だんだん暗くなる
「ぼくを探す旅4」を書こうとして、4に目が行ってしまった。縁起が悪い数字だ。
この間は、noteのどのカテゴリーも、見事に九本目でそろいそうになった。
「九かぁ、縁起が悪いなぁ…」などと、必死でつぎのネタ卸をがんばった。
そういえば、欧米では十三が不吉な数らしい。
よく読めない地名シリーズに登場する「十三(じゅうそう)」は、阪急電車の乗り換え駅の代名詞に近い存在だ。
以前、住んでいた文化住宅は、阪急の三つの駅の中間にあり、通っていた作業所もなぜか同じような図式の中にあった。
さらに、面倒くさいことに乗り換えが必要で、それが十三駅だった。
電動車いすの場合、車両への乗降にはスロープが欠かせない。
昔は、数日前に駅への連絡が必須だった。ぼくがひとり暮らしをはじめた二十五年前には、少なくとも阪急は乗車駅で声をかければ、駅員が下車駅への取り次ぎもふくめて対応するようになっていた。
冬は、トイレが近くなる。十三駅ではいろいろな駅員さんに介助をお願いした。ほとんどの人に気持ちよく対応していただき、ずいぶん親しくなったケースもあり、知らないうちに異動や退職されていたこともよくあった。
とくに、Hさんとはいつも漫才のようなカケアイを繰りひろげた。
「Hさんはこの駅の名物やなぁ」と切りだすと、
「オレはまんじゅうか、せんべいか、それとも干物か!」と、気の利いた返しが飛んでくる。
「ワインみたいに熟成されてるやん」と変化球を投げれば、
「ということは、オレをじいさん扱いするんか」と、見事に打ち返される。
こんなやりとりをしていると、下車駅に連絡をした各駅停車がホームに入る。
電車に乗ると、ぼくの「ありがとう」と、
Hさんの「ほな、またな」が交差してドアが閉まる。
何年間か、そんな毎日がつづいた。
そういえば、Hさんの言葉に感動したことがあった。
知りあって間もないころだった。
「おたく、毎日うちの電車使ってもらって、どこに行かはるんです?」と、訊ねられた。
ぼくは、障害者の作業所であることと、仕事の内容を答えた。
その日は、すぐに電車が到着した。
翌日も、Hさんに乗車を手伝っていただいた。
いつものように、スロープをさげてそばへやって来ると、思わぬ言葉をかけられた。
「おたく、作業所って言うてはりましたやろ、どこも運営が厳しいようですなぁ」
同情などではなく、本当に気遣っておられる風だった。
「えらい詳しいですねぇ」と言うと、
「ちょっと気になったさかい、図書館へ行って調べましたんやわ」とのこと。こうもつけ加えられた。
「ぼくはね、安全に乗ってもらうだけやなくて、ご縁を大事にしたいんです」
その後、三年ほどおつき合いがつづき、冗談を言いあえる間柄にさせていただいた。
この間、ベテランヘルパーさんと若い人たちの傾向について、盛り上がった。
いまの若い人たちの就職の基準のメインは、確実に自分の時間をつくれるかどうか、ということらしい。向き不向きややり甲斐は、二の次だそうだ。
ゲームに熱中している若者に眉をひそめていたら、友人が、
「むかし、小説や映画や音楽や外界から学んだことを、いまの人たちはけっこうゲームから吸収してるんですよ」と教えてくれた。
確かに、まわりの若いヘルパーさんも同様の話をしていた。
仕事プラスαが問われなくなってゆくことと、ゲームに熱中している若者の意識がオーバーラップする。
情報は手に入れやすくなったのに、つながりは希薄になってしまうのだろうか。
障害者にかぎらず、社会から生きにくさを持つ人はいなくならないだろう。
生きにくさを助長する関係性も、残りつづけるだろう。
目の前の課題に直面すると、いつも、まず自分の足元から、などと思う。
本当に、それしかないのだろうか。まわりの一人ひとりをイメージすると、八方塞がりになりそうだ。
きっと、ぼくは逝ってしまうまで、喘ぎつづけるだろう。
これがぼくだと割りきると、気持ちはラクになる。
そう、この憂鬱も二~三日は気心しれたヘルパーさんがやって来ないことに原因があるようだ。
日曜日の朝まで粘れば、ツーと言えばカーの人たちがしばらくつづくはずだ。
それだけのこと。
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