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ひとりの時間②

 ぼくの頭の中には、いつもテンビンバカリが用意されている。
 毎日の買いものから人生の分岐点に至るまで、コスパを計算したり、取り組む過程での充実度や挫折したときのセーフティーネットをシュミレーションしたりしながら、自分自身にとっての損得勘定をはじきだしてきた。

 物心ついたばかりのころ、毎日のように帳場の畳に寝かされて、商いをするおふくろの背中を見つめていた。
 山陰の地方都市の小さな呉服屋とはいえ、着物や帯は高価なものに変わりはない。
必然的に、お客さんとのやりとりでは「勉強させてもらいます」という言葉をよく耳にした。
 もちろん、値段をまけることでどれぐらいの損得勘定になるのか、幼いぼくにはわかるはずがなかった。
 それでも、日常の中でのシビアな駆け引きに接していた経験は、頭の中に用意されたテンビンバカリと無関係ではないだろう。

 施設を出て、二十五年になる。
 その中で、ぼくほど街で転倒した人はいないと思う。
 電動車いすで手足をベルトで固定して、横転すれば顔から落ちるしかない。何度か転ぶうちに、頭を守る重要さからそれなりの受け身を取るようになった。
 
 それにしても、数え切れないほど転んできたわけで、ひとり暮らしをはじめた当初から介護制度が整っていて、その現場をヘルパーや知り合いが目撃していたら、もっと早く生活スタイルも変えられていたかもしれない。
 青タンで目の周りを腫らしていたり、鼻血を流したりしていても、現場に居合わせていないことは大きかっただろう。
 
 転ぶだけではなく、旅行の前日にお金を落としたこともある。電動車いすのバッテリーが切れたこともあるし、コントローラーに雨が入ってブレーキが効かなくなり、車のショールームへ突っこんでしまったこともあった。

 すべてが過去だから言える。ほとんど、制度が整っていなかった時代だから仕方がない。
 けれど、そんなリスクを冒してでも、ぼくには優先させたいものがあった。

 それは「ひとりになれる時間」だった。
 誰かがずっとそばにいること、どんなリスクよりも精神的に堪える現実だった。
 生命に代えられるものはないかもしれない。
 
 いつか観た3.11のドキュメンタリーで、週にたった一時間の「ひとりの時間」に震災が起こり、亡くなられた障害者が取り上げられていた。
 ヘルパーさんは悔やんでおられた。悲しんでおられた。
けれど、さまざまなリスクをその障害者の方は、十分に承知されていたのではないだろうか。
 推測で書いてはいけないかもしれないけれど、そのときご本人の気持ちはどこかで納得されていたのではないだろうか。

 先日、日常的に入るヘルパーさんでは、深い話をする三本指の中のAくんがパソコンを片づけながら、唐突に語りはじめた。
 「ぼくね、Iさん(ぼくのこと)すごいなぁって思うんっす。ぼくだった   
 ら、七時間も、八時間も、苦手な人と一緒にいられないっす」
 彼の言葉に、すこし首を傾げたくなった。たしかに、気心が知れたヘルパーさんが続くと、ホッとした気分になってトイレのリズムも快調になる。
 かといって、近所のコンビニへ弁当を買いに出てもらうぐらいで、間隔も開けずにずっと誰かがそばについている状態は、精神的に参ってしまう。
 よく「見えないところで本を読むか、ゲームでもしてますやん」と、言われたりもする。でも、ぼくの場合は見えないところにいられる方が、さらに気にかかる。
 逆に、役所へ手続きに行ってもらったり、ややこしい買い物を頼んだりすると、ある程度の「ひとりの時間」を確保できることがわかっているので、玄関のドアを閉める音が聞こえると、その瞬間から居眠りしてしまう。
 だから、相手によって「ひとりの時間」が欲しくなるわけではない。

 昔、軟式テニスをしていた姉が、あのボールがあたって失明した友だちの話をしていた。
 数えきれないほど転倒して、すこし記憶力が落ちたぐらいで助かっているぼくは、とても幸運なだけなのかもしれない。

 コロナ時代になり、ひとりで出かける機会はめっきり減ってしまった。腰やお尻が痛くて、遠出も現実的ではなくなった。
 
 一方で、責任の所在について難解な課題が見えてくる。
 ぼくが生活する「まち」では、駅や公共施設の周辺だけではなく、住宅街などの日常の生活エリアまで、かなり広範囲に歩道などの段差が解消されたり、側溝への傾斜が緩められたり、市民参加型のワークショップを下敷きにしたバリアフリー化が進められた。
 
 それでも、ひとりでまちへ出ることにリスクは存在し続ける。
 ほぼ二四時間ヘルパー制度が認められるようになった中で、事故が起きれば誰の責任になるのだろうか。
 自分の意志で制度を活用せずに事故に遭ったのだから、ぼくの責任になるのだろうか。
 
 それとも、充分に支給時間を認定されているにもかかわらず、日常的に派遣しているにもかかわらず、本人を守りきれなかった事業所の責任が問われるのだろうか。
 どんな状況であったとしても、ぼくや兄弟は裁判など絶対に起こすことはありえない。
 それは、ぼく自身が選んだ結果だから。ぼくも、兄や姉たちもその辺は徹底している。
 だから、気遣うことはない。

 ただ、社会的にとらえれば、すこし違う答えになるのかもしれない。
 二~三分前に「違う答え」と書いたけれど、モニターを見つめながら、答えはないのかもしれないと思えてきた。
 
 ぼく自身をシュミレーションしてもよくわからないのに、友人の障害者一人ひとりの顔を浮かべれば、ほんとうに樹海へ迷いこんだ気分になる。
 安易に言葉にしてみれば、当事者一人ひとりが納得しての選択であり、その結果であればよいとは思う。
 
 けれど、正確に、一人ひとりの内面がそこにかかわる関係者へ伝わることは不可能に近い。また、世の中へ発信されるとなると、受け取る側の価値観とも相まって、さらに、複雑さを増していく。

 また、相手に責任の所在を持たせることで、マイナスな部分を隠そうとする場合もでてくるだろう。
 一人ひとりの意志に添うことは、なんとむずかしいのだろう。

 知的障害の人は、言葉で伝えることが難しい場合がある。
 自分の好みにこだわる人も多い。
 ファーストフードや缶コーヒーが大好きな友人がいて、まわりの支援者から止められているのをみていると、割りきれない気分になるときもある。
 さすがに、血糖値やコレステロールが高いことを知っていると、仕方がないと思うのだけれど・・・。

 まちを歩いていると、ヘルパーや作業所のスタッフらしき人が知的障害の人に対して、面倒くさそうにつき添っている場面に出くわすことがある。
 ぼくも、作業所に携わっていて、いつもフラットに接しているかというと、そんなことはない。知らん顔したり、できないことをバカにしたりする瞬間がある。
 だから、まちで出逢う光景も、たった一日の一分足らずの切り取られた時間にすぎない。
 もっと怒るべきかもしれない。ただ、自分自身にもよく似た瞬間がある以上は、声を荒げることはできない。

 結局、責任の所在も、知的障害の人へのつき合い方にしても、自分自身の弱さを受け止めた上で、相手と向きあい、障害の有無を越えて納得できる応えを一人ひとりが探し、個人のフリーハンドな部分とひとつに束ねる部分に分けるしかないだろう。

 もっと、一人ひとりが考える世の中になればいい。
 素直に気持ちを伝えあえる世の中になればいい。
 
 

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