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「海外に行ったほうがいい」と言われ続けて


「あなたは海外に行ったほうがいいですね」

2年ほど前、横浜中華街の占い師がそう言った。

氏名と生年月日を書いた小さな紙を渡し、まだ数秒しか経っていなかった。どうなってるんだという驚きと、ああやっぱりかという諦念が渦巻く。

「とらわれたくない自由人なので、海外に行かれるとチャンスがありますよ。他人に指示されるより、なるべく海外に出て自分でやったほうがいいですね」

海外に出て自分でやれだなんて、まったく思い返せばどこまでも無責任な発言だと思うけれども、これは今に始まったことではなかった。

「海外に行ったほうがいい」

私はもう長いこと、この言葉に取り憑かれている。


* 

12歳のとき、家族でオーストラリアを訪れた。

よくある夏休みの海外旅行だったけれど、なぜかそれをきっかけに、「大人になったら海外に行きまくろうっと♪」というゆるい目標を立てた。

ものすごく感動したとか、特異な体験だったわけではない。ただ単に好奇心を刺激され、もっといろんなところに行ってみたいなという気持ちになった。物欲も遊び欲も薄かった私はお年玉のほとんどを「将来の旅費に」と貯金し続け、大学に進学するころには軽く地球が一周できそうな額になっていた。

地球一周こそしなかったが、長期休みのたびにチマチマと旅を繰り返した。アジアからヨーロッパからいろいろと行き、最終的には休学してカナダに住んだ。「海外に住む」という目標を早めに小さく叶えてしまったのは、正解だったのかよくわからない。


帰国後は東京で就職し、半年に一度くらいどこかへ行く生活になった。仕事は楽しかったし、それくらいの頻度で満足していた。

しかしなぜだか、

「いずれまた海外に行くんでしょ?」
「帰国子女かと思ってました」
「外国のほうが合ってるよ」

などと言われ続ける。おかしいな。海外・外国ってどこのことなんだろう。自分で言わなくても、なぜかみんながそう言うのだ。何かがにじみ出ていたのか、単に日本社会にフィットできていなかったのか。


そこへきて、冒頭の占いである。

スピリチュアルをもってしてまで断言されてしまったことで、さすがに「そうか、やっぱ海外か」と悟ったものの、それから2年も遠回りをしていたわけだ。まったく、煮え切らないにもほどがある。


半年前、いきなり人生が白紙になった。そんなときにも、友人や同僚から呪文のようにこの言葉がかけられた。

「もう、海外行ったほうがいいよ」

またか、という絶望をよそに、私にはどこが合っているかという議論がはじまる。ドイツがおすすめらしい。オランダもビザが取りやすいとか。以前行ってたクアラルンプールはどうなの?カナダに戻るのは?などなど。

もはや疲れて一旦停止し、「無職」という肩書を引っさげてしばらく放浪した。何の意味もないことはわかっていたけど、意味のないことが必要な時期もあるんだよばーか、と、自分に言い聞かせていたような感じもある。

それから3ヶ月経った今、私はオーストラリアにいる。

そう、ついに、15年以上の時を経て、この大陸に戻ってきたみたいだ。

ビビッとくるとか、すべてが繋がったとか、そんなドラマのような感覚はほとんどない。ただぬるっと日常がスライドして、じわじわと暮らしが積み上がってゆく。

やっぱり海沿いは寒いなあとか、昨日買ったシリアルは失敗だったなあとか、そんなことを思いながら、1日1日を大切に過ごす。


実のところ、まだどこにもたどり着いていない。不完全さと途中経過を楽しむ心が、自分に一番足りないと気づいた。


明日は日本が祝日だから、いつもは行けないWi-Fiのないカフェに行ってみよう。そんなささやかな寄り道を楽しめるだけで、もしかしたら最高なのかもしれない。


Photo taken by me @ Bondi Beach, Sydney, New South Wales

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