学校は命を削ってまで行かなければならないところではない

今日から9月。
この時期になると、学校に行くのが辛いというお子さんもいるかもしれないですね。
この記事の題名は、Facebookの投稿で見かけた言葉です。
お子さんが行きたくないという気持ちがあるのに、お母さんやお父さんが理解してくれないということがあるとのことで、それは辛いだろうと思います。

学校は子どものためにあるもので、その当事者の子どもが嫌だというのに行かなければならない、というのはどうなのでしょうか。
大人は本当に正しい判断をしているのでしょうか。それを強要する必要があるのでしょうか。誰が子どもの人生の責任を持つのでしょうか。親は子どもの人生を背負って子どもが老人になる先々まで一緒に生きるのでしょうか?子どもの人生は誰のものでしょうか。

▪️子どもが学校に「行ってくれなくて」困るのは誰?

出席がーとか、内申がーとか、勉強がーとか、それは誰の都合?と思います。
ちなみに、小学校も中学校も全く出席しなくても卒業できます。
以前、中学校で出席として認めてもらうために保健室に通う、という記事を見かけましたが、そんなことしなくても卒業できます。
勉強だけなら家でもできますし、塾もあります。色々な方法がある今の時代、学校だけが学びの場ではないです。

子どもが学校に「行ってくれなくて」困るのは誰なんでしょう?

▪️子どもが学校に合わせるべきなの?

となると、子どもが行きたがらない学校とは一体なんだろう?と疑問に思います。
子どもが学校に合わせるべき?変ですね。
いろんな子どもがいますから、それぞれの好みにあった色々な学校があってもいいのではないでしょうか。そして選べる自由があっていいんじゃないかと思います。
今は選べる自由もあまりないですし、大人が用意したものに合わせさせる、合わないのは本人に(あるいは親に)問題がある、と考えられています。

まるで小さい窮屈な洋服を無理やり着させて、「きついからいや!」と子どもが言っているのに、大人は「着れないのはおかしい」「みんな着ているんだから着なさい」「偉い大人が一生懸命考えた洋服なんだからこれが正しい」とでも言っているかのように感じます。

通っている学校があっている、楽しいという子はそれでいいんですけど、そうじゃないという子もいますし、きつい洋服を無理やり着せることはちょっと考えたほうがいいと思います。

▪️大人の世界も同じかも?

会社に行くのが嫌だけど、「行かなくちゃならない」から行っている。だって生活がかかっているから、みんな我慢して仕事している、残業している、休みも返上で、病気をしても我慢して・・・・
だから、他の人が我慢しないで休むのはダメでしょう。自分だって我慢してやっているのにと、大人の世界も同じかもしれません。
子どもの世界ではそれが学校。
大人は自分の我慢を子どもにまで押し付けて、同じような人生を歩ませたいのでしょうか。そんなはずないですよね。子どもに幸せになって欲しいと願っていると思います。

▪️世界は広いです


以前、朝の通勤時に電車で衝撃的な場面に遭遇しました。
お母さんと小学校くらいの男のお子さんが一緒に乗っていて、勉強の話をしています。
お母さんがお子さんにこんな風に言ってました。
「今一生懸命勉強して、大きくなったら、この電車に乗っている人たちのように会社員になって会社に通うのよ」
なんで会社員?なんで電車通勤?と疑問がいっぱいでしたが、おそらく、このお母さんはそれがその子にとってベストだと思っていたんでしょう。

誰でもそうだと思いますが、自分の考える範囲内のことでしか想像できませんし、それが自分の世界を作っていますから、世界はこういうものというのは人それぞれ違うのは当然です。

でも、他にもいろんな世界や価値観や考え方があるのだと知っていたら、一つの価値観だけの世界で生きるよりも、楽に生きることができると思います。
自分が周りの決めたものに合わせるよりも、もっと自分に合う洋服(価値観や世界)を選んだほうが幸せではないでしょうか。
世界は広いですから、親も子どもももっと他の価値観や視点に目を向けて欲しいと思います。

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