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面倒くさい「積み残し」

 地味な話を書く。だれも見向きもしてくれないかもしれない。
 ぼくは、すぐに「積み残し」をしてしまう。
 ものすごく短時間ですむことでも、ズルズルと手をつけないままで、記憶が定かではなくなり、慌てて助けを頼んだり、確認をしなければならなくなったりする。

 今日もこの文章を書きながら、二つの「積み残し」が気になっている。
 
 一つは、ガラケーの充電器の場所替え。
 もともとは、デジカメ用のポーチへガラケー本体といっしょに入れて、車いすの背もたれに吊り下げていた。
 ぼくは根っからの面倒くさがりだから、多少の非常時になってもいいように、たいがいのものは持ち歩いている。
 一月ほど前、車いすを修理へ出すときに、背もたれのポーチ類は一つ残らず外した。
 日常生活の必需品は自分で確認するために、壁のフックへかけてもらった。そのほか、卓上用の食塩や七味といった外食グッズ、障害者手帳、携帯ラジオなどは、それぞれのポーチに入れたままクローゼットの旅行カバンへ仕舞った。
 ちなみに、ぼくは背もたれにかけられた数々のポーチの中身が簡単にわかってもらえるように、色で区別している。調味料のポーチはピンクとか、薬のポーチは緑というように。
 人によっては、右から二番目が○○とか、左から三番目が××という方法をとっている。たしかにつき添う人にすれば、とてもわかりやすいだろう。
 でも、そういう人の記憶力には、真剣に驚いてしまう。なにか、コツが、あるのだろうか。 
 ただ、色で区別する作戦には弱点がある。ぼくのように七つも、八つも分けていると、大手電気店へ行っても、同系色しか揃っていない場合が多い。薄いピンクとか、濃いピンクとかになると、これはこれでサポートする側も混乱してしまう。
 
 大変な状況になってきた。「積み残し」をお題に書きはじめたけれど、ポーチの話が止まらない。ここで強引に治めにかかると中途半端だから、突っ走ることにする。

 以前、一般的なサイズのリュックサックにまとめていた時期があった。
 けれど、仕舞うときにつき添う人の聴く力と丁寧さがなければ、いくらポケットなどで区分けできても、限られたスペースの中でモノがぐちゃぐちゃになったり、埋もれたり、挟まったりして、よけいにややこしくなった。
 そこで、小分けする方法になった。
 同じカテゴリーの重要なモノは、あえて別々のポーチへ分けている。
 
 文章だけではわかりにくいと思います。アイコンのキャラクターは、ぼくの後ろ姿です。こんな感じです。

 突然、OLさんの商品説明みたいな文章になってしまった。
ちなみに、入力するヘルパーさんに伝える声のトーンが一オクターブほど上がった。すこし恥ずかしい。
 
 いろいろな個性のヘルパーさんとおつき合いしながら、最大公約数のような方法を導きだすのは難しい。

 ようやく、ガラケーの充電器の場所替えに話はもどる。
 車いすを修理に出している間、ぼくはガラケーをベッドの枕もとに置き、いつでも対応できるようにしていた。
 本体とワンセットにして入れていた充電器は、普段からマスク用にしている小さめのカバンに主と同居してもらっていた。
 けれど、主とのマッチングが不自然に思えてきた。
 
 充電器を入れるポーチなら、いくつかクローゼットに眠っている。
 せま~い部屋だから、何の手間もなしにポーチを探すことができる。
 なのに、ズンズンと後回しになっていく。
 
 差し込みプラグにコードがついているだけなので、重要度が高いわりに紛失しやすい。第一、生産しているかもわからないし、在庫がなければアウトになる。この際、スマホデビューも「有り」かもしれない。
 でも、わざわざ、紛失しやすくするのも「いかがなもの」だろうか。

 今夜、この投稿を機に、クローゼットの扉を開くことにしよう。

 もうひとつは、リハビリの先生の訪問予定を手帳へ記入することだ。
 去年から引きこもりがちになったぼくは、「この人、柔道してたやろうなぁ」という雰囲気をムンムンと漂わせる先生のマッサージで、ぼく自身が目標にしていたレベルまで体力を回復させることができていた。
 ところが、間が悪いことに車いすを修理に出していたら、一月ほどで座ると激痛が走る世界へ後戻りしてしまった。

 ということで、来月からリハビリが再スタートする。
 このところ、イヤになるほど自分の記憶がアテにならなくなった。ヘルパーさん用のホワイトボードへの記入と、ぼくが確認できるように手帳を活用することが欠かせなくなった。

 それでは、なぜ手帳に書くだけのことが面倒くさいのか。
 理由ははっきりしている。
 週に一回のペースで、第三のみが水曜日で、あとは金曜日だからだ。
 子どものころから、カレンダーは見慣れている。
 来月の場合、最初の週の金曜日が四日だとすると、瞬間的に十一日、十八日、二十五日がそれだと、脳が判断する。そして、第三だけが水曜日なので、十六日ということになる。

 自信があっても、念には念を入れた方がいいのだろうか。
 年寄りならではの考えどころだ。

 本質的に、きっちりするのは面倒くさい。本当に面倒くさい。

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