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自分に都合のいいことだけ信じたい気持ち

ネパールで亡き夫名義の不動産を処分した時、仕事が全く進まず、情報が入り乱れ、誰の言っていること、何を信じていいのかわからない状態になっていました。

私は今ネパール語で日本の生活や相談の通訳を請け負う仕事をしていますが、ネパールの不動産関係の用語は独特でネパール人でさえもよく知らない用語、制度が多くとても厳しい状況でした。

その時、Aさんの言うこと、Bさんの言うこと、どちらを信じていいいのかという岐路に何度も立たされました。どちらを信じるかでまたいちからやり直しになるかもしれないという究極の選択が何度もありました。

その根本にあったのは費用の事でした。なるべく費用を安く抑えたいという私の気持ちが何度も私を迷わせたのでした。
費用を高く払ったからといってそれが実現するかわからない、だったら安くすむかもしれない(これも実現するかわからなかったのですが)という方法を選びたくなるのが人間で。

高い費用が掛かる方法を勧める人は私の長年の友人で信頼できる人でした。しかし私は高い費用が払いたくないばかりに、安い費用の方を勧める人の話を何度となく信じようとしました。自分にとって都合のいい情報だけを信じたかったのだと思います。そうして長年の友人との信頼関係にひびが入ってしまいました。

今、私は癌患者としてたくさんの情報を目にしています。ネットをひらけば癌サバイバーと言われる人の様々な民間療法、苦痛のない治療など、これが本当ならばどんなにいいだろう、と思える情報があふれています。今信頼して治療を任せている医師の治療とは全く違う、苦痛の無い、都合の良い治療法。

来月からの治療はきっと苦痛を伴うことでしょう。医師からはそのように説明をうけています。納得いくまでしっかり説明しますと、真摯にいってくれる医師とどこの誰とも知らないネットの人。私は今度どちらを信じていいかわかっている。

自分にとって都合のよい、信じたい情報だけを信じようとしていないだろうか?常に気を付けていないと、また大事なものを失うかもしれない。今度は命がかかっている。

人間、だれでも失敗する。そこから学ぶことができればその失敗も意味あるものになるはずだから。そう気づけたことが今日の感謝❤



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