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ウインナーフライ

 先日、ぼくと同じようにヘルパーさんをつけながら暮らしている友人が、ほんのひとときをわが家に立ち寄ってくれた。
 手土産は、紙袋に入ったコロッケとウインナーフライだった。
 彼の話によると、店をはじめて七十年になるらしい。
 ときどき、前を通るけれど、年配のご夫婦がおふたりで営んでおられる。
下町では、定番の肉を売りながら、店先でコロッケなどを揚げている。
七十年つづいているということは、あのご夫婦は何代目なのだろうか。
 友人は、昔から食べていた別の店の値段はあがり、味は落ちたので買わなくなったと言っていた。

 このご時世だから、共通の話題の松竹系の芸人の話題やなつかしい戦隊物で盛りあがるひまもなく、早めに帰っていった。
 すこしして、昼ごはんになった。彼に会ったことのある人は、反射的に成人病を気遣うだけあって、なかなかの体格をしている。もちろん、唐揚げやコロッケは好物中の好物らしい。
その彼がおススメするだけあって、特にウインナーフライは格別を通りこして、中毒になりそうな旨さだった。
 ラードを使っているのだろうか。ころもがカラっと揚がっているのに、深いコクを感じたし、ウインナーも肉々しかった。

 久々に、体に悪そうなものを食べた。
 といっても、ぼくにとっては適度な揚げ物は必要になりつつあるようだ。
 昨日、古武術に長けたヘルパーさんがぼくを抱えた瞬間、おたがいに顔を見合わせた。これまでなら四苦八苦していたのに、なんの滞るところもなく、車いすからベッドへ移乗できてしまった。
 介護する側がゆとりを持てるとき、介護される側は不要な力を加えられずに、相手の懐に身を委ねることができる。
 ラクだった。重みを自分自身にまったく感じなかった。
 コロナ禍で在宅中心になり、車いすに乗らないことで、腹筋や背筋や全身の筋肉が落ちてしまったようだ。

 唐突に、話は変わる。
 いまから十五年ほど前、中津のエスニック喫茶へ週に二~三回は通ったことがあった。
 難波へ遊びに行った帰り、ヘルパーのBくんとぼくはしょぼ降る雨に、夕食場所を探していた。ちいさな工場と住宅街が混ざりあったところに、シャレたカフェらしい店を見つけ、とりあえず入ることにする。
 その後、ぼくはあれだけ通ったのに、店の内装をよく憶えていない。
ヘルパーさんを連れて行ったのは、あれからほんの数えるほどで、いつもひとりで訪れ、ゆったりと時間をすごすようになる。

 店を仕切る彩乃ちゃんは、的確にぼくの話を聴き、その通りに動いてもらえた。
 あのころはまずむせる心配はなかったし、もちろん、喉に詰まらせるなど考えられなかった。
 ぼくは説明した。
食事介助をお願いするけれど、ずっとそばにつき添わなくても、ほかのお客さんの対応を優先させてもらえばよいこと。つまり、手がすいたときに食べさせてもらえばよいこと。
 快い気遣いはしてもらったけれど、それ以上のことはなかったし、ぼくが帰ることを伝えなければ、いつまでもぼんやりとすごす日も多くなっていった。
ほかのスタッフさんもふくめて、いろんな話もするようになった。

 ある日、彩乃ちゃんにこんな話をしたことがあった。思いつきだった。
 ぼくは四十代をむかえていた。食べることが何よりも楽しみなころだった。

 心のどこかに、いつも気にかかっていた軽い不安をぶつけてみた。
 「歳をとっても、おいしいキザミ食やミキサー食だったらいいなあ」

 ほとんど脈略のないひとことが、彩乃ちゃんの心に響いた。
これをきっかけに、彼女は行く先々で仕事を見つけながら、世界中の食の旅へ出る。

 西洋人形のような顔立ちをしていた。いつもニコニコしていたし、忙しくしていても、ゆったりと見える精神衛生上とても効力のある空気を身につけていた。

 話は前後する。
ぼくが通っていたころ、玄関にスロープがついた。
どこか照れくさくて、あまり大きなリアクションはしなかったけれど、すごくうれしかった。
 そういえば、誕生日にモモのデザートを特別につくってもらったこともあった。モモはぼくの大好きなフルーツだった。

 帰国後、愛知の岡崎の実家近くで、体に安心できる素材をつかったお弁当屋さんを営んでいるようだ。
 コロナ以前は、大阪へ遊びに来るときに出会ったり、これといった情報を交換したりしていた。

 食べることと健康については、いろいろと考えるところはある。
体によいものばかりは食べたくないと思っていたら、自然に薄味で素材の味がちゃんとわかるものが好みの中心になった。
ずいぶん、食も細くなった。
運のいいことに、自然に健康志向になったみたいだ。ただ、車いす生活へ復帰するために、タンパク質もとらなければならなくなったけれど・・・。
 これからは、体のために効率よく、おいしいものと出逢っていきたい。
 彩乃ちゃんに連絡をとり、いろいろなレシピを送ってもらおう。

 わが家を訪ねてくれた友人との約束が、実現できなくなってしまった。
 ぼくらは、横山ホットブラザーズに大爆笑した世代だった。
 先代のおとうちゃんから、引き継がれたノコギリ芸をお茶の間でずっと楽しんできた。
いつか、彼とはナマのノコギリ芸を観に行こうと話していた。

 もうかなわなくなってしまった。
 

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