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高糖度トマトの事業価値とか、プロフィールを創作する作家の話とか

すっかり涼しくなった。思い出したように、ギターを取り出して弾いてみたり、積んである本を読んでみたり。いたずらにJPYをマイニングする賤業ですり減った精神を取り戻す作業に、膨大な時間を要する。それも人生である。

■ 高糖度ミニトマトのOSMIC、三菱地所から12億調達

最近、スーパーで売られている野菜にも、おいしいものが増えたように思う。例えば、高級トマト。その裏に、新興企業の技術がある。

OSMIC社は、2015年に設立されたベンチャー企業。かつて社長の中川氏は、大学に進学せず、バイト暮らしをしていた。京都大学出身の父親が、大学などいかなくていい、30までにやりたいことを見つけろ、と言ったことに影響を受けた。

ある時、親を安心させようと思って、兄の影響で会計士資格を取得する事にした。特に志もなく。

そして、27歳で無事合格。監査法人に興味が無く、山田&パートナーズに就職。怒鳴られながらも40歳まで勤めた。

独立3年後、現在の副社長と出会い、研究内容に魅力を感じ共にオーガニックソイルを起業。そんな創業ストーリーだ。

元々は、土の会社。副社長の渡辺氏と島根大学が、病気に強い作物を作るために研究した培土だ。色々な作物を試した結果、偶然すごくおいしいトマトができた。これなら、それなりに味で値段がつくトマトを売ったほうがいい。そう考え、トマトの栽培から販売までをパッケージにしたビジネスをあちこちに営業した。

2015年の創業から3年後の2018年、三菱地所がオーガニックソイルと組んで、高糖度トマトの生産に参画を発表。これが転機となり、今に至る。

転生したらトマト農家になっていた件、みたいな話である。地味ながら、「うちの土を使うと、どんな野菜や果物でも美味しくなる」と自信を持つ唯一の技術。農業の現代化という課題。企業の意識の高まり。投資マネーの余剰感。様々な要因が絡んでのことだろう。

全ての人がチャンスを引き寄せる事は出来ない。それも現実である。しかし、こういうサクセスストーリーは、読んでいて気持ちが良いものがある。確かな商品と、工夫を凝らして時流を捉えたビジネスに仕上げる努力。そういうものが運を引き寄せる。夢のある話だ。

しかし、ハインツとか、トマトと起業ってなんか相性いいのかね。困ったらトマトだな。

■ 作家が別人格を騙るのはアリかナシか。

男もすなる~的な。

スペインで高い評価を受け、名誉ある文学賞を受賞した女性スリラー作家「カルメン・モラ」。授賞式の壇上に登ったのは、3人のおじさんだった。

作家は、そもそもペンネームというシステムがあり、その気になれば正体不明にすることが可能な職業である。やろうと思えば、さいとう・プロダクションみたいにする事も出来るだろう。作家のプロフィールはどこまで重要なのか。

作家が異なる属性のプロフィールを用いていたことが物議を醸した例としては、マーベル・コミックのセブルスキー編集長の例がある。2017年ごろの話だが、最近また話題になっていた。

セブルスキーは、Akira Yoshidaなる日本人を名乗っていた。コミック業界に少なからず影響力があるであろう立場にありながら、作家としても活動していたこともあるが、やはり、「文化的アイデンティティの盗用」みたいなことが問題視されている。アジア系の若者のサクセスストーリー。それが嘘だったことは、少なからずショックな出来事だったようだ。

本人はあまり悪気なくやっていたのかも知れないが、作者のプロフィールが読者を欺くような形でマーケティングに利用されている、とみなされると批判に晒される事となる。実際、本の宣伝などでは、作者の出身地、性別、文化的な背景などが紹介されることは多々ある。体感だが。

本や漫画は、固定された面に表示されている文字や絵を鑑賞するものであるから、突き詰めると、そこにないものは作品の評価に影響しないはずのものである。しかし、実際はそうではない。誰が書いたか、どういう人が書いたか。そういった要素も消費の対象となっている。本を選び、購入するという行為自体が、ある種の自己表現でもあるからだろう。他にも、本棚にならべる、持ち歩く、人と語り合う。作品の周辺には、関連する消費の機会や遊びがたくさんある。

マーケティングという行為は、そういったライフスタイル的な消費をうまくとらえ、その本を手にしている、読んでいる「あなた」みたいなものを想像させ、消費者に購買行動を取らせる。そういった営みであるから、本を買うことに意味を付与する可能性のある情報を活用するのだろう。その結果、作者の性別や国籍といった、本質的でない要素も、無視できないファクターとなってしまう。そういうことだろう。

■ ニンジャスレイヤーという成功例

逆に、プロフィール「詐称」があそびとして機能している作品もある。いわずもがな『ニンジャスレイヤー』である。同作品は「ネオサイタマ」なる近未来的な都市を舞台にした「サイバーパンク・ニンジャ活劇」で、独特のワードチョイスや、ありがちな間違った日本像みたいなものをユーモラス取り入れた作風で、高い人気を誇る。「忍殺語」は日本のネットミームとしても有名であるし、結局「物理書籍」も相当売れている。

この作品は、ブラッドレー・ボンドとフィリップ・ニンジャ・モーゼズというアメリカ人作家コンビにより創作され、日本人の「翻訳チーム」により、Twitter等で連載されている、とされている。しかし、原作者のボンド&モーゼズについては、翻訳開始から10年以上経った今でも、不明瞭な点が多く正体は謎に包まれている・・・ということになっている。これ以上踏み込んではいけない。

あんばいというものは重要である。結局は読み物として面白いかどうかが大事ではあるが、作者の正体も含めて作品外にもフィクションが広がっていくような仕掛けとしてうまく機能しているかどうかとか、色んな要素があるんだろう。

『ニンジャスレイヤー』は、Twitter小説としてデザインされている。Twitter上でリアルタイムにファンが盛り上がりながら楽しむという「ライブ」な小説という新たなジャンルを切り開いた作品でもある。単純に作品を読ませるだけでなく、ソーシャルなメディアでの連載という特徴を活かし、コミュニティを通じて作品の外に遊びが広がっていくような仕組みが非常にうまく機能している。まさに傑作である。ここでは、正体不明の作者もエンターテイメントの一部として受け入れられているようにみえる。

もっとも、翻訳チームのインタビューを見る限り、全てが計算されたものであったのかどうかは若干あやしい感じではある。ただ、直感的にこれはいずれイケると思ってツイッターに進出したのだろう。やはりその卓越したセンスがあったから、彼らは成功したのではないかと思う。

まあ、このインタビューを受けていると思われる写真の2名が、本当に翻訳チームかどうかも定かではないし、語られている内容が真実かどうかも本当はわからないのだが。

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