【ぶんぶくちゃいな】封じられた六四集会、それでも香港市民は街に繰り出した

1989年の天安門事件から32回目の6月4日が過ぎた。

香港では事件以降毎年、市内最大の公園であるビクトリア公園で中国大陸の片隅で唯一、中国政府に対して天安門広場に座り込み民主化を叫んだ民衆の行動の再評価を求め、またそこに6月4日未明に軍隊が突入して多くの犠牲者を出した責任を問い、犠牲者の追悼と中国共産党による一党独裁の収束を求める天安門事件追悼集会「六四晩会」(以下、「六四晩会」)が行われてきた。

だが、これまでもすでに何度もお伝えしてきたように、昨年中国国内から広がった新型コロナウイルス感染阻止のため、香港では集会禁止令が発令されていることを理由に今年も六四晩会の開催申請が却下された。昨年はそれでも、その決定は表向きはともかく政治的な判断によるものだとして、六四晩会を主催してきた「香港市民支援愛国民主運動聯合会」(支聯会)の李卓人・主席らが自主的な追悼活動を呼びかけ、ビクトリア公園の封鎖を突破して追悼活動をした。

しかし、それに応じて李主席らとともに追悼活動を行った主要活動家たちは当初、集会禁止令違反で逮捕され、その後容疑が「非合法な活動を呼びかけ、煽動した」に切り替えられて裁判にかけられ、先月懲役判決を受けた。

さらに昨年6月末に施行された香港国家安全維持法(以下、国家安全法)によって、中国共産党の一党独裁に反対し続けてきた支聯会自体が解体されるとの予測が高まっている。特に今年は主要運営メンバーのほとんどが獄中にあるために、改めて今年の開催申請が拒絶された時点で、支聯会は30年来初めて「今年は集会を組織せず、市民それぞれが各々の手段で、法の範囲内で追悼を行ってほしい」と呼びかけるにとどめた。

一方で警察は6月4日を警戒し、約7000人の警官をビクトリア公園周辺を中心に配備、また市内各所に分散させて厳戒態勢を敷いたのである。

その結果…

まず、六四晩会の代わりにカソリック教会が市内7ヶ所の教会で主催した犠牲者追悼ミサはあっという間に詰めかけた信者でいっぱいになった。さらに市民は封鎖されたビクトリア公園を取り囲み、あるいはそのすぐ側の繁華街コーズウェイベイへ、あるいは海を越えたチムサーチョイやモンコックという中心街で、まるで例年の六四晩会に参加するかのように、手にしたろうそくに火を灯して押し寄せたのである。

それはまさに「遍地開花」…ビクトリア公園を締め出された人たちが文字通り、「いたるところ」(遍地)で「花を開かせた」というにふさわしかった。そして皮肉にも、それは間違いなく、2019年のデモが収束し、新型コロナ騒ぎが始まって以来の初めての大型街頭行動だった。

市民は諦めていないことを証明してみせたのである。

●六四晩会と香港市民


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