったヘルパーのHくんが介助してくれている夕食で、ついに根気が尽きてしまった。

 鶏の手羽元のつけ焼きは、揚げ出し豆腐とシシトウの甘辛煮につづいて、わが家では定番の一品に違いない。

 握りずしを箸で介助されたり、漬け物をガバッと口へ放りこまれたり、そういったことと同じように、骨から肉をはずされた状態でお皿に盛られて出てくると、ぼくは怒りを全身でもっとも自由がきく右手先に拳をつくり、残念すぎる気持ちと言葉を心に押し戻してきた。

 特に、丸かじりについては手羽元のつけ焼きだけではなく、焼きとうもろこし、鮎の塩焼き、串カツ、etc…、とこだわりたいメニューが並びつづけてきた。

 後悔とそこから脱しようとする気持ちがこんがらがって、大事なことを書かないで暴走しようとしていた。

 ぼくは十五歳で車椅子から落ちて、トイレのタイルと衝突して、上の前歯を失ってしまう。
 腕利きの若い歯科医と出逢い、上あごに埋もれた五本を摘出するだけでなく、三十年以上おつき合いすることになる入れ歯をつくっていただく。
 この間、ぼくに怖いものはなかった。

 ところが、ある宴席でほろ酔いのぼくは、焼いたスルメをかじった瞬間、ずっと連れ添ってきた入れ歯が割れてしまったのだった。
 わりときれいに割れたので、簡単に治ると思ったら、とんでもない現実が待っていた。
 年数が経って、材質が弱くなっていたのだろう。おかきのような硬いものは大丈夫でも、スルメみたいに弾力のあるものには、めっきりともろくなってしまった。
 その後、何度かあちらこちらの名医と呼ばれるところにお世話になったけれど、すぐに違和感が起きたり、食事が美味しく味わえなくなったりで、ついに入れ歯をあきらめてしまった。
 三年前のことだった。

 以後、開き直って「丸かじり」を押し通してきた。
 去年、久しぶりに、どうしても焼きとうもろこしが食べたくなった。
体が震えるほど、食べたくなってしまった。

 縦の長さを調整して、横向きに口の中へガバッと突っ込んで、実を奥歯ではずす方法などを試してみたが、上手くいかなかった。
 昔ながらに、上の前歯の代わりに上あごを使って挑戦してみたこともあった。とうもろこしと残った歯の間にほっぺたや唇がはさまって、血だらけになったこともあった。
 それでも、ぼくは満足していた。
どんな痛い目に遭ったとしても、スプーンの上に乗せられたとうもろこしを食べたくはなかった。

 ところが、昨日、ごはんの準備段階で骨から肉をはずすことをお願いしていた。
 無精ヒゲが伸びていて、つけ焼きのタレが口のまわりにつくのが鬱陶しかった。
 以前なら、口のまわりのタレを舐めまわすのが至福の時間だった。
最近、すこし舌が思うように動かなくなり、ヒゲが伸びると届く範囲が限られるようになってしまった。

 正直、日常をおもしろがる余裕がもてなくなっているのかもしれない。
 ただ、感覚的にいえば、無精ヒゲの存在は意外に幅をきかせているかもしれない。舐めるのには、かなりかき分けなければならないからだ。

 意識が失われるその一瞬まで、日常のアレコレを貪欲におもしろがっていたいと思う。

 今日、お昼の介助だったKくんに、ネット環境の整備を急ぐようにお願いした。
 おもしろさの維持の工夫を、大好きなヘルパーさんたちと相談していきたい。

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