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フンワリこふきいも

 一年あまり、コロナの時代を過ごして、ようやく、ぼく自身には光明が見えた気がする。
どちらも正しくて、どちらも間違っている、そんなことが日常生活にごろごろと転がっていて、全身が張り裂けそうに感じる毎日だった。

 ぼくがどんな選択をしても、まわりの一人ひとりの行動が自分の暮らしにどんな影響をあたえても、すべて生涯の範疇に包みこむ。
 どう生きても、ぼくには変わりないし、そう考えることでじっとりと汗ばんでくるような夢見の悪い想像もしないでよくなった。
 この間も、わりと身近でコロナとよく似た症状の人が出たけれど、いちいち動揺していても仕方ないと開き直った。

 ぼくの場合、障害の特徴で不随運動といって、意識とは関係なく、また、正反対に手足が動いてしまう。
 通常の病気でも、慣れない看護師さんなどが医療や介護にあたるのは、かなり難しい。
 まして、コロナとなると、日々の精神的、身体的疲労は想像を絶するものだろうし、そこに大柄で硬直の強い障害者が入院すれば、当事者としては不安しか浮かばない。
 ただし、あくまでも個人的に考えれば、動揺と恐怖でうろたえる自分をもうひとりの「ぼく」が見守っていてくれるだろう。だから、タカをくくっていられる。

 ところで、激務の中で働いておられる関係者の方々に、ご無理を承知で書かせていただければ、基本は障害者本人とその家族や身近な支援者に、その人の特徴や介護などにあたるコツをどこかの時点で聴き取る機会を持っていただけると、とても助かります。

 例えば、脳性マヒと限ったとしても、その特徴は人によって千差万別なので、教科書では押さえきれないものがあります。無茶を言っていると、複雑な思いに駆られながら書いてきました。

 コロナが収束するには、かなりの時間が必要です。
よろしくお願いします。


 本題に入る。
 ぼくの食事を介助する人が、共通して話すことがある。
「誰よりもおいしそうな表情をして食べるなぁ」
 仕方がないというか、本当においしいのだから、頬がゆるんでしまう。
 ついでにいうと、キライなものはないのかとよく聴かれる。
 つくってもらうのはヘルパーさんにだけれど、献立を決めるのはぼくだから、そりゃあ、おいしそうに食べるし、わざわざ苦手なものは注文するはずがない。

 今日の献立は、白和えと、豆腐ハンバーグとタマネギのみそ汁をお願いした。
 朝の家事ヘルパーさんが一段落して、「ハンバーグのつけあわせにこふきいももつくっておいたから」と、修理から帰ってきたばかりの車いすに乗ったぼくの方にふり返った。
 どちらかといえば、フライドポテト派だけれど、すこし塩味のきいたこふきいももまんざらではない。
 そこで、お昼の時間帯のヘルパーさんが来たので、家事ヘルパーさんは身支度にかかり、ぼくはベッドへ戻る準備に入った。

 今夜は泊まりのヘルパーさんに原稿の入力をお願いする予定だったので、早めの夕食をとりはじめた。豆腐ハンバーグには、鉄壁の地ソースをたっぷりとかける。ツッコミの余地をあたえない旨さだった。みそ汁も、タマネギの上品な甘さが際立つ。みそを控えめにしたのが、大成功につながっていた。白和えはヘルパーさんの工夫で、みそをすこし足していた。こちらは、オーソドックスな味つけがまさる感じだった。

 一とおり、味わったつもりだった。
 すると、偶然にそのときだけ、「こふきいも」とソースがちょっとついたヤツを箸の先につまんで、口元へ運んだ。
 それほど期待もなく、ぼくは自然に口を開いた。

 このとき、ぼくの人生は一瞬、足をとめた。
 フワフワの触感が口にひろがった。上下のアゴに力を入れなくても、自然に溶けていくようだった。塩加減も弱すぎず、強すぎず、なぜか、新じゃがの風味が、ふるさとの霧深い山々とこの季節の若葉と光の揺らぎを想い起こさせた。

 正直に書くと、夕食でもっともインパクトを残したのはこふきいもだった。冷蔵庫にはまだ一皿夕飯と同じおかずが出番を待っている。
 おそらく、朝食でいただくことになるだろう。今度は不意打ちをくらわされないように、心しながら味わいたいと思う。

 人気球団にフルスイングの新人が登場して、大騒ぎになっている。
シーズン開幕からトップを走るこのチームには、対象的に選球眼よくチャンスメイクする外人選手がいる。「自己犠牲」を看板に走者を進めたり、ピッチャーの投球から打球を予測し、目に見えないファインプレーを演じたりする選手もいる。

 どちらかといえば、組織が嫌いなぼくが集団プレーのおもしろさを感じてしまっている。
 チーム外からみれば、個人の特徴が活かされているように見える。
 プロだから、生活がかかっている。ある程度の余裕があるとしても、表舞台での活躍はしたいだろう。
 それでも、生き生きとプレーしているようにみえるのはなぜだろうか。
知りたくても、ぼくのまわりに関係者はいない。

 今日も話がしゃぼん玉のように、あちらこちらへ流れていった。

 最後になった。
ぼくは、今日の夕食でダントツにこふきいもが旨かった。材料費がどうあれ、手間がどうあれ、あの柔らかさと素材が活きた薄味が心の中に根を張った。

 いま、気づいたけれど、三時間あまり話しつづけて一度もマスクがずれていない。ようやく、安心できるものにめぐりあえた。モニターを見ているぼくと、パソコンを入力しているヘルパーさんはできるだけ離れている。いつになったら、安心してすごす日がくるのだろうか。

 ぼくを見守りつづけるもう一人の自分に、これから問いかけてみる。

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