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ご苦労さまです

 週末になると、彼は施設へ面会にやってきた。
 話したいことがいっぱいありそうな顔をして、ぼくのベッドのそばまでやってきた。
 最近、読んだ本のこと、出逢ったばかりの唄のこと、職場の学校の子どもたちのこと、仲のいい同僚たちのこと…。
 
 「井上くん、コレ知ってるかぁ」
 こんなふうに、いつも彼は話しだした。
 考えごとをしていても、唄に聴き入っていても、テレビを観ていても、別に気遣いをするわけでもなく、言葉は自然にぼくの心へ拡がっていった。
 彼が訪ねてきてもお客さん対応をしないでいいほど、仕事帰りにも立ち寄っていたし、同僚や施設のぼくの友人と泊りがけでライブを聴きに行ったり、自宅の離れを開放した飲み会にもよく出かけた。

 加川良さんや高田渡さんや友部正人さんといった自分の世界を描くことにこだわり続け、人や唄を大切にする一人ひとりのファンとのつながりに丁寧に向きあったアーティストに、彼自身も深い想いを寄せていた。
 ぼくも同じだった。

 ふたりの価値観の原点は、一人ひとりの「違いを認める」ことではないだろうか。
 こうして「ふたり」を語ろうとするときも、ぼくは断言をしたくはない。
 ほんとうは「違いを認める」ことだ、と言いきりたいところだけど。
 
 東日本大震災によって、原発の是非が活発に議論されていたころ、ぼくたちは反対派の旗手としてマスコミでも発言されていた研究者のセミナーに参加したことがあった。
 いまでも、ぼくは想っている。
 原発が稼働した時点で、核廃棄物は産み出される。
処理方法に多大な研究と費用を注がなければならないのなら、同様の労力を自然エネルギーなどの開発に投資する方が建設的ではないだろうか。
 すくなくとも、コントロールしきれていない現在の状況で新しい原発を建設したり、外国へ輸出したりすることは首をかしげることしかぼくにはできない。

 なぜ、こんな話を唐突に取り上げたかというと、震災直後、メディアでは推進する考えの人たちと反対する人たちが同じテーブルで議論するシーンに出遭ったことがなかった。
 セミナーの講師の人は、単なる研究者の側面だけではなく、哲学も語っておられた。
ぼくはスッキリしない気持ちを彼に話しながら、研修施設からの坂道を降りていった。
 そういえば、セミナーは皆既月食の夜だった。よく晴れた空だった。
すべて陰に入るクライマックスも覚えてはいない。

 ある日、ふたりで話しこんでいると、施設のスタッフさんが廊下を通りがかった。
 彼が面会に来ているのを見つけてあいさつをした。
 「ご苦労さまです」
 それほど言葉に深い意味はなくて、ただ見かけたからというだけだったと思う。
 彼は笑顔をつくって「どうも」と軽く頭を下げ、足音が聞こえなくなるのを待っていた。

 ふり返って、彼はつぶやいた。
「ぼくは、友だちのところへ遊びに来てるだけやのになぁ~?」
 すこし気持ちを抑えていたのか、スタッフへの「どうも」とは色あいが違って、もどかしさを通りこしてやりきれなささえ沈みこんでいるように聞こえた。

 施設は、最寄駅から歩いて行き来できる距離ではなかった。
 それでも、無理やり歩くとすると、片道だけで一時間は必要だった。
 いまも介護がなければ生きていけない障害者にとって、入所型の施設の存在意義は大きいのかもしれない。

 都会ではグループホームが生活の場の主流になったとはいえ、十人以上の「ちいさな施設」化が進んできているし、そこに暮らす一人ひとりの障害の程度(できること)を計算に入れた営利目的の民間の参入も増えてきたようだ。

 格差社会が拡がって、障害のない人も「こうありたい暮らし」が実現しにくくなっている。
 障害があると、人間関係がつくりにくいというけれど、そういう側面は強いにしても、障害のない人にしてもだれと暮らすかはかなり大きな問題になるのではないだろうか。
 「こうありたい暮らし」と合わせて、生活スタイルのバリエーションとそれを支える制度の柔軟な運用が求められているのではないだろうか。
 それ以前に、地方では身内が介護できなくなり、施設での暮らしを余儀なくされる人がほとんどではないだろうか。

 ずいぶん遠まわりしたけれど、施設で暮らす一人ひとりに寿命がおとずれなければ、待つ人の場所は生まれない。
 もちろん、施設のなかでは高齢化が進むし、同時に身内の人たちも歳を重ねていく。
 さらに、離れて暮らせばどうしても縁が薄くなる。
 すくなくとも三十年近く前、ぼくが暮らしていた施設では、立地条件や高齢化などにより面会に来る人たちはとても限られていた。
 
 実は「ご苦労さまです」には、こうした背景があった。
 
 それにしても、言葉にこだわりをもつ彼らしい感覚だと思った。
 以前、ぼくはヘルパーさんからの確認メールの返信で「かしこまりました」などと戻ってくると、とてもムカつきと人との距離感からくるさみしさで、憤懣やりかたない気持ちになっていた。
 でも、こうして文章をつくるようになって、予測変換で頻度の高い単語ほど候補の先頭に挙がる仕組みを知り、どうでもよくなっていった。

 一方で、ぼくはやはり「一人ひとり」にこだわりたいと思う。
 多種多様な組織や共同体があって、世の中は成り立っている。
 けれど、それぞれを構成する基本は「一人ひとり」ではないだろうか。
 情報化が進み、知りたいことはすぐに手に入れられるし、モジモジしながら先方の応えを待たなくてもよくなった。

 でも、演じているわけではないのに、同じ内容でも相手によって伝えたい気持ちは変わるし、言葉のニュアンスもすこしずつ色を変える。
 どれも本当の自分に間違いはない。
 一人ひとりに対して、素直な自分でありたいし、それは優柔不断ではないだろう。

 こうして彼について書いていると、やや首をかしげて口元をゆるめた表情がそこにいるみたいだ。
いつも笑っていなくても、笑っているように見える。
 これから、地元で縁のあった人の立ち上げた障害者の作業所で働きはじめるらしい。
 離れていても、おたがいに「らしくありたい」と願うばかりだ。

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