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映画「ピートと秘密の友達」。 ロバート・レッドフォードが森の語り部、輝いてる。

創業者死後から80年代末まで、ずーっと続いていたディズニー暗黒期に、ひっそり製作された実写とアニメの夢の合体作に「ピートとドラゴン」がある。
(なお、日本では当時、劇場未公開。)

トム・ソーヤが悪戯をして回ってそうな、20世紀初頭のアメリカの田舎町に
全身緑の毛で覆われて、赤い髪の毛をしたドラゴン:エリオットが現れる。
(ディズニーランドに行けば、エレクトリカルパレードで、緑色でキラキラ輝くドラゴンを見かけることだろう。彼が、エリオットだ。)
ずんぐりとした体形、だが足取りは軽やかで、空も自在に飛び、ステップも踏んで見せる。愛嬌がある。持ち前の透明化能力で、不意に人を脅かしてみせたりもする。
エリオットは、孤独な少年ピートと一緒になって、街の人々にイタズラをしたり、歌を唄ったり、「エルマーのぼうけん」を繰り広げる。
(全編の雰囲気はシリーズ第2巻「エルマーとりゅう」に近い。)

最後、エリオットはピートと別れるのだが、そんなに悲しいものじゃない。
いつかまた会える、そんな余韻を残して、フッと映画は終わる。
「メリーポピンズ」と同等かそれ以上にユカイな傑作なんだ、これが。



このオリジナルのデザインを尊重して、そのまま実写に起こしたのが、本作だ。

だから、エリオットがおよそドラゴンに相応しくない、イヌっぽい顔をしているのも、当然だ。(「ネバー・エンディング・ストーリー」のファルコンに近い、と言っては失礼だろうか。)

オリジナルとは設定を根本から変えた。
エリオットが、動きの重い、迫害される生き物であるということ。
エリオットに「育てられた」ピート少年の立場もまた、同類であること。
ここにオリジナルで軽やかに踊っていた、メリー・ポピンズと同じ現実に舞い降りる夢の象徴、エリオットwithピートの姿はない。ピートもエリオットも悪い大人たちにびくびく、息を殺して、絶えず様子を伺うのみ。

「抑圧からの脱走」というテーマに、夢見るココロを与えなくてはならない。
根っからファンタジックな存在じゃないと、あくどい大人たちとは戦えない。
自然、本作の真の主役は、ねっからの自由人、華麗なるヒコーキ野郎こと
森の管理人ミーチャム:ロバート・レッドフォードになってしまう。


彼は森の伝説(=エリオット)の語り部だ。森を誰よりも愛する男だ。

There's magic in the woods, if you know where to look for it.

の台詞が美しい。(だから、森林伐採の業者の乱伐に、胸を痛める。)

そんな「夢」を守り続ける男だから、
最後、捕らえられた森の神秘=エリオットの脱走にもひと肌脱ぐ:トラックのキーをピッキングすると、エリオットを載せて爆走するのだ。
やってることはモロ犯罪なのだが、それをそう感じさせない。
いつの時代の、どんな物語にもある光と影のうち、影の部分に立ち止まらないで、光の中を駆け抜けていく爽やかさが、ある。
「さらば愛しきアウトロー」でも魅せる、悪戯っぽい、笑顔だ。

夢見をもう一度願うピートのために、夢の象徴たるエリオット自身のために、
彼が「森の伝説」を救い出す。そればかりが、印象に残る。それが、いい。
レッドフォードの「語り」を聴くたけでも、十分お釣りが来る。そんな映画だ。


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