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小説『引力と重力』


(増田壮太さんに)

 「よくできました。」の『よ』を書くには、まずやや右上がりで、控えめに横線を引く。その左端をかすめるように、まっすぐ縦線を引いたら左にカーブする。右方向へターンしながら戻ってくるときには、少しだけ三角形を意識すると締まって見える。『く』は難しくない。斜め右下への線を心持ち長くすることだけに気をつければいい。『で』は『よ』と比べてさらに角度をつけ、斜め右上に線をすっと伸ばす。ぐっと一時停止してから左に折り返すところが重要で、しっかり重なりを持たせてから徐々に分岐しつつ、しなやかに弧を描く。濁点は上ではなく下の方に打つとバランスが整う、ということにも気がついた。続くひらがなも念入りに書き進めていく。「まい先生より」と書いて日付印を押せば、残りの答案用紙は一枚。私は赤いペンを持ったまま伸びをして、ふうっと息をついた。

 金曜夜のオフィスに残っているのは採点アルバイトの私だけだ。フロア内の照明スイッチは二つしかなく、私のいない西側の照明は既に落とされている。整然と並んだデスクに置かれているパソコンのディスプレイは、ソフトウェア更新のために青い光を放っていたものがいくつかあったけれど、一つ、また一つと黒い画面に変わっていき、今では全てシャットダウンされている。フロアの中央、東西の境目で島のように固まる営業部のデスクのうち一つは、キーボードが見えないほどに書類が散らかり、小型の扇風機は夏から放置されたままだ。対照的にきちんと整頓された隣の机には早くも卓上用加湿器が置かれている。そこは中途入社の成績不振おじさんと彼の教育係を任された悩める女性チーフの並びで、二人を観察することは私のささやかな愉しみとなっている。

 暗くなった西側の奥は一面ガラス張りで、俯瞰では扇形に見えるこのフロアの曲線部分を成している。一枚ごとにつけられた角度が、オフィス内の景色を歪めて映し出す。会議前には順番待ちができる唯一のコピー機は分裂して二つに見えるし、月間契約数の張り出されたホワイトボードのグラフは事実に反して右肩上がりだ。唯一ブラインドが下りた窓からは、毒々しい赤い光が漏れている。ビルの向かいにあるネオンだろう。白い光がところどころ混じっているけれど、文字として認識はできない。確か消費者金融の看板だったと思う。

 扇の中心角付近のデスクに座っている私の背後には、大きなキャビネットがそびえ立っている。最下段の引き出しには採点済のテストが山積みになっていて、一定期間経過した後、シュレッダーにかけられる。中段から上の書棚には教材とテスト問題、さらに小学校の教科書や百科事典が並び、私がつま先立ちをしても届かない最上段に四文字熟語や方言などの特殊な辞典、クラゲや鉱物を始めとしたマニアックな図鑑が収まっている。手に取る頻度は少ないものの、いざというときには必要になるので厄介だ。踏み台はあろうことか自腹で購入させられた。

 普段はほとんど他の部署から無視されているこのデスクから、無人の空間を時折見渡して、フロアを独占していることを確かめるのは気分がよかった。頑丈なキャビネットが背後を固めてくれているのも心強くていい。私は首や肩のストレッチをやめて自分のデスクに視線を落とした。週明けには子供たちに返送される封筒の束、宛名を書くための油性マジック、模範解答集、半分飲み終わったミネラルウォーター、そしてピルケースが置かれている。

 答案用紙最後の一枚はこれ以上ないくらいだらだらと。ノルマを超えて添削したところでインセンティブがもらえるわけでもないし、かといって早退してしまうと時給制のため給料が減ってしまうのだ。過去最高の丁寧さで採点を終えた、十九時五十九分。赤いキャップをペン先にはめて、斜めに置いていた紙をまっすぐに戻し日付印を押すと、業務用電話機の着信音が鳴った。

’06.10.07

「おでんわ、ありがとうございます。こどもでんわしつもんがかりです」

「六年の、ゆき、です。こんばんは」

「こんばんはー。ゆきくん? でいいのかなー」

「……はい。あーその感じやめてもらうことってできますか。六年なので」

「えっ」

「担任だってもっと普通な感じで話します」

「……そっか、はい。わかりました。質問はなんでしょう」

「一年の女子が僕の腕を噛んできます。どうしてですか」

「えっ? 誰が噛むって? ごめんなさいもう一度お願いします」

「だから、次の運動会で、一年生の女子と二人一組にされて、一緒に玉入れをするんですが、練習の時間に僕の腕を噛んでくるんですよね」

「えっと、ごめんね。うちの教材やテストについての質問じゃないの」

「もう夏休み中に全部終わらせました。テスト、簡単すぎ」

「……うーん。中学受験用ってわけじゃないからね。ごめんなさい」

「とにかく『なんでもしつもんしてください』と書いてあったので、この番号に電話しました」

「それはあくまでテキストについて……そうか、確かになんでもだよね。わかりました。運動会の玉入れを一年生と一緒にやるんだね」

「はい。他学年との絆を深めましょう、ってやつです」

「はあ。どっちが玉を投げる係なの」

「一年生です」

「じゃあ上級生が玉を集めてあげるってことね」

「そうです」

「それで、いつどうやって噛まれるの」

「玉を渡すとき、腕を掴んできていきなり。ガブって」

「結構痛そうだね」

「そうでもないです。歯の跡がちょっとつくぐらいで」

「先生を呼ばなかったの」

「泣かれたりしても嫌だなと思って。やめてって言うと離すけど、またすぐやられます」

「その子に直接理由を聞かなかったの」

「答えてくれないです。というか全然喋らないです」

「あー、お話するのが難しい子もいるよ」

「でも練習が終わったら、ヤー、って言いながら元気に整列してました」

「そっかあ。最初に意地悪してないかな」

「一年生にそんなことしません」

「じゃあ、先生にもちょっとわからないね」

「あー、やっぱり。まあそうですよね」

「本番はいつなの」

「日曜です。玉入れはどうでもいいですけど、その子の親も来るのが」

「好きだから噛むの、って聞いてみたら」

「えっ」

「それでもやっぱり噛むかどうか、また電話して教えてよ」

「はあ」

「金曜の夜は先生が担当だから」

「……わかりました。今日みたいに終了時間ギリギリになってもいいですか。塾の帰りにかけます」

「いいよ。その方が繋がりやすいし」

 オフィスの施錠を済ませてエレベーターに乗り、一階裏口の守衛室でバインダーを受け取る。所定の用紙に社名と部署、氏名、退出時間を書く。オフィスカジュアルではない私を不審に思うのか、きまって視線を感じる。それが嫌でどうしても殴り書きになる。鉄製の扉を開けて空を見上げる。赤いネオンは消費者金融ではなく、パチンコ店だったか。背後から金属同士のぶつかる大きな音がして驚く。裏口のドアダンパーが壊れかかっていることを、私はいつも忘れてしまう。

 池袋東口パルコに向かってまっすぐ進む。このタイミングだと、ロータリーにある二本の横断歩道の二つ目で信号に捕まりそうだ。広場とも言えない中洲のようなエリア内の左側は喫煙所になっていて、誰もが携帯の画面を見ながら煙を吐き出している。ようやく二本目を渡り切り、JRの改札に通じる地下道に下りる。途中ワッフルの甘い香りがして空腹に気がつく。横目で見るとちょうど四人から五人へと、並ぶ人数が増えた。うまい場所にあるテナントだなと思う。しかし私はそんなものを差し入れするようなタイプではない。山手線内回りに乗って新宿で降りる。総武線快速のホームに向かうと、階段を上り切る手前から人が詰まっていた。スーツを着た男二人の肩越しに電光掲示板を覗くと「間での人身事故のため遅」という表示が見えて、かかとを下ろした。これなら池袋で丸の内線に乗った方が早かったかもしれない。

 十五分ほどでやってきた電車に押されるまま乗り込む。身体が宙に浮きそうな六分間。黒髪ミディアムにほぼノーメイクで、白無地のロングTシャツにスキニージーンズ、そして黒いリュックを抱えた私の格好に需要はなさそうだけれど、一応は警戒する。痴漢なんて替え刃を取り外したカッターでカチカチって音をさせれば一発だよ、と言ったのは中学のクラスメートだ。「女性専用車両と男性専用車両の是非」についてディベートをさせられたときのことだった。みんなは笑っていたけれど、あれは本気だったんだろうか。その子の顔と名前を思い出そうとしても、吊り革広告の中で四つん這いになっているグラビアアイドルの顔に邪魔をされて、うまくいかなかった。
 
 四谷駅の改札を抜け、半地下からスロープを上り交差点を渡る。牛丼屋を過ぎると、店外にもスピーカーがついているカフェから、ピアノと管楽器、ビブラートの効いた鉄琴の音がする。徐々に遠ざかる音を背に一つ目の角を右に曲がり、直進して突き当たりの郵便局を裏手に回る。映画研究会の「巣」と私たちが呼んでいる一軒家は、さらに七、八分ほど進んだところにある。

 「巣」は木造の古い建て売り住宅で、元々は映研会長の祖父が所有者だった。しかし名古屋から上京した孫が下宿を始めてほどなく、脳卒中で亡くなってしまったらしい。仕送りはなくていいから売らないでくれって親を説得したんだよ、と会長はまるで自分の功績のように言う。とはいえ家賃がタダだとしても、まるでバイトをしている様子がないのはあやしい。棚を埋め尽くし、じわじわと確実に増殖している大量のレンタル落ちビデオやDVD、書籍の数々をどうやって手に入れているのか説明がつかない。おそらくいまだに仕送りはもらっているのだ。そう思いながらも、もはや実質的にはサークルの部室となっているこの家の主の顔を立て、私たち後輩は何も言わないでいる。
 
 学生会館にある本来の部室は、そこをラブホテル代わりにした三つ上の先輩カップルのせいでほとんど使われなくなっている。大学からの処分を受けて単独部室の使用権を失い、学内ラジオを制作しているサークルとの共同利用に格下げされてしまったのだ。どちらも音を出して編集作業をするので、絶望的に相性が悪い。今では古い機材を保管しておくためのただの倉庫になっている。ベータ方式のビデオデッキやランプが切れたままのプロジェクタ、リニア編集のためのコントローラ……。今年の梅雨頃、一年生男子のうちの一人が、そこに転がっていたカビ臭い8ミリカメラで短編を作ろうとした。一応撮り終えたんですけど現像代が高すぎて、カメラ、フイルムともども文字通りのお蔵入りっすね、とそいつは私に言った。いい画が撮れなかった言い訳じゃないの、と私は質した。そもそも実際には撮影さえしていないのではないかと内心疑いながら。夏休み以降そいつの顔を見なくなったのは、大学近くにイベントスペース兼カフェを作るのだ、とのたまう怪しい男とつるみ始めたのが理由らしい。なんでも、暇を持て余している大手学習塾の元社長から一千万円も引っ張ってきたとか。これも会長から聞いた話で、本当かどうかはわからない。ともあれ、顔すら知らない先輩の「不適切行為」が後輩にまで影響を与えているのは馬鹿らしい。でも結果的には良かったのかもしれない。監視された学生会館よりも、私はこっちの方がいい。「巣」はもう目の前だった。

 玄関は引き戸になっていて、いつも鍵はかかっていない。常に誰か居座っているからだ。戸を締めて靴を脱ぐ。きちんと揃えることを知らない映画オタクたちのスニーカーは野暮ったく、そして汚い。むしろ綺麗であってはならないと主張しているかのようだ。自分の靴を揃えて立ち上がり、洗面所に足を向けると、トイレから水の流れる音がした。誰もがガサツに開け閉めする薄っぺらい木製ドアを、静かに出入りする人間は一人だけだ。革靴が一足混ざっていたのはそういうことだったのか。真部さんだ。

「遅いな。あ、黒ペンか」

「ギリギリに質問の電話が鳴ったんですよ。あれ残業代出ないの、違法ですよね」

「あるある。早く帰りたいときに限って鳴る」

「バイトに戸締まりさせるのもセキュリティ甘すぎ」

「そのゆるさがいいのよ。あんな楽で時給いいバイトないしさ」

「あの古臭い教材のカタマリを何十万で押し売りしてる会社、キツくないですか」

「紹介しておいてもらって文句言うな」

「だまされて買っちゃってる親もキツい」

「教育業界の闇だよ。だから黒ペンって俺は呼んでる」

「えっ、単にパクりだからそう呼んでるんだと思ってました」

「そういう意味でもある」

「……というか真部さんなんでまたいるんですか、広告マンが」

「借りてたカメラ返しにきただけ」

「へえ。にしても金曜の夜に接待とかないんですね」

「あるよ。苦手だから逃げ回ってるけど」

「そんな人がよく採用されましたね」

「俺、一応役者もできるから」

「はあ。絶対同期に嫌われてるでしょ」

「するどい」

「なんでもいいですけど、編集には絶対に口出さないでください」

「わかってるって」

「あと、何か甘いものないですか」

 この三連休は泊まり込みで編集作業を進める。学内の映画祭に出品する予定の自主製作映画で、夏休み中に撮影したものだ。締め切りは十月末。私は二年生で助監をやっている。

 舞(まい)という名前はインテリアデザイナーの父親がつけました。踊りの舞いではなくて、舞台の舞(ぶ)が由来だそうです。「そもそも舞台は踊りのステージって意味なんだから同じことでしょ」と私が言うと、かつて役者を志していた父は「確かに」と笑いました。

 父子家庭です。母は私が幼稚園に入っていた頃に乳がんで亡くなりました。さびしくはなかったです。自宅兼事務所でしたから。ファザコンだと思います。中学は美術部の幽霊部員でした。読書が好きな地味でおとなしい生徒に、教師からは見えていたと思います。私が高校に入ると、父は大きな商業施設の内装を任されたらしく、夜遅くなっても帰らないことが多くなりました。「やりたいことをやればいい」と父は言い、それで演劇部に入りました。でも、部長が台本を書いたという演目がうすら寒くてすぐに辞めました。『春がボクらを照らす色』……タイトルだけで背中が痒くなりました。「一年生はラストシーンで撒く花びらを作ってね」卒倒しそうでした。

 帰宅部になり、父の知り合いが所属する社会人中心の小劇団に顔を出すようになりました。基礎練習を覚えて稽古に混じり、台本を読み込んで仕事や急病で来られなくなったメンバーの代役を何度か務めました。しかし厳しくダメ出しをされて、役者は諦めました。「頭で考えるんじゃなくてまずは体当たりでしょ」「見た目はそんなに悪くないのに華がないね」「照れを捨てて笑えないようだと結局シリアスな演技もできないでしょ」「だからAVの小芝居みたいになってるってば」……等々。でも、歯に衣着せぬ物言いをする一風変わった大人たちのことは好きでした。彼らも、その頃は私を可愛がっていたと思います。衣装や美術、メイクを手伝い、裏方の面白さを覚えました。照明のアイデアを出して少し褒められもしました。今思えば、平日でも作業を進められる高校生がいいように使われていただけかもしれません。だけど私はいつか演出をやりたいと思っていました。

 のめり込むうちに、高校の授業はサボりがちになりました。父親は長期出張で海外にいました。生活費は振り込んでもらっていましたが、プロの芝居を観て勉強するには到底不足していたので、十八歳になるとファミレスでバイトを始めました。通信制の高校だと偽り、時々日勤でも働きました。当然の結果として定期テストでは赤点が増えました。学校側にはバイトのことも感づかれていたと思います。特進クラスにいたため、私一人のために補講や追試はできないと言われ、自主退学になりました。でも、むしろ清々しい気持ちでした。

 自由になった私はカンパニー──私たちは劇団をそう呼んでいました──その広報担当を買って出ました。夏のあいだ汗だくになりながら、都内のありとあらゆる小劇場にチラシやリーフレット、ポスターを配って回りました。どの支配人も私に優しくしてくれました。あの手の人たちは、不良少女にめっぽう弱いのです。そのうち一人の紹介で、中野富士見町にあるスタンディングバーで働くようになりました。カラオケこそありませんでしたが、実質は若い人たちも来るスナックのような雰囲気でした。若手のお笑い芸人もよく訪れていました。年齢を偽って客の何人かと性的関係を持ちました。中には既婚者もいました。避妊はしていましたが、一人のクズのせいでモーニングアフター・ピルをもらいに婦人科に走ったことがあります。演出家になるための芸の肥やしとしか思っていなかった私は、彼以上にクズだったのかもしれませんが。

 カンパニーの公式ホームページやブログの更新も、多忙な年上の団員に代わって私が担当するようになりました。当時、同じような規模の劇団でインターネット上の広報がまともに機能しているところは多くありませんでした。最初のうちは頻繁に記事が更新されても、しばらくすると放置されるのが常なのです。私は熱心に役者のプロフィールや稽古の進捗、裏方の苦労話を紹介する記事を書きました。ブログに対してのコメントや観劇レビュー、匿名掲示板での書き込みを自作自演したこともあります。足がつかないように複数のネットカフェを使っていました。それなりに効果もあって、その秋の公演は過去最高の動員数を記録しました。つけ上がった私はリピート上演の会場手配含め、渉外活動を一手に引き受けました。ところが、冬を前にしてあっさりカンパニーは解散してしまいました。主役を演っていた女優にお子さんができたのです。社会人中心の小さな演劇集団を空中分解させるには、それだけで十分でした。私はその夏作ったコネクションを使って代役を立てようとしましたが、手遅れでした。家業を継ぐ、親を介護する、正社員になる。おそらく嘘も含まれていたと思います。中途半端な理由だと私に引き留められますし、泣かれでもしたら面倒だと思ったのでしょう。

 「舞ちゃんのおかげでいい思い出になった」座長の一言がぎゅっと胃を締め付けました。「最後に集合写真を撮ろうよ」という言葉が胸をえぐりました。そんなことのために、私は頑張っていたのです。アルバイトは遅刻欠勤が続いてクビになりました。そもそも、続ける理由がもうありませんでした。私は家に引きこもって酒を飲み続けました。夜のバイトで客に奢ってもらっても、美味しいと思ったことなんてなかったのに。もう気にする必要のなくなったはずのことが頭の中に居座っていました。増刷予定だったポスターの発注期限、導入しようと思っていたプレイガイド経由でのチケット販売、取得しようと思っていたホームページの独自ドメイン、暗転中に舞台装置を入れ替えるための効率的な手順。自分の意志で追い出すことはできませんでした。眠れなくなりました。というより、それ以前からほとんど眠っていないことに気がつきました。

 半年ほど入院した病院で、私はそんな経緯を話した。退院すると父に諭されて予備校に通い、高卒認定試験を受け、演劇が盛んな大学の夜間学部に入った。演劇サークルの新歓公演をあれこれと回ったけれど、私がいたカンパニーの舞台と比べるとどうしても見劣りがした。戦争や性愛など、演目のテーマがハードであればあるほど稽古が足りないと感じた。舞台装置の汚しが甘い。サンドペーパーでおざなりに傷をつけたのが丸わかりで、ストーリーを陳腐に見せていた。中途半端にやるくらいなら、いっそのこと演技だけで表現すればいいのに。新入生相手で金を取っていないからこうなるのだろうか。これなら全国大会に出たいという一心で青臭いセリフを叫んでいる高校演劇の方がよっぽどいい。

 浮かれた新入生たち──もっとも私自身も新入生だったけれど──その騒がしい群れは大通りに沿って駅へと向かう。私は彼らを避けるため、多少大回りになっても都電荒川線に揺られて帰った。停留場のベンチに座って線路の枕木と砂利を見るようにしていても、近くの川沿いで咲き誇っている桜の色が視界の端に入り込んでくる。高校一年の春に花びらを作っておけばよかったんだろうか。

 葉桜に変わった頃、大学の講堂裏で学内一の伝統を謳う演劇サークルの公演を観た。フィジカル面の鍛錬をしっかり積んでいるのはよくわかった。しかし私にはチアリーディングのように感じられた。「頭の後ろから、もう一人の自分が自分を見ていないとダメなんだよ」というカンパニーの座長の言葉が思い出されて、途中で会場を後にした。ブルーシートで作られた劇場テントの外に出ると、コンクリートの壁に沿って積み上げられた木の箱から湿った臭いがした。同じボロボロの箱馬でも、空調の入ったレッスン場とはまるで違う香りがする。パイプ椅子に座っていたせいで腰や坐骨が痛かった。授業が始まるまでは大学図書館のソファで昼寝をしよう。軽く柔軟運動をしてからキャンパスに向かった。途中、反対側の歩道に面した定食屋の店先に行列が出来ていた。ラケットケースを背負った男女グループ、その後ろで黙ったまま列が進むのを待つ学生服を着た男……高校生なのか大学の応援部員なのか、背中からはわからない。横顔をちらっと見てから視線を前方に戻すと、一枚の紙に行く手を阻まれた。新入生だと見るや無遠慮に押し付けられる、それらビラの類には心底うんざりしていたけれど、拒否のジェスチャーすらこのときは面倒になっていた。B5のコピー用紙には文字だけが印刷されていた。『学生会館地下二階C室 本日十三時上映 映研』それは真部さんが撮った作品の上映会だった。プロのミュージシャンを目指す親友、夏目拓(たく)を追った作りかけのドキュメンタリー。

’06.10.14

「六年のゆきです。こんばんは」

「ゆきくん、こんばんは。待ってたよ」

「はい」

「で、どうでしたか」

「よくわかりませんでした」

「好きなのかどうか、聞かなかったの」

「聞きました。でも、やっぱり答えてくれませんでした」

「そうかー。玉入れの本番は、結局噛まれたの」

「いえ、噛まれませんでした」

「なんだ。じゃあ当たりってことだよ」

「でもたくさんの人が見てたから。そのせいかも」

「ふーん。なるほどね」

「まあ、でも噛まれなかったので良かったです。ありがとうございました」

「どういたしまして。あ、ちょっと待って」

「なんですか」

「この電話、一応さ、質問係だから何か聞いてくれないかな」

「え、特にありません」

「どんな質問だったか、記録をつけないとまずいんだよね。なんでもいいから」

「はあ。じゃあ一個、言いづらいんですけど」

「どうぞ。なんでしょう」

「泥棒しても怒られないのはどうしてですか」

「えっ」

「あの、一緒に住んでるおじいちゃんは結構若くって、まだ仕事をしています。会社から帰ってくると財布から小銭を出して、枕元にあるお菓子の空き箱に入れるんですね」

「へえ。小銭は持ち歩きたくないって人、いるよね」

「で、そこから時々五百円玉を盗んで、漫画とか釣りのルアーを買いました」

「あーあ」

「怒られても後から謝ればいいや、と思ってました。それから何度もやったので絶対わかっているはずなのに、怒られないんですよね」

「それは早く返して謝った方がいいよ」

「はい。僕も怖くなって、盗むのをやめてお小遣いを貯めてから返そうとしました。でもおじいちゃんは、要らない、何のことだかわからないって」

「謝らせてくれないんだ」

「そうだと思います」

「この質問も先生にはちょっと難しいな」

「あーほら。だから特にありません、って」

「まあとにかく、ゆきくんがお金を盗んだ、ってことはわかりました」

「はい」

「代わりに先生が認めます。それでどうでしょうか」

「はい。もうしません。ごめんなさい」

「私に謝ったってだめでしょ」

「えー、そうですけど。どっちなんですか」

「盗んでしまったことを認めはします」

「はあ。ありがとうございます。よくわからないですけど」

「でもやっぱりこれ、質問記録には書けないね」

「うーん。じゃあ人類が最初に家畜にした動物はなんですか」

「あ、いい質問だね。えーと、犬じゃないかな。エジプトのピラミッド? の壁画にも犬が描いてあるでしょ。あれってものすごく昔だよね。……でも自信ないからちょっと調べてもいいかな」

「半分正解で、半分外れです。最初に人間と一緒に暮らした動物は犬で正解です。だけど、犬は人間が飼い出したのではなくて、犬の方から近づいてきたんです。だから家畜とは別だ、という人もいます」

「へー、何のために近づいてきたの」

「残飯をあさるためとか……色々説があります」

「そうなのか、すごいね。先生が答えたことにさせてもらっていいかな」

「はい。ちなみに犬を除くと、山羊か羊らしいです」

「そうなんだ。どうもありがとう。じゃあ、また電話してね」

 ビル風を受けながら携帯でライブの情報を確認していると、背後から例のドアが閉まる音が響いてまた驚く。私は何度同じことを繰り返すのか、と半ば呆れながら携帯をジーンズのポケットにしまう。山手線に乗って新宿で降りる。押し寄せる人込みをかき分けながら東口アルタ前広場に出る。再度携帯で場所を調べていると、街頭募金を集める男女の声が交互に聴こえた。西武新宿駅に向かい、車道を挟んだ左側に茶色い駅ビルを見ながら直進する。車道は一方通行になっていて、私とすれ違う車の大半はタクシーだった。褐色の肌をした外国人女性が、横断歩道のない場所でこちら側に渡ってくる。車に轢かれないように彼女はストップ・サインをしていた。渡る方向から考えて普通は左手を使うところを、右手を向けていたのは宗教上の理由かもしれない。

 路地を曲がってすぐのラーメン屋の向かいで、看板を確かめる。薄汚れた雑居ビルのエレベーターに乗り五階に昇る。ドアが開くとタバコの臭いが鼻をついた。ポスター、ステッカー、フライヤー、バックステージパス、ポスター、その上に重なってまたステッカー、チェキで撮られた記念写真、フライヤー。一枚一枚の販促物はバンドの個性をそれぞれアピールしようとしているけれど、年季の入ったライブハウスの壁は結局どこも同じに見える。混沌としているように見えて、私でも名前を知っているようなバンドのステッカーはそれとなく残されているのが痛々しい。財布を出すためにリュックを下ろそうとしたけれど、思い直して携帯で時間を見る。夏目さんの出番までにはまだ少し余裕があった。

 男女共用のトイレに入ると、便器の蓋にはまたベタベタとステッカーだ。手をかけたドアノブには「使用不可」と書かれたガムテープが貼ってある。プッシュボタン方式の鍵が壊れているらしい。その代わりにスライド式のロックが付け足されている。応急処置としてホームセンターで買ってきたものが、結局そのまま使われているのだろう。そしてまた四方の壁にはポスターやフライヤー。中にはちゃんとしたコート紙で印刷されているものもある。ある程度売れているバンドなのかもしれないけれど、ライブの日付は過去のものとなっている。〝ADV、DOOR、/w、ex.〟といった内輪(うちわ)っぽい略語の数々。本当にどこのライブハウスも同じだ。きっと受付には、金髪のボブヘアでキャップを深く被った女の子がオーバーサイズ気味のパーカーを着て無愛想に座っているに違いない。手を洗って受付に向かうと、実際の店員は金髪に緑のメッシュが入っていて、パーカーではなくスカジャンを着ていた。財布から五千円札を出してお釣りをもらう。「そのチラシ、要らないです」と彼女に伝えてドリンクチケットだけを受け取り、エントランスとフロアを隔てているドアへ向かう。遮音のためにガッチリとロックされたハンドルは重く、左利きの私は苦労した。鼓膜を痛めそうなほどの大音量に思わず眉をひそめた。

 ギターロック、もしくはギターポップというジャンルだと思う。男女ツインボーカルの五人組で、ステージ前にはバンドと同じ人数の男女五名が、横一列に並んで演奏を聴いている。男女比もバンドと同じだ。逆光で黒いシルエットになった彼らは、リズムに合わせて体を揺らしながら、鳩のように首を前後に動かしたり、膝を曲げたり伸ばしたり、うつむいて頭を振ったりしていた。その人たちを除いてフロアには誰もいなかったので、私は彼らを優しい連中だと思った。この状況下においてステージ前で演奏を聴く潔さが、私にはない。しかも彼らは「ちゃんと聴いていますよ」というポーズまでしているのだから偉い。演奏しているバンドの友達か恋人、あるいはその知り合いなのだろう。もしくは別のバンドを観に来たものの「せっかくなんで前に来てください」と言われてしまったのかもしれない。仮に後者だったとしたら、早めに来なくて正解だったと私は思った。

 カウンターでドリンクチケットを渡してコーラに替える。後ろの方で座っていたかったけれど、物販ブースになっていた。仕方なく、フロアにある丸テーブルの一つにグラスを置く。安い漫画喫茶や、カラオケのドリンクバーに置いてあるのと同じようなプラスチック製だ。私はリュックを片手でぶら下げてステージの照明器具を眺めながら、サークルの補助金で電球をいくつ買えるか計算していた。口に含んだコーラの炭酸が弱くてやけに甘ったるかった。

「……でした。名前だけでも覚えて帰ってください。次で最後の曲です」

 ステージ前の五名が知り合いだとして、私だけに向けた言葉なのだろうか。だとしたら聞き逃してごめん、でも聞いていたとしてもすぐに忘れてしまうだろうな、と私は思った。

 あまりの手持ち無沙汰にグラスがほとんど空になるくらいの、長くて退屈な曲が終わった。ひとしきり拍手をしてステージ前から散っていく五人は、ホームルームが終わった直後の中学生のようだった。炭酸の抜けきった最後の一口を飲み干すと、後ろから三脚を伸ばす小気味いい音が聴こえて真部さんだと気づいた。「手伝います」と私は声をかけた。

 「じゃあこっちのカメラ、セッティングはするからRECだけ押して。俺は今日も手持ちで撮るから」

 ファインダーのモノクロ画面を覗き込む。画角とピントはしっかりステージに合わせられていた。真部さんは二台のカメラを同期させるために必要な、カチンコ代わりの手拍子を打つ。後藤の顔を初めて見たのも、このファインダー越しだった。けれど、どんな顔をして演奏していたのか、私はまるで覚えていない。

’06.10.21

「六年のゆきです。こんばんは」

「はい、こんばんは」

「この間はありがとうございました」

「あ、おじいちゃんに謝れたんだ」

「いえ、そうじゃないです。返そうと思っていたお金で、トランプを買いました」

「トランプ。なんでまた」

「昔よく手品を見せてくれたのを思い出して。でも、僕が学校に持って行ってなくしちゃったままで」

「うんうん」

「それでおじいちゃんに渡したら、そんなのいいから囲碁をやろうかって」

「囲碁が好きなんだ。おじいちゃん」

「そうですね。アマチュア初段って言ってました」

「で、教えてもらってるんだ」

「はい、そうです。結構面白いです。麻雀も強かったって言ってました。四人いないとできないですけど」

「へー、よかったね。では今回の質問をお願いします」

「あ、はい。じゃあ……世界に果てはありますか」

「よかった。それくらいは先生、答えられるよ。約百三十七億光年だったかな。その先に世界、というか宇宙の果てはあります。なぜなら百三十七億年前に宇宙が生まれたとされているからです。それより遠くを見ようとしても天体や宇宙そのものが生まれていないので何も見えません……でもゆきくんなら知ってるでしょ」

「じゃあ、さらにその先は本当に何もないのかって思わないですか。たとえば三次元の世界を超えて」

「……思う。だけどそれは誰にも観測できないんだよ」

「だったら『果てはある』は不正解ですよね」

「そうだね。でも、確かめようがないんだから『果てがない』って言い切ることもできないよね」

「そう。だからどっちも不正解、っていうのが正解です」

「……なるほど。えっ、もしかして最初からわかってて聞いたの」

「あ、はい」

「やられた。先生の負けです。ゆきくんは囲碁、たぶん強くなるよ」

「小学校六年から始めても、そんなに強くはならないですよ」

「……プロになろうとするなら、そうなのかもしれないね」

「じゃあ、また質問があったら電話します」

「はい、待ってます。元気でね」

 夏目さんと後藤のユニットを観たのは、七月末の高円寺だった。前期の試験が終わった後で、自分たちの映画がクランクインする前のことだ。そこは新宿のライブハウスと似たような広さで、違いと言えば地下にあることと、テーブルが丸ではなく四角だったことくらいだ。広さに対してエアコンの数が足りていないのか、ひどく蒸し暑かった。喫煙スペースには業務用の空気清浄機が置かれていたけれど、何か仕切りがあるわけでもなく結局ハコ全体がヤニ臭かった。夏目さんたちの前に演奏したバンドは、やはりギターロックで確か三人組だった。私はそのときもロングショットに使うカメラの設置を手伝った。真部さんがスタッフと交渉し、私はフロアより一段高く作られている音響ブースの中に入れてもらった。それなりに客が入っていて、普通に三脚を立ててもステージ全体を映すことができなかったからだ。
 
 夏目さんと後藤は楽器やマイクのセッティングを終えて、一度ステージの袖に捌けた。画角を合わせるのに手間取っていた私は焦った。普通は何かSEを流して改めて登場するところを、二人はなぜかそうせずにふらっと戻ってきた。夏目さんは上手(かみて)側キーボードの奥、後藤は下手(しもて)側ギターアンプ手前の椅子に、それぞれ座った。ブースは狭く、調光卓の脇に置かせてもらったグラスに肘が当たらないよう気をつけながら、私はどうにか撮影の準備を間に合わせた。

 真部さんが手拍子を打ち、その後に聴こえてきたのは、あのドキュメンタリーの最後に夏目さんが演奏していた曲だった。しかし同じ歌には聴こえなかった。メンバーもアレンジも違うのだから違和感があって当たり前かもしれない。けれど歌詞が耳に入ってこなかった。むしろベースやドラムがいなくなって、鍵盤とギターだけのシンプルな編成になったのだから、夏目さんの声は際立ってもいいはずなのに。スーパーマーケットで流れるBGMを大音量で聴かされているような気持ち悪さだ。

 私はファインダーを覗くのをやめて肉眼でステージを観た。モノクロだった世界がカラーになる。色彩の情報が入ることで、私の頭はさらに混乱した。もちろん、私の目に映っているのはステージの上で叫ぶように歌っている夏目さんだ。それなのに彼の額の汗は、照明を浴びて吹き出すただの生理現象でしかなかった。両手の指は、曲の展開を進めるためだけに鍵盤を叩いている。見開いている目は、何かをずっと睨みつけているようで、何も見ていない気がした。あるいは演奏している自分自身を俯瞰しようとしていたのかもしれない。やっと瞬きをするのかと思えば、そのまま目を閉じて顔をしかめる。何に集中しているのだろう。歌の音程なのか。それともリズムだろうか。まぶたが開くと今度は少し虚ろな目になる。表情の変化するタイミング、それら全てがおかしい。曲調やリズム、展開とまるで合っていない。私の時間感覚も狂ってしまったのか、液晶モニタの表示を見ると既に二十分以上経過していた。

 あの春、学生会館の地下二階のスクリーンで、カットインする落日の風景と絡み合っていたメロディ、穏やかに流れ込んできた一つ一つの言葉、優しいピアノの音色。それらは彼の伸び切ったシャツの首回りと同じように、よれてだらしなく意味を失っている。私が飲み干してステージにかざしたプラスチックグラスの、安っぽい薄緑色の向こうに映る夏目さんは、まるで亡霊のように見えた。その曲のアウトロが終わると、鍵盤の音色を替えるスイッチがカチカチと鳴った。それから(最後は新曲です)と夏目さんが言ったような気がしたけれど、ハウリングし始めたギターの音でよく聞こえなかった。

「音楽やるしかない人に音楽やらされてるのって、どういう気持ちですか」

 ライブが終わりバータイムになったフロアの片隅で、私は後藤にこう尋ねた。夏目さんの横で音の隙間を埋めていただけのギタリストだ。

「……すいません、誰ですか」

真部さんの後輩だと説明した。

「じゃあ、俺と同学年だ。学部どこ」

「質問に答えて欲しい」

「……俺もあの人も自分がやりたくてやってると思うけど」

「じゃあ終わった後のアンケートをあなただけが配ってるのは何で」

「夏目さんより年下だからそんな感じの分担というか」

「そういうことじゃなくてさ……とにかく見ててこっちが辛かったよ。あれなら演らない方がマシだと思う」

「まだ組んで間もなくて練習不足だったのはある。ごめん」

「技術とかそういうことでもなくて……でもそう思ってるなら金取らないで欲しいなあ」

「じゃ、次回はゲスト扱いでドリンク代だけにさせてもらうってのはどうかな」

 話にならない。こんなときに手っ取り早く距離を詰めるには、と私は考えてしまったのだった。

 次のライブは直接告知して、私はそう言って連絡先を交換した。夏目さんと真部さんは喫煙スペースで動画をチェックし始めていた。お疲れ様でしたと声をかけ、返事を待たずに防音ドアを抜ける。傾斜のきつい狭い階段を上って商店街に出る。エスニック雑貨店のシャッターが半分だけ下りていて、更紗のロングスカートをはいた店員の足元が見えた。アーケードの屋根のせいなのか、息苦しいような暑さは変わっていない。後藤にメールを打ち、早足でアーチをくぐってJR高円寺駅二番線ホームで待つ。二枚重ねで着ていたタンクトップの首元を掴んで、自分の鼻に持ってくる。煙草の臭いと柔軟剤の香り。目をつぶるとその向こうに少し汗の臭いがした。まあこれくらいは大丈夫だろう、と思った。と同時に安堵した自分と一連の仕草、それによって見えた胸の谷間がきたなく思えたけれど、二人の演奏を思い返して湧く怒りで誤魔化した。

 青い英字が大きくプリントされたTシャツにジーンズという服装で、ギターケースを背負った後藤はだるそうに階段を登ってきた。髪と肌の色素が薄いこと以外は、どこにでもいるような顔をした男だ。私を見る目が三白眼になっていたけれど、かといって睨んでいるというわけでもなさそうだった。疲れと酔いのせいかもしれない。

「なんで自分の家に帰らないの」

 後藤は背負っていたギターを地面に降ろして、愚問を投げかけた。ショートパンツから出ている私の脚を見ながら。

「今からだとバスの時間がギリギリで、それ逃すと面倒くさくて。明日は四谷に用があるから泊めてくれると助かるな」

西武新宿線の沼袋で一人暮らしだと後藤はライブハウスで言っていた。

「俺の家もそんなに近いわけじゃないよ。駅から十五分ぐらい歩くし」

右手はギターを支えていて、左手は採血を待つ人のように親指をぎゅっと握り込んだり緩めたりしていた。腕には血管が青く浮いていた。

「そっか。彼女とかいるなら、そう返信してくれればよかったのに」
「いたけど別れたよ」

左手はまた親指を握り込んでいる。

「ふーん。引きずってるのか」
「……まあ、そういうことでもなんでもいいよ。新宿乗り換え? こっちは高田馬場行きだから向こうのホームに快速が来るよ」

後藤の黒目はほとんど半月のようになっていて、私を牽制しているようだった。

「そっか、わかった。じゃあね」

私は笑顔を作って立ち去った。

 少なからずプライドを傷つけられた私は賭けに出た。私と後藤が乗る電車はどちらも、一駅先の中野を経由してそこから分岐する。私は後藤の言った通りに、先発する新宿方面行きの快速に乗った。ドアのガラス越し、向こうのホームに見えるはずの後藤に手でも振りたかったけれど、車内の混雑でそれは叶わなかった。中野でドアが開くと同時に飛び出して階段を駆け降り、電光掲示板を慎重に確かめ、五番線のホームに上がって後藤が乗ってくるはずの車両の到着位置、黄色い線の内側で待った。気づいて降りてくれば私の勝ち。気づかなければ私の負け。気づいたとしても降りてこなければ、それも私の負けだ。

 見つかったときに息が上がっているのは格好悪いと思った。横隔膜が下がるのを意識して、腹式呼吸でゆっくり息を吐く。高校生だった頃、カンパニーで教えてもらった通りに。吐き切ると、また深く吸いこむ。ブラのワイヤーが肌に擦れて少し痛かった。ハンドタオルで額と首回りの汗を拭いて、南口方面を眺める。ホームの屋根とその向こうに建ち並んだビルで、夜空はあまり見えない。通りの先に見えている唯一の切れ間も、街明かりのせいで曇っているのか晴れているのかさえわからなかった。視覚障害者用の誘導チャイムが階段の奥から聴こえたかと思うと、電車の到着を知らせるアナウンスにかき消された。

 結果は私の不戦勝だった。私に横顔を凝視されているとも知らずドア付近に立っていた後藤は、自分の意思とは関係なく、降車する多数の乗客のため一旦ホームに出なければならなかった。後藤はギターケースを抱きかかえながら、ホームと車両の隙間に注意しつつ足元を見ながら降りてきた。そして私の脚に目を留めた。顔を上げた後藤は、文字通り息を飲んで目を丸くした。三白眼ではなくなったし、のど仏が上下したのもわかった。色素は薄いのに瞳は真っ黒なんだとこのとき気づいた。

 後藤はギターを抱えたまま立ちつくしていた。乗り込む人たちの邪魔になっていたので、私は駅名表示板の下まで後藤の腕を引っ張っていった。電車が発車してしまうと、後藤の驚いた表情を思い返し、声を出して笑った。後藤は呆然としながらもおそらく無意識に、また私の脚に視線を向けていた。無言のままギターを足元に置くと、私の悪戯だと理解して両手で頭を抱え、体で支えきれずに倒れそうになったギターを慌てて手で受け止めた。一連の動きが間抜けで、さらに私は笑った。どうにか呼吸を整えハンドタオルで涙を拭うと、誘導チャイムがはっきり聴こえた。後藤は脚を肩幅より少し広めに開き、垂直に立てたギターの頭を両手で押さえながらうつむいていた。私に顔を見られないようにしているらしい。その体勢のまま鼻で息を吸ったり吐いたりしている後藤は、笑っているようにも見えたし、泣いているようでもあった。私は茶色がかった細い髪とつむじ、そして真っ赤になった耳を見ていた。呼吸が落ち着くにつれて耳はだんだん白くなっていった。私が頭に手を置くと、その上にそっと自分の手を重ねてきたので、抵抗をやめたのだとわかった。

 中野からタクシーに乗ろう、割り勘すればたいしたことないし、と私は提案した。後部座席で私たちは自分たちに歯止めをかけるように空疎な話をした。

「演劇やってたことあってこのあたりに小さい劇場があってさ」
「この公園は平和って名前がついてるけど実は元々刑務所だってよ」

……エアコンが効いた車内でつないだ手の、指と指のあいだで汗が混じり合っていた。指の付け根にあるごつごつした骨を私が指先で撫でると、頬の筋肉が動いたので歯をくいしばったのがわかった。後藤が仕返しに私の手のひらの中央に親指で円を描いてきたので、右手でシートベルトを握った。後藤はギターケースのポケットの中を手探りし、部屋のキーを出して私に渡した。受け取るとすぐに後藤はタクシーを停めて、財布から千円札を二枚出して料金を払った。リュックから財布を出すまでもなく後藤が首を振ったので、私は頷いた。言葉は交わさなかった。私たちはそれどころではなかった。

 軽量鉄骨のアパートの二階に上がり、日中の熱が籠もったままの部屋に入ると、鍵をかけた音を合図に私たちは靴を脱ぎながら舌を絡ませた。後藤がぞんざいに立てかけたギターケースが倒れて、不協和音が響いた。後藤はタンクトップの下から手を入れ、私は後藤のジーンズのボタンに手をかけた。後藤は自分でTシャツを脱ぎ、その間に私はブラのホックを外した。玄関は狭くて肘が壁紙に擦れた。後藤はすぐそばにあったユニットバスのドアノブを回した。後藤を押し込むように中に入りトイレに座らせて、後藤のジーンズと下着を下ろし、髪を耳にかけてくわえた。私の頭を両手で掴んで自分から引き剥がした後藤は、私を立ち上がらせて中に指を入れた。二人でシャワーカーテンの内側に移って後藤が蛇口をひねり、私はバスタブの縁に片足を乗せて後藤の首に腕を回した。水面が膝下まできて後藤は射精した。私は洗面台で手を洗い、膝を折り曲げ向かい合って湯船に浸かると、しばらく黙ってから後藤は私に謝った。避妊の心配をしているのかと思い、ピルを飲んでいることを話すと「それもあるけど」と言った。私は風呂の栓を引き抜いて後藤の肩に手をかけて立ち上がり、ボディソープをワンプッシュして軽く手に馴染ませ、後藤の手と絡ませた。タクシーの中で後藤にされたのと同じように手のひらに円を描いた。私が目を開けたまま舌を出すと、後藤は挑発に乗ってそれを貪った。触って確かめようとする私の左手は振り払われたので、背を向け壁に手をついた。耳の後ろあたりが痺れながらも、トイレタンクの上に置かれたラックに女の影がないか確認している自分にいらついたので、いつのまにか掴まれていた右手首を振りほどき、後藤の左腕を掴み返して爪を立てた。後藤は指も使ってきて私はいった。

 柔軟剤の匂いがしないユニクロのTシャツとハーフパンツを借りた。ベランダがない部屋で、代わりに奥の壁には大きな窓があった。その下に横向きで置かれたパイプベッドに腰掛け、ドライヤーで髪を乾かした。後藤は冷蔵庫から取り出した浄水カートリッジ付きのポットでグラスに水を注いでいた。どこにでもある一人暮らし向けの1K、広さはおそらく六畳。中央に置かれたローテーブルには白いノートパソコンが一台、公共料金の明細やシラバス、数冊の漫画、ストローの刺さった紙パックのコーヒー牛乳。水色のカーペットが敷かれた床は、ギターのケーブルや小物類、ネット回線の機器等で散らかっていた。右側の壁にはパルプ製の本棚が並んでいる。ハードカバーの小説や漫画、新書、百円シールの貼られた文庫本、大量のCD……授業で買わされるような参考図書や高校の卒業アルバム、ギターの教則本が混ざっている以外は、四谷の「巣」にあるメタルラックと似たようなラインナップだ。そう思いながら奥から手前に目を移していくと、私の座っている右足の近く、枕元に一番近い本棚が絵本で埋められていた。私はドライヤーのスイッチを切って、人差し指で一冊取り出し、表紙が見えるよう膝の上に乗せて後藤が戻ってくるのを待った。

 「これ、児童館で見たことある」そう言うと後藤は「トトロでサツキとメイちゃんが読んでたの、その絵本だって知ってた?」と顔を赤らめながら言った。私が首を振ると

「俺ね、児童文学勉強したかったんだよね。児童文学のゼミがあるところ、日本で二箇所しかなくて。しかも一箇所は女子大。だからどうしても入りたくて一浪までしたんだけど、ちょうど入れ違いで目当ての教授が定年退職しちゃった」

後藤は早口でそう語り、水の入ったグラスを渡してくれた。

「年齢くらい調べときなよ」

受け取ったグラスは飲まずにローテーブルの上に置いた。

「いや、盲点だったんだよなあ。だから自棄(やけ)になって音楽やってるところある」

後藤は枕の近くに座っている私の左隣に座って、また私の脚を見ていた。

「そんなにじろじろ見る人も珍しいよ。大抵は気づいたらすぐ目を反らすね。遠目で観察されることはたまにあるけど」

「……いや、いくら夏だとはいえ、隠すことだってできるわけでしょ。あえてショートパンツはいて隠してないってことは、見られても構わないっていうことだろうと思って」

「にしても凝視するのはどうかな」

「気になって見てしまった以上、目を反らした方が逆に失礼なんじゃないかっていう。ジーンズはいてる女の人の脚なら、しばらく見てたって不自然じゃないでしょ」

「エロい意味で見てるのかと思ったよ。こういうのが好きな人もいるから」

「エロい意味でも見てたよ」

後藤は私がはいているハーフパンツの裾から腿の内側に手を入れようとした。

「スキーで曲がり切れなくてリフトの支柱に激突したんだよね」

後藤はそのシーンを想像したのか手を引っ込めながら、いっ、という口の動きをした。

「両脚とも折れて。ここは固定用の金属プレートを出し入れした痕跡(あと)。これでもかなり薄くなってきたんだけど」

両膝の正面から脛にかけて赤く残っている二つの手術痕を見て、後藤は同じ口の形をしたまま片目をつぶった。そして「……文化系っぽいのに意外だね」と言いながら立ち上がって、蛍光灯の紐を引っ張り、常夜灯だけにした。

「どっち側に寝るのがいいのかな」と後藤は言った。

「普通は女から見て男が右側じゃない?」

「そうなんだけどさ、それって男が右利きだからでしょ。女性が左利きの場合どうなんだろって」

「左利き同士でやったことないから、そんなこと考えもしなかったな。そもそも人の左側が癖になってるし。横並びでご飯食べるときに右側だと腕がぶつかるから」

後藤は結局私の右に寝そべった。私たちはなかなかいけなかった。「腕が当たってやりづらいね」と言いながら覆いかぶさってきたので、私は両手を使った。私のへそのあたりに出した精液を後藤はティッシュでぬぐい、ゴミ箱に捨て、また私に謝った。私は別にどっちでもよかった。後藤が再び横たわると、私は傷跡(きずあと)が出来るまでの経緯を話した。

「それで、考えたくないのにカンパニーのことで頭が一杯になってるのが怖くてさ。家でひたすら缶チューハイ飲みながら、ツタヤで借りてきたギャング映画を観まくってたのね」

「『ゴッド・ファーザー』とか?」

「そうそう、アル・パチーノとロバート・デニーロが出てるやつは山ほど観たよ。有名じゃないのも含めて手当たり次第に観た。自分とは全く違う世界で人が殺し合ってるのってさ、不思議と癒やされるというか」

「わからなくもないような」

「自分と繋がってるものは観られなかったんだよ」

「繋がっていないものなんて一つもない気がするけど」

「そこはさ、なんとなくわかってよ。で、いい加減その二人に飽きてきた頃に、両方が出演してる『ヒート』って映画を観て」

「聞いたことあるかも」

「ギャング映画じゃなくて、アクション寄りのクライムサスペンスだったのね。銃撃戦から車で逃走するシーンとかあるわけ。それで今度はアクションとかカーチェイス系ばっかり観るようになって、そしたら車に乗りたくなって。でも私、免許持ってないからさ。気づいたらバスに乗って軽井沢のスキー場にいた」

「……いや、ちょっと待って。支離滅裂じゃない? 映画は自分と繋がってないから良かったんじゃないの」

「そっち?」

「車からスキーに飛んじゃうのも全然意味がわからないけど」

「なんかね、アイデアなんだよね。今日もさ、私、中野で待ち伏せしたでしょ。思いつきで。同じような感じなんだよ」

「それと自殺未遂は一緒じゃないでしょ」

「死のうとしたというよりさ……車に乗ってスピード出すのって楽しそうだなあ、でも運転したことないし、酒は飲みたいしなあ、ジェットコースターは違うな、自分で制御したいし、でも人に迷惑はかけたくないし。そういえば中学の修学旅行でスキー習ったな、スキー場って酒飲んでてもいいのかな、別に問題ないみたいだな、道具は全部レンタルできる。よし、これだ、っていう。で、あんまり人がいない上級者コースのリフトに乗ってた。スキー場で飲酒が許されてるのって、よく考えたらおかしいよね」

「おかしいのはあなたでしょ」

「それはそうだけど。本には観念奔逸って書いてあったよ、こういうの。英語だとフライト・オブ・アイデア。個人的には英語の方がしっくりくるかな」

「飛び降りもそういうことなのかな」

「死のうと思ってなかったんだって……少なくとも私は。医者には、死んでもおかしくない行為をしたことには間違いないですねえ、って言われたけど。じゃあヒマラヤの未登頂ルートを登ろうとする人たちとどう違うんでしょうか、って言い返したら、一本取られたなあ、っていう顔をしてたね」

「話だけだと呑気に聞こえるんだけどな……」

後藤は傷跡のあたりを手探りして撫でた。

「入院してる間はね、ある意味楽しかったよ。先生たちにとっては大変な患者だっただろうけど。心と身体って、全然別だからね。リハビリは辛かったけど、脚がだんだん回復すると同時に、心も正気を取り戻したって感じかな。病院は生活リズム安定するしね。酒も一切やめたし」

後藤は私の膝を優しく二回叩いてから、充電ケーブルと繋がれた携帯の画面を見て時間を確かめた。

「いつも何時に寝てるの」

「十二時半には」と私は答えた。

「じゃあもう寝よう」

 私たちはもう一度ユニットバスに向かった。私はお腹から下を、後藤は下半身を軽くシャワーで流した。ベッドでうつ伏せになっている後藤の肩が規則正しく動いているのを確かめてから、テーブルの上ですっかりぬるくなってしまったグラスの水で薬を飲み、眠りについた。

 私たちはそのまま二人で七月最後の三日間を過ごした。四谷に用があると言ったのはほとんど口から出まかせだった。私が助監をやる映画の撮影開始は八月からで、後藤は同じタイミングで長野に行き、過疎の村に長期滞在するということだった。地域振興のためのアートプロジェクトとやらに夏目さん達と一緒に参加して、武者修行をするという。曲を書いたり、廃校になった校舎や老人ホーム、成人式後のお祭り会場で演奏したりすると言っていた。プロのミュージシャンもゲストで来るのだと興奮気味に話した。聞き覚えのないアーティストだった。長野では夏に成人式をする地域が多いということを、私は初めて知った。

一日目、私たちは家でセックスばかりしていた。一度だけ食料を買いに外に出た。太陽は真上にあって、アスファルトに陽炎が立っていた。借りた黒いシャツがじりじりと熱くなり、私は遠くで揺れているコンビニの青い看板を眺めた。

「そっちはダメ。俺の元バイト先。こないだバックレたんだよね」と後藤は言った。「バンドマンらしいね」私が嫌味を言うと「そうじゃなくてさ」と後藤は逆方向に向かいながら、事情を話してくれた。

「時給がよくて近所だから始めたけど、夜勤を牛耳ってるリーダーが最悪で。直営じゃなくてオーナー店舗だからやりたい放題。煙草を盗るのは当たり前。棚卸しも発注も全部そいつが担当してるから、携帯の充電バッテリーとか、微妙に高額なやつ、そういうのもバレないぐらいの頻度で盗って、客に万引きされたっていう扱いにして処理するわけ。廃棄期限が来る前に食いたい弁当を前もってバックヤードに隠す、ってこともやってた。その頭を別のところに使えよ、っていう。あと、オマケが付いてるペットボトルのジュースってあるでしょ。そのオマケを納品される時点で一部抜き取って、開封しちゃってレアものをネットで売るのよ。客は気づかないんだよね」

「防犯カメラがあるでしょ」

「死角があるし、細工もしてた」

「……タチ悪いなあ。店長に言いなよ」

「いや正直さ、金ないでしょ。長野の滞在費も貯めないといけなかったし。廃棄弁当で食費が浮くのは助かった。夜勤って二人体制なんだけど、雑誌の納品とかを片付けちゃえば接客は一人で回せるのね。本当はダメなのに交代で仮眠取らせてくれてすごい楽だったし。漫画も読みたい放題だったし」

「要するに買収されてたんだ」

「……そうだね。履歴書見られてるから俺の住所もバレてるし、報復されそうで。さらに恐ろしいのは店長夫婦に対しての猫の被り方ね。商品の補充とか基本的なことは完璧にやるし、クリスマスケーキとか、おせちとか、イベントのポップ配置を考えたり、っていうのは率先してやるわけ。それで実際に売上が伸びたりするんだよ」

「怖い話だね」

「極め付けはクレジットカードを使った犯罪なんだけど……」

 後藤の元バイト先とは別のコンビニで、私たちは食料を買い込んだ。正午過ぎの店内は清潔で白く、そして涼しかった。自動ドアを出ると気温差でこめかみのあたりが痛んだ。コーヒー味のパピコを分け合い、後藤はバイトリーダーの手口について話を続けた。

「やるのは月に二回あるポイントアップデーで、レジ打ちしてるときね。商品のバーコードを読み取って、合計金額を伝えたら袋詰めする。その間に客は現金を出す。ここまでは普通の流れ」

私は吸い口をくわえながら頷いた。子供の頃とは食感が変わっている気がした。

「で、客が出した金額をレジに打ち込みつつ、同時にお釣りの金額は頭で計算しておく。ここが重要。普通は金額を入力したらその流れで現計(げんけい)キーってのを押して釣り銭を渡すんだけど、そうせず暗算した金額をしれっと客に渡しちゃうんだよ」

「……どういうこと?」

「たとえば会計が千円だったとして、客が一万円出したら金額を打つ素振りだけ見せて、会計処理を完了させずに九千円ぱっと渡しちゃうってこと」

「何の意味があるの?」

「代金の千円はそいつがレジからもらっちゃう」

「いやいやバレないわけないでしょ。しかもレジから直接盗る方が早いし」

「じゃなくて、その後そいつのクレジットカードで決済するんだよ」

「えっ……でもそしたら結局そいつの銀行口座から引き落とされるわけでしょ」

「カードのポイント分は丸儲けなんだよ。塵も積もればってやつ」

「うわ……なるほど。そういうことか」

「客がピッタリの金額を出してくれたら暗算が要らなくてラッキー。レシート下さいって言われたときは作戦失敗。事前に両替ボタンを押しておいて現金入れを開けておくのを忘れずに、だってさ。横で見てたけどびっくりするぐらい客は気づかないね。お前も手伝えって言われたけど、さすがにシャレにならないと思って次のポイントアップデーが来る前に逃げた」

「まあ、それは正解だったんじゃないかな」

「売上履歴をよく見れば店長が気づくだろうし、でなくともそのうち本部に見つかるからね。バックレたら何かされるかなとも思ったけど、俺も窃盗までは黙認してて廃棄弁当の件については共犯だし。俺が警察に言ったりしないって向こうはわかってるからね。でも気持ち悪いから秋には引っ越すよ」

 アパートに着いた頃にはパピコがほとんど溶けてしまっていた。

 二日目、私は例の思いつきで「今後二人が一生しないことをしよう」と提案した。後藤は少し考えて「シンジケートを作ろう」と言った。私がマフィア映画好きだと思ってそう言ったのかもしれない。「何を言っているんだお前は」と私は思ったことをそのまま口に出した。「海は?」と聞いてきたので「水着がないし、泳げない」と私は答えた。「じゃあ、サンリオピューロランドに行こう」閃いたのは後藤だった。一日目に洗っておいたタンクトップを着ると、柔軟剤の匂いが少し薄くなっていた。

 その日の太陽も容赦がなかった。アパートの敷地を出ると日焼け止めを貸してくれと言うので、歩道の上で顔に塗ってやった。気をつけする姿勢が可笑しかった。ぎゅっと目をつぶったので、一重のわりに長いまつげがほとんど見えなくなった。塗り始めると指先が少し反ったのも笑えた。私もうなじから肩甲骨近くにかけて塗ってもらった。いやらしい触り方はいくらでもできたのに、後藤は適当にぺたぺたごしごしと塗ってくれた。いまはそんな感じではない、そういうことがお互いわかるようになっていた。駅まで歩く道の途中に教会があって、グレーの修道服を着たシスターが生け垣に水を撒いていた。横顔の綺麗な人だった。長袖でも汗ひとつかいていないのは修行の賜物なのだろうか。後藤の背中に早くも染みが出来ているのを見て、そう思った。

 沼袋から新宿へ出て京王線に乗り換え、最寄り駅の多摩センターに向かった。ピューロランドの室内は子供たちで溢れかえっていた。私たちは「えっ、可愛いんですけど」「俺、あのキャラの給食袋持ってたなあ」などと言いながら、着ぐるみを取り巻く人々の群れに小走りで近づいた。人だかりの隙間からキャラクターを覗き込もうとして飛び跳ねる私を、後藤は抱きかかえて持ち上げてくれ、私はキティちゃんに手を振った。有名キャラクターは子供たちに独占されていたので、所在なげにしていたペアのうさぎを見つけて後藤の手を引いた。二人でふかふかした頭を抱きしめた。ステレオタイプな恋人たちに成りすました自分たちの演技について、感想を言い合って笑った。それから混み合ったレストランに入り、キャラクターの形をあしらった青いカレーを二つ注文した。ティファニー・ブルーの食べ物を初めて見た。目や口を模した食材の配置を変え、どちらがより不細工にできるかを競った。勝った後藤はパフェを頼んだけれど、結局ほとんど私が食べた。

 レストランを出るとちょうどミュージカルショーが始まる時間だった。シアターはほぼ満員で、上演直前に駆け込んだ私たちは後方の客席に座った。ショーが始まると、私は頭の中で舞台美術と衣装の予算を見積もりした。横顔を見ると後藤は真面目にストーリーを追っているようだった。私が肩に手を置いて「どう?」と聞くと、後藤はしばらく沈黙し、これ以上は小さくできないというくらいか細い声で「……可愛い」と呟いた。笑いを押し殺しながら耳元で「LSDキめながら観たら楽しそうだね」と囁くと、例のごとく目を丸くして驚いてくれたので満足した。それからショーが終わるまで、私は周りに座る親子連れの後頭部を一席ずつ観察しながら「繋がっていないものなんて一つもない」という後藤の言葉を反芻していた。

 ピューロランドを出て乗った京王線の車内で「ついでによみうりランドに行こう」と私は提案した。「テーマパークをハシゴするなんて一生しないから。ダメ押しで」と続けると、後藤は「今から行っても絶対回り切れないだろ」と反対した。私が最寄り駅でぱっと降りてしまうと、後藤は呆れた顔でついてきた。私は絶叫系のアトラクションには乗れなくなっていたし、むしろ時間としてはちょうどよかった。後藤は元からその手の類は苦手だと言っていた。私たちは観覧車に乗り、夕陽を眺めてキスをした。花火がないのは残念だと後藤は言った。演技であるとかないとか、そういうことはどうでもよくなっていた。

 
 三日目、私は「町に出て金を手に入れよう」と言った。この二日間で思った以上に散財してしまっていたからだ。「じゃあまず目出し帽を買わないと」私は後藤の言葉を無視して乱れたタオルケットを畳み、ベッドの隅に追いやった。向かい合って正座をし、私は黒いリュックの底からベロアのポーチを出して言った。

「これは緊急用に取っておいたものです」

後藤は神妙そうに頷いた。後藤に見えないようポーチの中を覗き込み、白いリボンをほどいて箱の表面に書かれた文字を慎重に指で隠しながら、黒のリングケースを取り出した。

「わかる人には色でわかります」

「……よんどしい」と後藤は答えた。
 
 私は相手の手札を読むような気持ちで注意深く後藤の顔を見つめていたけれど、本気で言っているのか、わざと間違えているのか判断がつかなかった。人差し指をずらしてBVLGARIの文字を見せても、下唇を噛んだまま鼻からふっと息をついただけだった。おそらく知ったかぶりをしているのだ。

「これは夜のバイトをしていた頃に客からもらった、新品未使用のビーゼロワンです」と私は説明した。

後藤は「新品未使用のビーゼロワン」と復唱した。

ケースを開けて指輪を見せると「そのとき、女子高生だったんだよね」とにやけながら聞いてきた。

「そう。中退してたけど。というか大学生ってことにしてたけど」

「他の女にプレゼントし損なったのを処分に困って流用したんじゃないの」

私も同じ意見だった。

「にしてもコンドームの名前みたいだよね」私の言葉で後藤は噴き出した。私も笑いそうになったけれど

「ちょっと、つば飛ばさないでよ」と制して黒い箱を閉じた。

「これを質屋に持って行きます」 

 私たちは各駅停車の車内で伊丹十三の話をした。乗客が少ないせいか空調が効きすぎていて寒く、借りたポロシャツのゆるい袖口のせいでなおさら体が冷えた。私は自分の腕をさすりながら後藤に尋ねた。

「ね、伊丹十三が質屋に行く映像って知ってる?」

「知らない」

「映研の溜まり場にビデオがあったから観たんだけどさ。TV番組なんだけど、本人が出演してて。アンディ・ウォーホルのシルクスクリーンを持ち込んで、三十万借りようとするっていう」

「缶の絵?」

「じゃなくてマリリン・モンローの方。でも、質屋さんは全然知識なくてさ。伊丹十三は必死に絵の価値を説明するわけ。ニセモノでしょって言われたら、ホンモノですよおって言い返して。でもこれ印刷でしょ、って言われたら、そうなんですよお、それがこの作品の凄いところなんですよお、って力説して。それが結果的に作品の解説になるっていう……オチも最高なんだけど言わないでおいてあげるよ」

「へえ。俺、伊丹十三の映画一本も観たことないけど」

「嘘でしょ。私は全部観てるよ」

「あ、でも伊丹十三が翻訳した小説なら知ってる」

「そんなのあるんだ」

「サローヤンの『パパ・ユーアクレージー』ってやつ。児童文学っぽい感じなんだけどさ。文章が変で。人称代名詞を省略しないで訳してるんだよな」

「何それどういうこと」

「うーん。言葉で説明するのは難しいな……さっきの絵の話を聞いたら訳(やく)がおかしいのもうなずけるっていうか……とにかく実験好きな人なんだね。貸してあげるよ。その本と対になってる『ママ・アイラブユー』って作品もあってそっちの方が俺は好き」

「しばらくは撮影とバイトで読む暇なさそうだけどね」

 高田馬場のホームから看板が見えた質屋で、ブルガリの指輪は二万円に換わった。

「これ、ビーゼロワンじゃないですね。似てますけど別の種類です……でも本物ですね」と白い手袋をした店主は言った。

一万三千円で質入れにしようとしたけれど「要らない物なら買い取りにしたら」と後藤が言うので従った。

 再び各停に乗って沼袋に戻り、女性運転手のタクシーに乗った。ワンメーターもしない距離を走る間、後部座席で手をつないでいた。私の精神障害者手帳を見せ、さっき手に入れたばかりの一万円札で割引料金を払い、アパートに帰るともう一度ユニットバスでセックスした。それは初めての夜と同じようで全く違うものだった。私は右手で後藤の腕に爪を立てた。後藤が体を拭いている間、私は浴槽にへたりこみ、白い茎のような自分の脚と、ヘアピンを伸ばして貼り付けたような両膝の赤い手術痕を見ていた。気づくと後藤は服を着ていて、私にバスタオルを手渡すと便座の蓋にTシャツとハーフパンツを置いた。

「なんで夏目さんと組むことになったの」

私はドライヤーのスイッチを切って尋ねた。

「……去年の夏も例の村に行ったんだけどさ」
隣でベッドに座っていた後藤は左手を私の太ももに置いた。

「毎年やってるんだね」私は後藤の指の骨を、人差し指から順に触って確かめていった。

「そうそう。夏目さんは前に組んでたバンドで音楽班として参加してたの。その頃俺は適当にコピーバンドのギターやってて、夏休みはすることなくて暇で。PAってわかる? 音響担当って言えば聞こえはいいけど、要するに使いっ走りで呼ばれたのね」

「頼まれたら断れなさそうだもんね」

「……で、空き家を借りてみんなで泊まるんだけど、もちろん自炊で。食料は周りの農家から分けてもらったりして」

「ふうん。楽しそう」

「いや、それがさ。まともに料理できるやつがいなくて。俺以外に」

「料理?」

この三日間、私たちはほとんどの食事をコンビニ弁当やスーパーの惣菜で済ませていた。

「……母親が料理研究家なんだよ」

「あっ、そうなんだ」私は後藤の爪を触る手を止めないよう注意した。

「ほうれん草の胡麻和え、ナスの煮浸し、ピーマンの肉詰め、玉ねぎとコンビーフのポテトサラダ、しらす入りだし巻き卵、梅とわかめの炊き込みごはん、干し海老と人参とごぼうのかき揚げ……」

「美味しそう」

「美味いよ。だからその年は音響係兼炊事当番をしただけで終わっちゃった。それで今年のゴールデンウィークが終わったぐらいだったかな? バンドがなくなった夏目さんに『料理が上手いやつはいいギター弾けるようになる』って言われて」

「そうだったんだ。作ってくれても良かったのに」

「あー、なんか嫌なんだよ。胃袋を掴むってやつ? 料理は小さい頃から母親に仕込まれて、努力しないでいつのまにかできるようになったことだから。そこを評価されても嬉しくないというか」

「夏目さんの胃袋は掴んでるのに」

「それは狙ってやったことじゃないし。話が別でしょ。これからギターで評価されればいいと思ってるし」

「……そうか」

私は後藤の指先が三日前よりも柔らかくなっているのを確かめてから、こう続けた。

「お前が映画を完成させないと俺は二十七で死ぬ」

「は?」

「夏目さんが真部さんにそう言ったの、知ってる?」

「……何それ」

「ドキュメンタリー、やっぱり見せてもらってないんだ」

「いや、前から真部さんに撮影してもらってることは知ってるけど。ネットにライブの動画を上げるためだって聞いてた」

「私が新入生だったときに上映してたんだよ。作りかけだったけど」

「知らない」

「じゃあお前はそれまでに音楽でプロになれよ」

私は自分の膝を見た。

「って真部さんは返してた。夏目さんはエロ雑誌に包丁突き立ててたよ」

「二人がやりそうなことだなあ」

「どう取るかは観てる側におまかせしますって感じで」

「もしかして夏目さん、俺がニルヴァーナのコピーバンドやってたから誘ってくれたのかな」

「さあ」
 
私が呟くと、後藤は鼻歌を歌いながらトイレに立った。

 話にならない。私は後藤と初めて会話を交わしたときと同じように歯ぎしりをした。

 冷蔵庫を開けて浄水ポットからグラスに水を注ぎ、テーブルの上に置いて後藤が戻ってくるのを待った。二人でベッドに横になり、後藤が長野の村について話すのを私は黙って聞いていた。学童保育を手伝って子供たちと川遊びをするのが、実は一番楽しみだと言った。それから唇をきつく結んでいる私を訝しんで、後藤の言葉が途切れた。私は後藤の頬を両手で包み、首を少し傾けて顔を引き寄せるような素ぶりをしながら、舌を出した。後藤はいつもと同じように目を丸くして驚いた。私は笑えなかった。もちろん後藤はキスしてくれなかった。目の前にある唇の柔らかさを思い出すと、舌と喉の奥が灼けるように渇いて、自分の馬鹿な思いつきに涙がこぼれた。レイプ目的で濫用されないように青い着色料が入っている一錠の睡眠薬を、私はガリガリと噛み砕いて口の中に広げておいたのだった。


’06.10.28

「おでんわ、ありがとうございます。こどもでんわしつもんがかりです……あれ? もしもし?」

「……はい」

「ゆきくん、ですか?」

「……先生」

「どうしたの」

「本当は僕、ゆきという名前ではありません」

「えっ」

「ゆきなり、って言います」

「そうなんだ」

「幸せに成る、って書いて幸成です」

「うん」

「……先生」

「はい、なんでしょう」

「僕の父と僕の母は二年前に離婚しています。僕は今、僕の母と、僕の祖父と三人で住んでいます。僕の父と新しい奥さんとのあいだには子供がいます」

「……そうなんだね」

「成美という名前だそうです。成るに美しいと書いて成美。どうしてですか」

「それは」

「どうしてですか」

「……お父さんから聞いたの?」

「いえ、夏休み中に父方の祖父のお葬式があって、父方の祖母が僕のことを『ゆきちゃん』じゃなく間違えて『なるちゃん』って呼んで……それで……」

「それでお祖母ちゃんから聞いたんだね」

「どうしてですか」

「先生には答えられないって、わかってて聞いてるんだよね」

「そうですね」

「本当に答えられないよ、それは」

「そうですよね」

「ごめんね」

「気持ち悪いんです」

「うん」

「別にいいんです。僕の父が僕の母を好きじゃなくなって、別の女の人を好きになっても」

「うん」

「別にいいんです。その子と僕の名前が似ていても」

「うん」

「僕の父にとっては二人とも自分の子供だから、っていうことなのかもしれません」

「うん」

「許せないのは僕の父が、僕に黙ってその名前をその子につけたことです」

「うん」

「それから、その子がいつか僕の名前を知ったときに、どんな気持ちになるかってことを考えなかったってことです」

「うん」

「裁判をすれば名前を変えられることも知っています。でもそれじゃ全然解決しないし、そんなこと別にしたくないんです」

「うん」

「僕の名前なんて本当はどうでもいいんです」

「……そうだよね」

「僕は一生、僕の父とはこのことについて話しません。いいですよね」

「それも先生には答えられないよ」

「お願いします」

「無理だよ」

「そうですか」

「……憎しみもいつか役に立つことがあるんじゃないかな」

「わかりました。もういいです」

 私たち映画研究会が夏休みに撮っていたのは、小さな市場(いちば)の最後を追うドキュメンタリーでした。その市場は、私たち学生やサラリーマンが行き交う大通りの脇道を入ってすぐの場所にありました。戦前からの長きに渡って地域住民に愛されていたのですが、次第に活気を失い、東京都から閉鎖を通告されたのです。近くにはチェーンのスーパーやホームセンターがありますし、ドンキホーテもできたので仕方ないですね。すぐそばを毎日歩いている自分たちでさえ、存在を知らなかったくらいですから。都は土地ごと売却するという方針でしたが、建物は残してほしいという町内会の要望があったので、リサイクルセンターに転用される予定です。

 九月末の閉鎖まで、私たちは交代しながらカメラを回しました。製作にあたって五つのルールを自分たちに課していました。一つ目は「ナレーションやスタッフの声を使わないこと、ただしテロップは可」二つ目は「事前に構成表・台本を書かないこと」三つ目は「フィクションを入れないこと」四つ目は「音楽・BGMを使わないこと」そして最後は「時系列を入れ替えずに編集すること」です。真部さんのドキュメンタリーとは真逆のことをしようというアイデアでした。

 市場は四階建て鉄筋コンクリート造の建物の半地下部分にあって、広さは約百二十坪、バスケットコート一面分くらいでしょうか。上の階は公務員住宅になっているということでした。以前は十一店舗あったそうなのですが、私たちが撮影を開始した時点で残っていたのはそのうち半分程度でした。八百屋さん、魚屋さん、肉屋さん、酒屋さん、花屋さんの五つです。撤退してしまった店舗があったスペースには何も置かれておらず、がらんとしていました。その空白が徐々に増えていく様子を捉えることが、私たちの狙いでした。「台本なし」というルール上、誰も口に出してはいませんでしたが。
しかし、私たちの目論見は外れることになります。それまでほとんど誰も興味を示さなかった場所だったのに、閉鎖が決まった途端、噂を嗅ぎつけて色んな学生が集まってきたのです。もちろん私たち映研もその一部でしたが。市場の最後を盛り上げようとする学生の熱意に押され、どのお店も閉鎖の日が来るまで撤退することはありませんでした。

 美大生のグループがやってきて、DIYで店舗を作りました。地域住民から古着やアクセサリーを寄付してもらい、リメイクして販売するというのです。彼らは服を並べるためのディスプレイテーブルやラックを作り始めました。インパクトドライバーや丸ノコの音が鉄筋コンクリートの壁に反響しました。当初、魚屋さんが渋い顔をしていましたが「米屋の精米機はもっとうるさかったし」と花屋さんが言ったので、納得したようでした。美大生たちの試みは悪くないように思えましたが、実用的でないアーティスティックな服ばかり出来上がり、売上は芳しくありませんでした。また、彼らはあまり接客と宣伝が上手とは言えませんでした。揃いも揃って人見知りで、なおかつ声が小さいのです。彼らは、すぐそばで肉屋さんが揚げ物をしていようが、魚屋さんがデッキブラシで床をこすっていようが、話すボリュームを変えません。彼らにインタビューする際はマイキングや録音レベルの調整に苦慮しました。デザイン科の女の子がイラレを駆使してスタイリッシュなビラを作りました。しかし、近所の古書店店主が集まって設置した百円均一の古本販売コーナーに、集客数も売上も完敗していました。古本コーナーのビラはワードを使って作られていて、フォントは創英角ポップ体でした。古本市に集まるおじさん達はもちろん、ツモリチサトみたいなワンピースや、可愛く仕立て直されたベレー帽に興味がありませんでした。

 ボランティアサークルもやってきました。彼らはまずキャンドル・ナイトを企画しました。肉屋さんからもらった廃油をリユースして子供たちと一緒にキャンドルを手作りし、終戦記念日に火を灯そうというのです。八月十日頃までは狙い通り小学生が次々とやってきました。なかなか牧歌的で良い光景でした。夏休みの宿題工作を片付けることができたので、どの親子も満足そうに写真を撮って帰っていきました。問題はその子たちのほとんどがお盆で帰省してしまったことです。ボランティアサークルの人たちは東京大空襲を知る語り部さんまで用意していました。地元の地理を研究している老舗珈琲店のマスターです。彼らは慌てて知り合いをかき集めようとしましたが手遅れでした。せっかくやってきてくれた数少ない親子も、ガラガラの市場を見て気まずそうに帰っていきました。結局、その語りを聞いたのはボランティアサークルの会員数名と市場の店主たち、そして私たち映研の撮影隊だけでした。蛍光灯を消してキャンドルを灯すと、なんだか本当に防空壕の中にいるみたいでした。ボランティアサークルのメンバーがノートパソコンを開き、動画サイトから玉音放送が流れました。最初から最後まで聴いたのは生まれて初めてでした。

 そのサークルはめげませんでした。続けて子供たちのために立案されたのは、絵本の読み聞かせ会とお絵描き会の抱き合わせでした。親子読書会の講師を招いて、青い空がテーマの絵本を読んでもらい、子供たちにチョークを渡して空に浮かぶ雲の絵を描いてもらおう、というコンセプトです。ビラ撒きやブログでの宣伝といった広報活動は一生懸命やっている様子でしたが、実際に参加したのは当日朝のラジオ体操会場で捕まった十名足らずの子供たちと、その弟や妹でした。読み聞かせは滞りなく終わりました。白と水色のチョークを渡された子供たちは、大人が描いたお手本を無視して、市場の入り口スロープに線路や花の絵を描きました。しばらくすると、小学校低学年の男の子が他の色のチョークが意図的に隠されていたことに気づき、抗議を始めました。幼児たちもそれに加勢しました。全てのチョークを手に入れた子供たちは、市場の外壁タイル一枚一枚を、モザイク状に塗り潰す遊びを発明しました。壁はまるでルービック・キューブのようになりました。美大生たちがふらっとやってきて、余ったチョークを拾うとアスファルトの道路に大きく絵を描き始めました。一人は黄色や緑のチョークを使って羽の生えた妖精を、一人はオレンジ色のチョークで魚の絵を描きました。さすがに上手なので子供たちは感嘆の声を上げ、完成するまでの様子をじっと見つめていました。「つぎはピカチュウかいて!」女の子がそう叫ぶと、午後に予定されていたフリーマーケットのお客さんがぞろぞろとやってきて、お絵描きは終了となりました。その日は夕立ちが降りました。
 他には公民館でもできそうな催しが、地域住民たちの手によって五月雨式に開催されました。フェルト教室、ガーデニングの講習、外国人学校の生徒たちとTシャツを作る国際交流会……。

 もちろん私たちはそういったイベントごとばかり追いかけていたのではありません。通常営業している店舗にも密着していました。多少の差こそあれ、撮影を開始した頃はどの店主たちも私たちに好感を持ってくれていたと思います。少なくとも「原則として何の干渉もしない」という私たちのスタンスには理解を示してくれました。これまで散々あがいてきた上での閉鎖です。急にやってきてイベントを立ち上げる他の学生たちを嬉しく思いつつも、どこか虚しさを感じていたのかもしれません。インタビューでもありのままを真摯に話してくれたように思います。スーパーの社員になる予定の魚屋さん、親戚のぶどう農家を手伝うという八百屋さん、もう齢(とし)だからちょうどいいタイミングだと語る肉屋さん、副業で儲けてるから大丈夫だと笑う酒屋さん、自宅を改築して冠婚葬祭に絞って続けようかしらと呟いた花屋さん……。

 しかし、私たちのカメラは徐々に彼らの精神的負担となっていきました。「今日は何もないから」それが彼らの口癖……というより私たちが言わせてしまっていたお決まりのセリフでした。そもそも八月というのは商店にとって閑散期なのです。私たちは日常の機微も含めてカメラに収めようとしていたので、それでも撮影は続けました。一方で私たち映研のメンバーを含め、学生たちも中だるみし始めていました。雀荘から出てきたボランティアサークルの幹事、店番が終わった美大生と一緒に公園で酒盛りをする私の同期、OBの奢りでバッティングセンターに向かった後輩たち……。助監の私もシーン番号を記入するためのスケッチブックを抱えたまま居眠りをしてしまい、監督を務めていた会長に叩き起こされたことがあります。
 
 コップから水が溢れたのは酒屋さんでした。九月に入ったある日、自らカメラを回していた会長に「いい加減にしろ」と掴みかかってきたのです。その後、八百屋さんも加わって口論になりました。会長は「わかりました。止めます」と言いながらも赤いランプが点いたままのカメラを私に託しました。会長は「その怒りがどこから湧いてくるのか教えてもらえますか」と淡々と尋ねました。酒屋さんはビールケースからスーパードライの中瓶を出して振りかざしました。私はカメラ上部のハンドルに指をかけ、ぶら下げるようにして持ちつつあとずさりして画角を調整しました。恐怖を感じたのと同時に、撮らなくてはならないという義務感にも駆られていました。床に叩きつけられた瓶が砕け散って、白い泡がタイルの目地を伝いました。そのとき後ろから肩に手を置かれ、私は心臓が止まりそうになりました。花屋さんでした。「学生さん相手にやめなさいよ」彼女がそう言うと、八百屋さんも冷静になって止めに入り、その場は収まりました。私たちはそれ以来「今日は何もない」と言われた日は原則として撮影しないことにしました。同時並行で編集作業も進めなければならなかったので、ちょうどいいタイミングだったかもしれません。

 最終営業日の夜、クロージングパーティが催されました。ゲストとして夏目さんがソロで弾き語りライブを演りました。私たちが彼を呼んだわけではありません。それではルール違反です。長野から戻った夏目さんは一人でキーボードを抱えてやってきて、宴会幹事の魚屋さんと交渉し、企画が決まりました。私たちは作中に音楽を使うことを禁じていたので、ライブの映像は使えません。市場で行われたイベントの中で、純粋にお客さんとして参加できたのはそれが最初で最後でした。ライブを撮りに来た真部さんが、美大生の店からライトを借りてステージの照明をセッティングし、夏目さんは売れ残りの服を選んで着ました。南国の鳥の刺繍が入った奇抜なシャツでしたが、サイズもピッタリで少し彫りの深い顔とよく似合っていました。ライブには思っていた以上に多くの人々が集まりました。美大生が廃材を使ってベンチを用意してくれていたのですが、足りなくなったのでビールケースの上に合板を敷き、その場をしのぎました。駆けつけてきた人の多くは市場の常連客やその家族でした。ひと夏のイベントを通じてこの市場を知った人の数は、たかが知れていました。九十年近い歴史を考えれば当然のことです。それがあっけなく消えてしまう儚さを映画で表現することが、私たちの使命だと思いました。私は夏目さんを斜め後方から映すカメラのセッティングを手伝い、準備が終わると最後列に座りました。都議会議員が紋切り型の冗長なスピーチをして、一番の古株である肉屋さんが照れくさそうにあいさつの言葉を述べました。そして夏目さんが何も言わずステージに置かれたパイプ椅子に座りました。観客のざわめきがおさまると、真部さんがパン、と手拍子を打ちました。そこから空気が変わりました。

 低音から一気にかけのぼっては高いところからそっと飛び降りてくるピアノのフレーズが繰り返されて、私の胸を打ちました。斜め前方に座っていた小学校中学年くらいのポニーテールの女の子が肉屋さんのコロッケを頬張りながら、体をゆっくり前後に揺らして彼の演奏を聴き入っていました。衣(ころも)がはらはらと彼女の膝の上に落ちました。それさえキラキラと光って見えたのは、私が泣いていたせいです。音響機材は近所に住む軽音サークルのOBから借りてきた粗末なものだったにもかかわらず、市場は彼の歌声を響かせるためのホールとして存在しているようでした。というよりも事実、そうだったのです。夏目さんは空の色をテーマにした曲を歌い、間奏中におどけた顔をして目の前の子供たちを笑わせました。きっとチョークを渡せば、子供たちは思い思いに空の絵を描いたと思います。これはライブが終わってから聞いたことですが、夏目さんに機材を貸した男は嫉妬に駆られて聴いていられなくなり、途中で市場から出て行ったそうです。私が夏目さんと同世代のプロ志望のミュージシャンだったら、同じように出ていったかもしれません。ライブ後の宴会で酒屋さんは「もう全部使ってくれていいから。ありがとう」と私たちに言ってくれました。彼が下戸なのには驚きました。

 店舗の撤収作業は三日間で終わりました。十月三日、それが私たちのクランクアップ日でした。魚屋さんは転職先のスーパーの本社で研修があると言って、濃紺のスーツを着ていました。花屋さんの搬出を手伝う彼の姿は、あたかも葬儀の参列者のようでした。什器を運び出す大きなトラックが出発してしまうと、店主たちはそれぞれ帰途につきました。私たちに手も振らず、握手もせずに、目だけであいさつを済ませて。ラストシーンとして使えるように、あえてそうしてくれたのです。大通りに出た彼らが左右に別れて見えなくなるのを、私と会長は液晶モニタ越しに見守っていました。私はカメラを持った会長の肩を軽く叩いて人差し指を立て、パン・アップするよう促しました。安直過ぎる、という顔をして会長は笑いましたが、使わないなら切ればいいのです。
 
 私たちは学内映画祭の提出期限に追われながら、編集作業を進めました。授業やバイトの合間を縫ってかわるがわる会長の家に通い、週末に映像をチェックする、というルーティンでしたが、十月中に完成させられるかどうかは直前になるまでわかりませんでした。「時系列を入れ替えない」という縛りを設けていたおかげで、取捨選択のみを考えればよかったのですが、撮り貯めていた素材があまりにも膨大だったのです。導入部分における各店主たちのインタビューはそれほど難しくはありませんでした。彼らの伝えたいことを明確に、わかりやすくまとめることだけを心がけました。続いて八月のイベントを中心に、見栄えのする画を選び取っていきました。たとえば年代物のミシンを踏む美大生の脚、キャンドルを作る子供たちの横顔、雨で滲んだチョーク……。次はメッセージ性を含んだシーンです。対照的な二枚のビラ、玉音放送の流れる中で揺れるキャンドル、怒れる子供たち……。それから平凡な日常の描写です。これには時間を食いました。鯖が並んだ発泡スチロールの箱や、吊るされた豚肉を映しているだけなのに、なんとなく意図があるように見えてしまうのです。考えれば当たり前なのですが、無作為にカット位置を決めたつもりでも、編集画面の前でマウスをクリックした人間が持っている潜在意識が反映されてしまうのです。試行錯誤を繰り返した挙げ句、いっそサイコロを振ってクリップを切る秒数を決めようか、といった非現実的な案さえ出ました。ひとまず大雑把に仮の画で埋めておく、という結論に至るまでに週末が一つ潰れてしまいました。それから、先に見せ場の多そうな後半の編集に取り掛かりました。例の酒屋さんが掴みかかってきた場面は、散々検討した上で外しました。どう編集しても彼が演技している……というより私たちが台本を用意したようにしか見えなかったからです。煽るように言い放った会長の言葉をテロップに変えるのも、無理がありました。なにより飛び散った瓶ビールの破片にオートフォーカスでピントが合ってしまったという偶然が、かえって作為的にしか見えませんでした。撤収の日にスーツを着て菊の花を持っていた魚屋さんの姿も、画面に映すと私たちが用意したコスプレに見えて仕方ありませんでした。結局、撮影しているときにはドラマチックに感じられたショットのほとんどは使えませんでした。回り道した結果、保留にしていた前半の日常風景の中から、残すべきだと思えるカットが自然と浮かび上がってきました。その多くは店主たちが口にした「今日は何もない日」に撮っていた光景でした。山盛りの桃が入った籠を抱える八百屋さんの頬、酒屋さんが足でもみ消した煙草、蟻の姿を見つめる子供たちの日に焼けたうなじ、排水口を流れる向日葵の種……。クラッシュアイスの上に並んだ鯖も、フックで吊るされた肉の画も、違和感なく使うことができました。それらをまとめたシークエンスを観れば、私たちがひと夏を過ごしたあの、市場の匂いや温度を感じてもらえるような気がしました。

 私たちをどこまでも悩ませたのは、営業最終日の夜のシーンです。短くあいさつする肉屋さんの顔までは撮っていましたが、夏目さんの演奏中は一台も回さなかったので、ライブ前後の登場人物の表情がうまく繋がらないのです。これは致命的でした。しかし、店主たちの緩んだ表情や常連のお客さんたちが自ら教えてくれた思い出話、衣装で音楽に革命を起こすと大声で言い出した美大生、NPO起ち上げを真剣に考えると語ったボランティアサークルの面々……これらを切り捨てるということは到底考えられませんでした。かといっていまさらルールを変更することはできません。事前に説明会まで開いてコンセプトを被写体に伝えていたからです。フェードインにすれば安っぽいホームビデオのようになりました。細断したカットを畳み掛けるようにして誤魔化したり、逆にスローにしたりモノクロにしたりと散々悪あがきしてみたものの、お手上げでした。みんなで徹夜して正午になるまでモニタを見つめていましたが、煮詰まり切ってその日は一旦解散となりました。連日泊まり込んでいたメンバーは、会長の家を出て銭湯に連れ立って行きました。私は居間の掃出し窓から、彼らの後ろ姿を眺めていました。西日が差し込んでいて、足元にはカビ臭い寝袋が転がっていました。仮眠を取るために障子を閉めると、木と木のぶつかる乾いた音がしました。それで、私は思いついてしまったのです。

 私は真部さんがライブ撮影をする際に持ち出しているロングショット用のカメラからメモリーカードを抜き出して、Macのカードリーダに差し込みました。0930という文字列を探して動画ファイルをダブルクリックしました。もちろん真部さんがカメラを回し始めたのは夏目さんが歌う直前からでした。私は再生位置を細かく動かし、マウスを何度も何度も叩きました。頭に巻いていたタオルを取って涙を押さえる酒屋さんと、その横顔を見て隣で笑う花屋さんの姿を見つけました。それは最後の曲で夏目さんが同じ歌詞を繰り返し叫んでいるところでした。その数秒間を抜き出してからクロップ、つまり拡大して二人のバストショットにしました。そこに演奏が始まる前の喧騒部分の音声を切り抜いて貼り付けました。映研メンバーの話し声もかなり混じっているので、結局は無音にするか薄いノイズ音に差し替えることになると、私は読んでいました。念の為、元ファイルの撮影日時データは細工しておきました。映っている本人たちは私の嘘に気づかないでしょう。

「これで繋いだらどうかな。私がセッティングした真部さんのカメラ。肉屋さんのあいさつの後ね。夏目さんが歌う前だから使っていいでしょ」

 完成した映画は、あっさり学生審査による一次・二次選考を通過して最終候補に残りました。上映会を宣伝するための広告物が刷られ、各関連サークルに配布ノルマが割り当てられました。私は一人で大通りを歩き、定食屋やカフェ、ギャラリー、古本屋を回りました。店主はみなトートバッグからはみ出ているポスターを見るなり事情を察して、そっけなく掲示物コーナーを教えてくれました。キャンドル・ナイトや読み聞かせ会のビラがところどころ残っていたので、剥がして捨てました。ラーメン屋と工務店を通り過ぎた角で右に折れ、市場の跡地に向かいました。半地下に続くエントランスには立ち入り禁止のロープが張られ、覗き込むとシャッターが下りた入口の手前に、赤いコーンが置かれていました。店名が書かれた案内板は撤去され、イベントを告知するために美大生が手作りした掲示板も見当たりませんでした。代わりに区長選挙の看板が立っていて、三人の候補者たちが笑っていました。私は市場を通り過ぎて、緩やかな坂道とその先にある石段を下り、都電の停留場に行き着くとベンチに腰掛けました。一年生の春によく座っていた場所です。遠くの交差点にネパール料理店が見えて、ピューロランドで食べたカレーの色を思い出しました。後藤は夏休みいっぱい長野に滞在して東京のアパートを引き払うと、そのまま大学を休学し村に戻りました。今は村内に一つだけある旅館に住み込みで働いていると、真部さんから聞きました。都電の車内は大塚で混み合い、途中で妊婦さんに席を譲りました。家の近くの停留場に着くと商店街に寄り、電気屋を営んでいる組合長に残りのビラとポスターを渡しました。カンパニーにいた頃から私によくしてくれている人です。私の脚を気にかけてくれたので、もうすっかり大丈夫だと伝えました。街路樹として植えられている姫りんごの葉が風に揺れていました。夏の朝、市場に向かう私の影を映していた隅田川は黒く波打っていました。

 上映会は金曜日の正午からでした。プロの映画監督がゲスト審査員を務めるこの映画祭で大賞を取れば、メジャーなコンペに出すという話になっていました。市場の関係者は仕事でほとんど来られず、唯一、肉屋さんが奥さんを連れて来場しました。美大とボランティアサークルの面々は、バイトを休んだり授業をサボったりしてやってきました。私は会場となっている大学講堂入り口近くの石段に腰かけて頬杖をつきながら、広場で輪になり雑談を始めた彼らを遠巻きに眺めていました。映研のメンバーも加わり、打ち上げの参加人数を把握するために会長が音頭を取っていました。ほとんど全員が元気よく手を挙げ、私の視界の端にはコンビニの看板が見えました。会長が両手を口に添えながら私の名を呼んだので、私は右手で頬杖をついたたまま左の手のひらを見せました。風に触れてはじめて、手汗をかいていたことに気づきました。そしてまた青い看板が目に留まり、講堂の中に吸い込まれていく人々のざわめきが、動悸のせいで聴こえなくなっていきました。舌の先が痺れて喉が渇きました。このときはコーラを飲むつもりでいました。

 候補作は五つあり、私たちの作品はトリでした。最後列に座り、一つ上映が終わって休憩になる度に、私は席を立ってコンビニに向かいました。戻ってきて他サークルの映画を観ると、クオリティの低さに吐き気がしました。次第に動悸は治まりましたが、その代わり脚の傷跡が痛んできました。いつのまにかジーンズの上から爪で引っ掻いていたようです。司会者が四つ目の作品について紹介し終えると、前列に座っていた男女が振り向き、非難するような目で私を見ました。タイトルコールを聞いて笑いをこらえ切れなかったからです。『東京タワーから地獄の光』……私は秘密を隠し通すことを決めました。その青春コメディ映画が終わると、五つのルールについて説明するテロップがスクリーンに映し出されました。そこから記憶がありません。ラストシーンのパン・アップは削除したはずなのにおかしい、と思ったことだけ覚えています。

 ベッドの上にはバターと蜂蜜が混ざった甘い香りが漂っている。私はべとついた唇を紙ナプキンでぬぐい、他人の頭に振り下ろしたところで何の危険もなさそうなプラスチック製のくず入れに放り投げた。隣のベッドとを仕切る白いカーテンに当たって、丸めたナプキンは透明なゴミ袋の中に消えた。

「荷物チェックが厳しいわりに、中は普通なんだな」
 
真部さんは所在なげに椅子の座面の両端を掴みながら言った。持て余した長い足を組んでいた。普通の病室なら私が半身を乗り出せば手の届く場所、つまり真部さんの隣あたりにテレビを載せた床頭台が置かれているはずなのに、この部屋にはない。物が置けるのは、私の目の前にあるコの字型をしたキャスター付ベッドテーブルだけだ。その上に二人で空にしたワッフルの箱が置かれている。

「でもこれ、強化ガラスですよ」
 
そう言いながら私は左手で窓を指して、病院の中庭を見下ろした。手入れが悪く剥げかかった芝生にはピッチャーマウンドのような低い丘と、その脇には枯れた蔓が何本もぶら下がった藤棚があり、古ぼけた木製のベンチが置かれている。人の姿はない。

「十センチしか開かないですしね」と私は続けた。

真部さんは窓を見つめていた。真部さんがいる場所から庭は見えないはずなので、ガラスに映る私たちを見ていたのかもしれない。

「審査員、なんて言ってました?」

そう尋ねると、真部さんは冷たい目をして言った。

「画が軽すぎる。舐めるな。お前ら全員カメラに十キロの重りをつけてから出直してこい」

言い終わると真部さんは表情を緩めた。審査員の物真似だったらしい。私は鼻で息を大きく吸いこみながら天井を見上げた。業務用の四角いエアコンが取り付けられていて、私のベッドを向いている吹出口には、プラスチックのウイングカバーが取り付けられている。目が乾く、と私が苦情を言って取り付けてもらったものだ。

「講堂の中が一瞬でお通夜みたいになってさ。そしたらちょうど救急車のサイレンが聞こえてくるし」

私は吸い込んだ息を口からゆっくり吐き出した。

「私が本当にお通夜にするところだったんですね」

エアコンのフィルターはクリーニングされて埃ひとつ付いていなかった。

「だから笑えないんだって」

そう言いつつも横目で見ると真部さんは実際には笑っていて、椅子を軋ませながら続けた。

「演劇サークルのテントの中で死体発見って」

私は目をつぶって青いシートで作られた天井を思い浮かべた。そして体を向き直して真部さんの目を見ながら尋ねた。

「映画早く完成させないんですか? お金、貯めてるんですよね」

「俺の映画? ……あいつが死んだら作るよ」

「はあ?」

真部さんは大声を出した私をたしなめた。腕を組んで溜息をつき、スーツの内ポケットに手をやると、CDのジャケットサイズくらいに折り畳まれた一枚の紙を取り出して、私に差し出した。

「……怖いんですけど」

中指と親指でつまむようにその紙を受け取り、おそるおそる開いた。

『映画よかったよ。ハッピーエンドで 2006年8月15日 夏目拓』

「……何なんですかこれ」

「俺があいつに前もって書かせた遺書」

「どういうことですか? 夏目さん、死んでないですよね」

真部さんは頷いた。

「もし俺が映画をハッピーエンドで完成させたらあいつは自殺する。だから映画は作れない」

「いや、意味がわからないです」

「もしあいつが先に死んだら映画はハッピーエンドに出来ない。だからあいつも自殺できない」

「やっぱり全然わからないです」

「わからなくていいよ」真部さんはこともなげに言った。

「じゃあいっそバッドエンドで先に作っちゃいましょうよ」

「あいつはいつか売れる、って俺は思ってるから」視線を窓に移して真部さんは言った。

「だとしたらなおさら」

「……要するに、俺たちはそういう関係から降りたの。事故とか病気とか不可抗力で死んだら映画にするよ。だから金は貯めてるし、ライブも撮れるだけ撮ってるけど」

「そんなのずるくないですか」

私は広げた紙を見ながら続けた。

「じゃあ二十七で死ぬって言っていたのは?」

ボールペンで書かれた夏目さんの『よ』の字は、私が書くよりもずっと綺麗で丁寧だった。真部さんは私の質問に答えてくれなかった。

「……まあ、ずるをしたのは私も同じか」やはり何も言ってくれなかった。

「私、いつか真部さんの助監やりたかったんですけど」

「オーバードーズしたやつが言うことか」真部さんは腕を伸ばして返せと催促した。

「それもそうですね」私は夏目さんの遺書を折り畳み、ワッフルの空箱の隣に置いた。

「他人に頼るやつは何やったって結局ダメでしょ」そう言って真部さんは遺書を再び内ポケットにしまった。

「……きついこと言うなあ」

 私はまた殺風景な庭に目をやった。廊下からは塩化ビニールの床を引きずるようなスリッパの音が響いている。そのテンポから考えると、手すりに掴まりながら歩いているのだろう。

「そうだ、退院したら冬休みにみんなで長野行かない? どうせ半年は休学するんだろ」

「私のトラウマですよ、それ」私は窓ガラスを見ながら答えた。

「ほんと厄介だな……あっ、思い出した。最後の黒ペン、半休取って代わってやったから」

「えっ、最後って」私の上半身がテーブルに当たり、ワッフルの箱が落ちそうになった。

「だから声が大きいって」真部さんは私の足元にテーブルをスライドさせてくれた。

「強引な訪問販売のせいで業務停止命令だってよ」

「質問の電話、かかってこなかったですか?」

「そこかよ。ギリギリに一本だけ鳴ったな」

「男の子でしたか」

「そうだね。普通の質問だったけど」

「なんて言ってましたか」

「引力と重力の違いについて」

「どう違うんですか」

 真部さんは怪訝そうな顔をして答えを教えてくれた。私は手持ち無沙汰になって掴んだ真っ白なシーツの皺を見つめながら、私が曲がり切れなかったカーブと、二人の腕には残らなかった歯と爪の痕跡(あと)について考えていた。

(終)


※この小説はWebZINE『吹けよ春風』に寄稿した作品の再掲です

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