【ぶんぶくちゃいな】進む粤港澳大湾区構想と殻に閉じこもる香港本土意識

このnoteの「お知らせ」でもご案内した、周保松・香港中文大学教授の講演会が6月末に東京で行われ、主催者の予想を超える参加者が集まった。もともと会場がゆったりとしていたこともあり、「熱気ムンムン」とはならなかったものの、教授は終了後に目を潤ませ、「こんなに多くの人が聞きに来てくれるとは思っていなかった」と言いながら、高揚した顔で取り囲む人たちの質問に答えていた。

もし、わたしのお知らせを読んで来てくださった方がおられれば、ここでお礼を申し上げたい。日本メディアは香港の主権返還(1997年)後、香港にあった支局を引き上げたところが多く、コンスタントに香港事情が報道されなくなっているが、逆にまだまだ多くの人たちが香港の「今」に関心を持っているということが分かって、わたしにとっても良い経験だった。

とはいえ、ちょっとした騒動もあった。

講演会の始めで主催者が聴衆に向けて周教授を紹介するときに「雨傘運動のリーダーの一人」と形容したことが、(たぶん)聴衆の中にいた香港人学生からフェイスブックにアップされて、それを読んだ一部の香港人から異議が噴出したのである。

わたしはいまだかつて香港で周教授を「リーダーの一人」とする言い方を聞いたことがない。確かに周氏は参加学生たちに同情的であり、哲学的な視野から精神的支援を行っていたし、今でもポスト雨傘の香港に関わり、香港の民主化について発言を続けている。だが、あれほど多くの人たちが参与し、発言した中で、同教授が運動自体の方針を決める立場に立ったことはなかった。

わたしもその紹介を聞いたときにちょっとひっかかったが、それは香港での位置づけはともかく、主催側の学術関係者が自分はそういうふうに周教授を位置づけているという意味だと理解した。そのとき壇上に目をやると、教授のそばにいた通訳はそれを通訳して伝えていなかった。だから、教授自身は自分の紹介時に使われた言葉の一言一句には気づいていなかったのは間違いない。(念のため付け加えておくが、当日の講演はすべて周教授の非母語である中国普通語で行われた。上海出身の通訳は教授の言葉を途中で遮ることもなく、そこで語られた一言一句をかなりわかりやすい日本語でよどみなく通訳してみせた。講演後の中国語話者の友人たちとの夕食の席でも、その能力の高さは絶賛の嵐だった。プロ通訳ではないそうだがそんなすごい人物がいることは特筆しておきたい)。

しかし、その後フェイスブック上で講演会には参加していなかった、知り合いの香港人活動家が「周教授が日本で雨傘運動のリーダーと自称している」というニュアンスで書き込んでいるのを目にした。誰が最初にフェイスブックで「報告」したのか、そしてそれがどんな書き方だったのかは元の書き込みに公開制限がかかっているらしくいまだに見つからないのだが、騒ぎ始めた香港人活動家の書き込みには「どこがリーダーだ!」と、周教授に向けられたコメントがずらりと並んでいた。

現場にいたものとしての責任から、コメント欄でそれが教授の自称ではなく主催者側による形容だったことを説明したが、それでも「本人がそう自称したから主催者がそう説明したのでは?」といったコメントが現れ、そこに集まる人たちが頭っから周教授を信頼していないのが見て取れた。いわゆるアンチの集まりである。でも、主催者が単なる能無しで何も調べずに講演を依頼し、何も調べずに相手に言われたがまましゃべってると思っているのか?と反論したかったが、そういう話題に食らいつく集団が手ぐすね引いて待っているような場で彼らが望んで誤読していることにわたしがかまい続けることもできないと諦めた。

そして、そこでは事実だけ述べるにとどめたら、そのうちの一人が「雨傘運動は『本土派』が主導したものだった!」と言い出した。

本土派とは、中国「大陸」に対して香港を「本土」とみなし、香港において香港的なものをすべてに最優先すべし、と主張する人たちのことだ。雨傘運動前にもすでに見られた主張であったが、特に雨傘運動という平和的な手段で中国や香港政府に向けて市民たちが民主的な選挙制度実施を求めたにもかかわらず、ゼロ回答のまま強制排除された結果、交渉相手としての政府を見限った人たちが続々と集結するようになった。

彼らの絶望感は理解できる。平和的な座り込みすら拒絶されたのだから、相手を全面否定してしまうのもわからなくもない。結局、市民一人ひとりにとって、できることは自分の身を守ることだけだという思いが強くなり、そこから攻撃的になっていくのは世の常である。

だが繰り返すが、雨傘運動開始時には萌芽はしていても「本土派」はまだそこまでの勢力はなかった。雨傘運動後に本土派に転じた人が多いとしても「雨傘を主導した」と前倒しするのは本末転倒だし、事実よりも「自分がそうだと思う」ことを優先して言い募っても、事実でない限りなんの得にもならないはずだ。さらにそれらの言を駆使して集団で同胞に批判の矢を向けることが、彼らの活動にどんな意義をもたらすのか?

そして一番残念なことに、歴史を都合の良いように「修正」し、客観を無視した「自分が想像する罪状」で第三者を討伐する姿は、中国の文化大革命そのものではないか。中国政府や中国を拒絶する彼らがそんな態度を取るのは、「ミイラ取りがミイラに」である。さらにそうやって香港人同士で仲間割れして亀裂を深めれば深めるほど、香港市民の分断が広がり、二度と団結などできなくなってしまった。その結果、ほくそ笑んでいるのは「敵」なのである。

でも、「だめだよ、ぼくもさんざん言ってきたけれど、彼らは聞く耳を持たないんだ」と、周教授は寂しげに言った。教授はそうしたレッテル張りが自分にぶつけられれば反論はするが、ネットのどこかで言われていることに対して自ら論戦を挑むつもりはないという。

ネット炎上と言ってしまうのは簡単だが、今の香港社会には炎上の燃料が蔓延している。外から時折香港を眺めている我われにはわかりにくい状況だが、そんな彼らが置かれた複雑な日常もひっくるめて理解してこそ初めて香港の事情を理解したといえるし、またそんな香港人や香港社会のために何ができるかを考えることができるはずだと思う。

その一歩が周教授の講演会だったと思いたい。

●着々と進む「粤港澳大湾区」構想

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