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終わらせない生き方

昨年、それまでモヤモヤしていた人間関係を思い切って終わりにしました。
彼女たちとの付き合いは子どもが保育園に通っていたときだから20年近くになっていました。終わりににしたときはすっきりしたと思っていたけどもしかしたらもう少し別の方法もあったかもしれないと最近思うようになりました。

別の方法があったかもしれない、といっても後悔しているわけではありません。つい最近までの私の思考は「気に入らないとちゃぶ台ひっくり返す」系であったこと、あの選択がそこに起因するものでもあったと、気づいたのでした。

そんな「ちゃぶ台思考」の癖について全く意識していなかったけど、思い起こせば私は常にそんな感じだった。なにかマイナスな気分になるような出来事があると、「この人、いやな奴だからもう口きかない」「もうこれで終わりだからどうでもいいや!」「これができないなら、勝手にすれば?」といった具合。歩み寄りが一切なく、ちゃぶ台をひっくり返す=「終わらせること」で解決しようとしていたと思います。

「終わらせること」これが私のこれまでの人生で延々と続いてきたことだったように思います。新しい人に出会っても、常に別れの用意をしているような状態、と言うんでしょうか。「きっとこの関係にも終わりがあるから」とうすうす感じながら関係を続ける。若くて粋がっている時代はカッコよさもあるかもしれないけど、年々出会いも減っていく中年以降になると寂しい老後決定でしょう。

昨年別れを告げた友人のひとり、彼女は自分の非を詫びて自宅まできてくれました。ちょうど私は留守にしていて会うことはできなかったけれど、ドアノブにかけられたお菓子に手紙が添えられていました。彼女は私に歩み寄ってくれていました。でも「終わらせること」しか考えられない私は結局彼女の歩み寄りを拒否しました。

(後悔してない、とさっき書いたけどちょっと後悔してるかな…。)

あの時私が
「そうだよね、あなたがそう感じるのも無理がなかったし、私もそれが負担だったんだよ。」
という共感の言葉をかけていたら、まだ関係は続いていたかもしれない。

「共感する」能力、これは鍛えないといけない能力だな、と思います。
なにかイラッとすることを言われて、カッとなるのは人間だれしもあることで、そこですぐ怒ったり怒鳴ったりそういう人多いと思います。私もわりとすぐ怒るタイプです。(友人にも「怖い」とよく言われます。)

「イラッとすること」を言われてから「怒り」が起きるまでの間に小さな「空間」でちょっと考える訓練を最近しています。
「なんだ?このイライラした感情は、ああ、私今言われたことに納得いかなくて怒ってるんだな」などと心でつぶやき「怒り」の感情と向き合って「対話」するという訓練です。

「寂しさ」「無気力」「嫉妬」「不安」など一度はまると中々抜け出せない感情も一度「空間」で自分の感情と向き合い対話することで、早くその否定的感情から抜け出す訓練。これができると相手にも自分にも共感できると思います。

「寂しさ」「不安」などの感情はいつまで私の感情を支配して苦しくさせるわりに現実の事態を好転させることはありません。むしろ悪化させて、結局「終わらせる事」で解決することになる、これが今までの私の人生でした。
まさにもう終わり終わり!とちゃぶ台をひっくり返すオヤジそのものでした。

もうそんな人生はやめてようと決心してから、自分のマイナス感情に支配される時間も短くなり、「終わらせる事」を考えない人生をゆっくり歩きだしています。まだまだ気づくとマイナス感情に支配されている事が一日のうち何度かありますが、まだ始まったばかりだし。これまでの人生の癖治すのはそんなに簡単じゃないから、大丈夫。自分にも寛大に優しくなれる、これもポイントだなと思います。






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