白饅頭note感想を詳しく書いたもの「仲間」

白饅頭noteの感想を書いたら「詳しく聞きたい話」と反応をいただいたので
嬉しくなって書きます

「「仲間」が集まってつくる共同体や社会は完全無欠の「正解」などではない。実際に多くの問題を抱えている。しかしそれでも、多くの人がだれかとつながって生きていることには、相応の理由がある。」


など、上記の記事では個人主義が旺盛する現代において反作用的に再評価される「共同体」や仲間について書かれている

「仲間」がいるというアドバンテージは年を経るにつれひしひしと感じる。上記の記事内にもあるが、よほど傑出した知能、能力を持つ人間でなければ「孤高」には不向きだとも思う。

そんな記事を読んでいて、ふと思い出したのが自分が所属する消防団の法被交換会(飲み会)での事である。

                 ◆

私の隣には消防団部長を終え「後見」となっている先輩が座っていた
先輩(以後Sとする)は40台で社会経験は自分の3000倍くらいある人で、SNSで見る人たちと比べる(のも失礼)とタンブルウィードとピラミッドかというくらい地に足つ方がしっかりしてる大人であった。

かたや私は30となった今も社会経験に乏しく、仕事場と家とたまに行くカラオケや商店くらいしか世界を知らなかった。そんな私にSさんはまず焼き肉の焼き方、多人数でいる時の気の配り方などを熱心に指導してくれた。

「人数分乗っけて焼けたら網の端に持ってってやんの、そうすっと取りやすいばい?もしくは渡すの、焼けましたどうぞっつって。優しさ。キムチ来たばい、取り分けてやんの。優しいばい?」

とても有難かった。こうして面と向かって指導してくれる人は昨今とても珍しい。個人主義、自由主義社会となった現在、こういった「おせっかい」は今「ハラスメント」に片足が乗ってしまう。みんなそれをうっすら分かっているから、このように踏み込んだ事は避ける傾向にある

しかし、Sさんには知ったことではなかった。彼は大人であり、甲斐性有段者の真の男であった

他の団員と話しても「だからおめーはそれがダメなんだっけよ」「結婚しねっか、早く相手探せ」「あの人はどうしようもねーけどあれで良いの。嫌われてねえべ?あれでいいんだ」「あれはダメだ」と、

Sさんは「自信満々」ではなく「確信をもって」喋る。「世の中そういうもんだ。俺が実際見てきたからそうだ」という感じだ


それは私が「自分に自信がない」という話をした時の事である
S「自信がねえって何よ?」
私「これからも仕事とか、うまくやっていく自信ないんです」

S「関係ねえべよ。やるしかねえんだ。」

「自信とかどうでもいいんだ。やるしかねえの。これからの事とか考えねえでいい。今やる事やるしかねえの。今しかねえの」

力強い言葉をもらい、私はもっと踏み込むことにした

私「自分は発達障害だから、以前のようにまた具合が悪くなって休職や休団するかもしれない。それが不安なんです」

S「発達障害も関係ねえから。いまおれは発達障害と話してねえ、お前という人間と話してんだ、なんか問題あった?フツーに話出来っぺよ。」

「仲間が居っからダイジョブだ。ここにいる奴ら仲間だから。小学校の頃は一緒に遊んだとか、楽しいことした奴らが仲間だけど、大人んなったら苦しいこと一緒にやった奴らが仲間なの」

「火事で呼び出されてやってらんねーって思うべ?今やってる仕事も大変なこといっぱいやるべよ、その大変な思い一緒にしたやつらが仲間なんだよ」

「この場(消防団)を利用すればいいんだっけ。アイツもここで愚痴言ったり色々してっから、利用すればいいんだ、みんなそうしてっから」


仲間というのはそういうものかと、私はその時初めて学んだ。

Sさんにはその他にも
「難しく考えすぎだから考えねえで喋れ。とりあえず喋れ。アレ見てみろ(同僚を指す)全く何も考えねえで喋ってっぺ」

「カッコつけんな。澤村くんはプライド高いんだよ「やぶさかではない」って何よ、「楽しかったまた行きたいです」で良いべよ」

「あの人は自分が楽しんでるから人が集まって来んだよ、楽しそうだな~っつって。楽しませようとしてるだけなのはダメなんだよね」

などの確かなパワーのある言葉をいただいた。人と話して泣きそうになったのはこれが初めてだった。


この消防団はSさん以外にも「利用する」スタンスの先輩が殆どで、他の団員も「俺はこの場を息抜きに利用している」「人と飲めるから来てる」という。後輩団員にもそういった空気は受け継がれており、世間一般的な消防団のイメージとは少し違うかもしれない。自分が入団したころから「酒、飲めねえときは無理すんな。飲めねえならしゃあねえ」というわりとリベラルな風土だった。
(飲める団員はべらぼうに飲む)


 後書き
その日感じたのは、「共同体は必要だ」ということ。自分はこの消防団で不足しがちな社会性を補っている。団員の半分は自営業の社長、もう半分は役場職員。世間を知るには十分な社会的経験値の濃縮還元タンクである。

もちろん活動は楽ではない。ヘトヘトの仕事終わりに屯所に集まり、鐘を鳴らして町内を巡回したら車両の点検をして活動記録をつける。物品の管理も活動費の管理も自分たちでする。

火事に駆り出されれば夏は暑く冬は寒い。耐火服は防寒着ではないので寒いし濡れると凍える。夏は消火担当とは別に水分の買い出し役を立てなければ命に係わる

検閲式は朝超早くから一日歩いて立っている。休日が半日つぶれるので正直やりたくないしコロナ禍で中止になっている間は部長を含め全員が何かにつけて快哉していた

それでも、現金な言い方だが、供出した人生リソースに見合うリターンがあると断言する、それが「仲間」だ。コミュニティの中にはどうしようもない人もいる。それでも誰か一人でも大変な思いをした経験を共感できる仲間ができれば元は取れるのだ。

仲間がいるというアドバンテージは、何も持たない凡人以下に「人権」を授ける。仲間がいれば私は「人」になれる。

会社と、自宅、そしてもう一つ。接続できる第3の社会が自分には必要だった。令和に入ってようやく私はそれに気づいたのでした


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