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自己決定について

 人前でヘルパーさんをひどく怒鳴ってしまったことがあった。
乗り換え駅でのこと。
 エレベーターを出ると、車両への乗り降りのときにスロープを用意する駅員さんが待っていた。
駅員さんは横並びになったぼくたちのうち、ヘルパーさんだけに向かって「下車する駅のエレベーターの位置の関係で、先頭車両に乗られるのが便利だと思うのですが、どうされますか?」と訊ねた。
 ヘルパーさんは間髪入れずに、「それじゃあ先頭のところへお願いします」と応えた。

 その瞬間、ところかまわず暴走してしまうぼくの怒りのスイッチが入ってしまった。
「なんでオレに聴かずに勝手に応えるのや!」
全身を震わせ、誰も止められないほどヘルパーさんに怒鳴りまくってしまった。

 冷静に書けば、電動車いすでは人混みをかき分けながら、先頭までホームを進むことが難しかった。
 ヘルパーさんからすれば、いつも地下街の四方から行き交う雑踏を避けて器用に運転する姿を見ていたので、「行ける」ととっさに判断してしまったのだろう。
ぼくの契約している事業所は、障害者も地域であたりまえに生きていける社会をめざして行動してきた人たちが立ち上げたところだった。
 自然に思いこみが生まれて、障害者のための制度が確立されるまでから手弁当でいっしょに活動してきた人たちと同じように、運動ではなくドライに仕事として捉える若者たちに対しても、見当違いな期待をよせていたのかもしれなかった。

 こんなこともあった。
 コンビニでお昼ごはんを買っているときだった。
 若い店員さんが「温めますか?」と訊ねた。
お昼もだいぶ過ぎていたから、てっきりヘルパーさんは家に帰ったらすぐに食べると思って、「お願いします」と応えた。
 「なんで勝手に応えるのや!」
駅の場合と同じように、ヘルパーさんに怒鳴りまくってしまった。
 コンビニのときは、団塊世代のヘルパーさんだったので、信じきってしまいすぎていた。
 こちらが「そんなことぐらい判りきっている」と、思っていたのだった。

 すぐにキレてしまうのは、別の意味で「障害」かな?と思っている。
 ただ、ぼくなりの「自己決定」に対するルールがあって、それはヘルパーさんには解りづらいものだったようだ。

 ぼくは、根っからの面倒くさがり屋だ。
たとえば、自宅へ戻ったとき、冬は何も言わなくても暖房のスイッチを入れてほしいし、夏もそれとまったく同じだ。
 毎日、午前十時になると、沖縄のラジオを聴きたいし、日曜の午後六時には大阪の放送局のケッタイなインド人のにぎやかすぎる番組に心を遊ばせたい。
 エアコンも、ラジオも、ぼくの中では百パーセントに近いものだから、部屋に入れば勝手にやってもらうと、とてもありがたい。
また、その時間帯に入るヘルパーさんには、何も言われなくてもお願いできるように伝えている。

 答えがひとつしかない場合は気をきかせてほしいし、選択肢がふたつ以上あるときは確かめてほしいと思っていたのだった。

 もう一度、先に例にして書いたことで言えば、乗り換え駅ではエレベーターを降りた場所の車両に乗るか、下車後を考えて行動するか選択肢があったし、コンビニでも思いこんでしまうのは仕方ないにしても、答えはひとつではなかっただろう。

 駅の乗り換えに立ちあったヘルパーさんとは、うまく関係をつくれないまま別れてしまった。
 駅員さんや店員さんと話すとき、彼は遠くで関わらないようにしていた。
ぼくは歯がゆかった。いっしょに輪の中へ入ってほしかった。
 申しわけないことをしてしまった。

 コンビニで立ちあったヘルパーさんとはほかにもいろいろあって、ぼくから離れていってしまった。
「判っている」と思いこんでいた。
 きちんと向きあって、話しあいたかった。

 ぼくは、ヘルパーさんを自分の手足だとは思わない。
一方で、ヘルパーさんを自分の手足だと考えてきた人たちの気持ちも解らなくはない。
 「手足」だと考えようとすると、どうしても上下関係が生まれてしまうのではないだろうか。
 また、「手足」だと割りきらなければ、生活の根本的な部分で生きにくさ(差別)が横たわる社会の中では思う活動ができないのではないだろうか。
 時間はすべての人に平等だけれど、とても不公平でもある。
 ほんとうに「障害」があると、一つひとつの行為に対して時間が必要なだけではなく、第三者へのつなぎやおたがいの理解のための手間がかかってしまう。
 思想や歴史的な背景を書くまでもなく、実際の生活において「手足」と割りきる決断が必要になるのだろう。

 「まち」にまぎれて、一人ひとりとのご縁を温める役割の人もいれば、世の中の枠組みをより良くするために活動する立場の人もいるべきだろう。

 最後に、自分の暮らしに引きもどす。
ぼくは心がカツカツにならないように、適当にヘルパーさんにお任せする部分をつくるための心がけをしている。
 身近なたとえでいうと、毎日のこだわりのひとつである「食」でさえ、ヘルパーさんによって冷蔵庫の残りものを使って「お任せ」することがある。

 いくつかの選択肢が考えられるとき、とても消極的には見えても「現状維持」や誰かに「委ねる」という答えがあってもいいのではないだろうか。
 自己肯定には、悲観的になったり、身動き取れなくなったりする自分自身を受け容れることもふくまれるのではないだろうか。

 自己否定する外側に、自己肯定する意識があれば、たいがいの人生がまっとうできるだろう。

 今夜はずいぶん集中して、ずっと書きたいと思ってきた「自己決定」について、いま考えられるレベルを駆使して、集中してモニターに向かいつづけた。

 わが家のスピーカーは友部正人さんの「大道芸人」を流しているのに、かすれた渋い唄声をかき分けて、伊丹哲也 & Side By Sideの「街が泣いてた」が頭の中を闊歩しはじめた。

 これから、ぼくの内面はどんなふうに伸縮して、残り少ないであろう将来のカンバスをどうやってデッサンし、色で埋めつくしてゆくのだろうか。

 友部正人さんは、ロックの人ではないだろうか。
ジャンル分けされることに、抵抗感を持たれるだろうか。
頭の中のエンディングは、「中道商店街」へ還った。

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