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2年前の今日

2年前。2018年。平成30年。7月6日金曜日。

岡山市東区に住んでいる私は、激しく屋根に打ち付ける雨の音を聴きながら、ひたすらテレビとWebで情報収集していました。

どうやらやばいらしい。

岡山県のほとんどの地域で特別警報。23時くらいには、吉井川より東の岡山市全域に避難指示が出ました。ただ近くに避難所は開設されていませんでしたが。

晴れの国岡山

岡山県で災害が起こるなんて思ってもいませんでした。今までやばいぞやばいぞと天気予報がいくら言っても、大きな災害になることはありませんでしたし、むしろ大したことない感じの予報の時に少しの被害が出たことはありました。確か今から二十数年前に一度、岡山市東区あたりから瀬戸内市あたりにかけて、浸水被害があったように記憶しています。それだって、高校生の時で、自分の家は被災しなかったので、正直、実感はありませんでした。

今回だって似たようなもんだろ。大丈夫大丈夫。その気持ちが8割。でも何かあったらまずい。その気持ちが2割。そんな感じで情報収集。我が家は割と低い場所に建っているので、大きな川が氾濫したら、必ず浸かる。いやでも大丈夫。1階で寝ている家族を気にしながら。最初は1時間おき。時が経つにつれて30分おき、15分おき、10分おきに近所の用水路が溢れていないか、窓を開けて確認していました。

爆発音

そんな時「ドンっ」という音と共に。家が少し揺れました。最初は、こんな時に地震か!?と思いました。なんとなく阪神淡路大震災の時の最初の揺れににていたから。でもその後揺れはきませんでした。何じゃったんじゃろう?もしや酔っ払いが家を蹴った?泥棒が何か壊した?念のため、外に出て、家の周りをチェックしました。何もない。

そこで初めてTwitterをチェックすると、いろんな人が「今の音なに?」と書いてある。しかも広い範囲で。

何だろう?不安が募ります。その後、衝撃の映像がTwitterに上がりました。爆発があって、いろんなものが飛んできた。死ぬかと思った。みたいなコメントと共に、割れたガラスや壊れた壁の画像。しかも我が家からかなり離れた総社市。何が起こったん?

Twitterでも情報は錯綜していましたが、後に総社市長が朝日アルミの工場が爆発したとツイート。原因がわかって安心したものの、その後、続々と出てくる浸水被害の画像。取り残された人の投稿。一気に不安が募ります。

そして夜が明けた

徐々に明るくなっていく空。少しずつ弱まる雨音。ようやく少し安心したもののSNSにはまだまだ衝撃の画像や動画が上がり続けます。真備が、総社が、平島が浸かってる…しかもとんでもない高さまで。嘘じゃろ?

正常化バイアスとは怖いもので、その動画を見ても、いやでもみんな大丈夫じゃろ?我が家も大丈夫大丈夫。その大丈夫は半分しか当たりませんでした。我が家は無事。でも被災地はあまりに多く、そして被害はあまりにひどい状態。倉敷のラジオ局でパーソナリティをしている私は、一体、被災された方にどんな言葉を発すればいいのか悩み始めます。

やがて仮眠をとり、少しすっきりした頭になって、ようやく少し冷静になれました。とにかく情報だ。どうなっとる?何ができる?何が要るんな?そこからは、もうがむしゃらだった気がします。

青い空

その翌日だったでしょうか。雨が上がって、午後になって青空が見えました。

あ!あ、あ、あ、青空じゃ!

本当に声を出して言いました。もう二度と見られないんじゃないか?とさえ思っていた青空が見えた!空が好きで、雲が好きで、いつも空を気にしている私でも、こんなに青空を見て興奮したことはありません。と、同時に、これほど空に気持ちを落ち着かせられたこともありません。あの青空は忘れない。

書ききれない

その後、お風呂情報をまとめて発信したり、支援物資を調達したものの空振りしたり、ボランティアに行こうとして空振りしたり、避難所に安全にお野菜を届ける方法を考えて、ピクルスという形で届けたり、ラジオで番組の半分くらいが豪雨災害関連情報になったり、選曲もゲストのブッキングもトーク内容も悩みになやんだり。チャリティ配信をしたり。チャリティコンサートをしてもらったり。

たくさんの無駄がありましたが、少しだけ役に立ったこともあったように思います。でも所詮、被災された方に比べると能天気。その現実が自分を責めたこともあったり。

なんだか書ききれないので、またこれに関してはまとめようと思います。

こんな日に九州ではとんでもない豪雨災害が起こり、今なお危険な地域がある。とにかく少しでも被害が少なく。被災する人が少なくなりますように。

あれから2年。

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