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くすんだ緑の野球帽

 すこし顔を左へむけると、ぼくの視野の中へくすんだ緑の野球帽が独特な存在感を漂わせながら飛びこんでくる。
 室内干しの竿の先に無造作に引っかけられていて、ほかの洗濯物に追いやられたり、なにかの衝撃で気がつかないうちに床へ落ちたりしていることもよくある。
 ぼくは体が左へねじれているので、野球帽が視界から消えていると、すぐに最大限の違和感を覚えてしまう。もちろん、その原因も瞬時に判断がつく。ときどき、かばんやワゴンの隙間にはさまったり、もぐりこんだりして見あたらないと、こんなに些細な日常の一コマが一大事のように思える。

 一九八八年、南海ホークスは大阪を離れ、九州の地で福岡ダイエーホークスとして再出発することになる。
 ぼくは忍者の里で有名な甲賀の山間の施設で暮らしていて、古くからのホークスファンだった営繕のNさんにお願いして、大阪球場での最終試合の写真をおさめてきてもらった。Nさんから、ホークスの帽子とファンだった井上投手の下敷きもプレゼントしてもらった。

 いまも押入れの奥には、あの試合の何枚かの写真と下敷きがアルバムに挟んであって、何かの整理のときにはかならず釘づけになってしまう。
 帽子はといえば、大阪へきて何年かたった大晦日に蕎麦屋で置き忘れてしまい、二週間ほどして店を訪ねた午後には、行方知れずになっていた。

 ぼくが施設を出て大阪でひとり暮らしをはじめたころ、なかなかすごいシーンに出逢ったことがあった。
 電動車いすで、人混みをかきわけながら、下町の商店街を歩いていた。
その中にひときわ目立つガングロの女の子たちが、真正面からぼくのほうへ向かってきた。

 一団のセンターには、見上げるほど長身で、金髪で、堂々と太ももを出して大股に歩く一人がいた。
 視線のやり場に迷いながら、それでも人通りははげしかったので、顔を上げざるをえないことに戸惑いつつ、彼女たちとの距離は近づいていく。
 もうすこし詳しく書けば、個人的に女性の太ももには惹かれるものがある。まだ三十代の後半だったので、理性との闘いにも立ちむかわなければならなかった。

 ちょっとしたパニック状態のぼくに、思いもよらない言葉がセンターの彼女から放たれた。
「アッ、南海ホークスや!かわいい!」
ぼくをゆびさしながら、はっきりと言った。
 南海ホークスが大阪を離れて、十年たったころだった。

 ずいぶん生きてきたけれど、あれほど意表をつかれた瞬間はなかったし、これからも出遭うことはないかもしれない。

 いま、ぼくの目の前にかけられている南海ホークスの帽子は、ソフトバンクが大阪ドームでの公式戦のとき、ひとシーズンに一度だけ復刻版の南海のユニフォームで試合をする。きっと、試合前後に難波をうろつけばと期待して、予想通り見つけたものだ。
 新品は鮮やかな緑で、ぼくにはしっくりこなかった。わざと雨の日をえらんでかぶったり、枕の下にして眠ったり、色と形を渋くさせた。

 今日も、くすんだ緑の野球帽が竿の先にかけられている。
相変わらず、無造作にかけられている。
 いくつかの帽子はクローゼットに仕舞われていて、季節ごとに出番を待っている。

 いつの間にか、ぼくは彼を「相帽」にしてしまったのかもしれない。

 ぼくは、大阪を離れる前の最下位争いをしている南海が好きだった。
 偏見なのかもしれなかった。選手の想いは、違っていたのかもしれない。
 でも、チームプレイを嘲笑うように、思いっきりバットを振りまわして三振したり、一見やる気のないようなエラーをしたり、マイナスとしか評価されないだろう部分が心のヒダに沁みてしまった。

 もう南海ホークスに惹かれはじめたころには、他人の視線を気にする弱さを受け容れようとしていた。
 ぼくにとって、奔放さと人間くささをごちゃ混ぜにして展開する南海ホークスは、どうしても自分が届かない生き方だったのかもしれない。

 ずっと前から活躍している柳田や山川やコテコテの大阪の雰囲気を漂わせる中田翔が関西では、バリバリのメジャーなプレイヤーではないことが残念だ。
 けれど、タイガースに佐藤が入ったことで、勝つことだけではないプロ野球の力と出逢う人が増えてほしいと思う。

 いま、クサイ行動をしてしまった。
 最後の一行を書こうとして、竿の先のホークスの帽子に目をやってしまった。床に落ちることなく、いつも通り無造作にかけられていた
 最後の最後に、この帽子にまつわる不思議をひとつ。
それほど被らないのに、なぜか、いつも湿っている。仕舞われているわけでもないのに、いつも湿っている。持ち主に似てしまったのかもしれない。


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