「友達」という言葉を丁寧に解剖する

以下のマシュマロに対する返答です。
これに関してはちょっと一家言あるといいますか、「友達とは」という議題で大学時代に哲学科友人一同で喧々諤々の議論をしたことがあって、そのとき導かれた考え方が私なりに面白いと思ったので、紹介しますね。

いつも楽しく拝見しています。
ぜんさんとても素敵なわにさんだなあ、こんなお友だちがいたらなあと思うこと多々なのですが、
ぜんさんにとってのお友だちってどんな人ですか?
(抽象的なわかりにくい質問でごめんなさい!)
(最近個人的に友だちってなんだろう?みたいなことを考えることが多くて……ぜんさんの答えが気になります)

まず最初に宣言するんですが、私はこの「友達」という言葉が苦手です。嫌いという意味ではなく、へたくそ・うまく扱えない・どうしたらいいのか分からない、という意味での苦手(⇔対義語:上手)です。
想像してほしいんですが、「私たち友達だよね」とか「俺はお前の友達だからな」などというセリフって、ほとんどの場合なにか"嫌な感じ"と共に発せられるイメージが無いですか?私は小さい頃から、なんかそんな感覚に囚われていて、気軽に「○○ちゃんは私の友達だよね!」って言えないでいました。ちゃんと私は○○ちゃんのことが好きだし、○○ちゃんも私のことを好きなはずなのに、それを私から「○○ちゃんは私の友達」と表現するのがどこか居心地悪い…みたいな感じです。

そこで、今、丁寧に「友達」という言葉を見つめてみたいと思います。
結論から言いますと、「友達」という言葉は
 ①自発的関係性を示す語ではなく
 ②関係内の人間が使用するときは他者の視点を借りて使われているのに
 ③本人はそれに気づきづらい

と私は考えています。混乱しますよね。ひとつひとつ説明します。

まず、相関図を描くときに、自分から他人に伸びていく矢印をイメージしてください。その矢印には「父親」とか「上司」とか、be動詞的(〜である)なものと、「信頼している」とか「嫌い」とか、do動詞的なものがあると思います。
『友達』という語は、この2つのどちらにあたるでしょうか?
そう、『友達』という語は、このカテゴライズが曖昧なまま扱われてしまっているので、混乱したり、悩みの原因になったりしやすいのだと私は思います。

結論から言いますと、「友達」という関係は、「父親」や「上司」といったbe動詞でもなく、「信頼している」「尊敬している」などのdo動詞でもない、3つ目のカテゴリです。
そして、特殊なことに、「友達」とは自分から伸びる矢印ではなく、2人(もしくはそれ以上)の人間をかこむ円で表現されるものだと私は考えています。

この「友達」という語句の特殊さゆえに、人は悩んでしまうわけです。
でも、図を見て考えていただければ分かりやすいと思いますが、誰かを「友達にする」というのは変な…間違った表現ですし、正しくは「信頼している」とか「面白いなぁと思う」といった正の感情の矢印が相互に向き合った状態を、くるっと囲んで「友達」と呼ぶんですね。
なので、思春期に抱きがちな「○○と私は友達と呼べるのだろうか?」という疑問は微妙に焦点がズレていて、もっと具体的に悩むとすれば「私は○○に正の感情を抱いているだろうか?」「○○は私に正の感情を抱いているだろうか?」です。
そして、実はこれが一番肝心なことですが、自分へ正の感情を抱いてもらうということは、相手にお願いして出来ることではないです。

さて、ここで最初の混乱フレーズを一つずつ見ていきます。

①自発的関係性を示す語ではなく
友達とは、「私」から「相手」へ一方的に伸びる矢印ではありません
②関係内の人間が使用するときは他者の視点を借りて使われているのに
「私は○○の友達だ」と表現するとき、それは厳密に言うと「私と○○の関係は、他者から見て「あの二人は友達であると言える」という状態にある」ということ。
③本人はそれに気づきづらい
「友達」という語の特殊さに気づいていないので、あたかも「友達」という矢印が存在するように勘違いしやすい。

そんな感じです。ちょっとまだ分かりにくいですが、それは私の日本語能力のモヤモヤさが原因です!すみません!笑
もっと頭のいい友人の言葉を一字一句メモっておくべきでしたね…


恐らく質問者さんは、「あの人は自分の友達と呼べるのかなあ?」とか「どこからが友人で、どこからが知人?」とか、そういったことでぼんやり不安定な気持ちになっておられるんだと思いますが、上記のような考え方が悩みの方向の転換に役立てば幸いです。
「私は彼に/彼は私に、どういった感情を抱いているのか?」を内観してじっと考えてみるのも良いですし、一度文字で書き出してみるのもいいですね。そして正の感情が相互に向き合っていたら、それは立派な友達だと思います。
「友達」とは非常にぼんやりした概念でしかなく、本当に大切なのは「信頼している/されている」ですとか、「一緒にいて楽しいと思う/思われている」ですとか、そういう中身です。
この分析が、「友達」について考えるときの一助になれば嬉しいです。


最後におまけ。
私は以上の理由で「○○は私の友達」と表現するのはなんかやっぱりモヤモヤするので、もっとサッパリと「私は○○を信頼している」とか「私は○○のこと好きだよ」とか表現するようにしています。
友達という言葉からの解放……これもいいんじゃないでしょうか?

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