「香港の涙」(2009年4月9日JMM配信)

先日のライブトークでご一緒した大久保さんが、村上龍さん主宰のメルマガ「Japan Mail Media」(JMM)にわたしが連載していた「大陸の風-現地メディアに見る中国社会」のうち、2009年4月9日に配信した香港に関する記事をサルベージしてくださいました。

中国に新天地を見つけようと移住した香港時代の友人の話と絡めて書いた記事ですが、読み返してみると、なんと今年2020年に「上海を国際的金融都市に」という中国の当時の目標が出てきたりして、なかなか懐かしい。せっかくなので公開します。

なお、文中の換算レートはすべて配信当時のものです。

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JMM 2009年4月9日配信号
『大陸の風-現地メディアに見る中国社会』第147回

「香港の涙」

「なんでだろう、こっちは同化したいと思っているのに、いつも最後には『お前は香港人だから』って排斥されるんだよな」

久しぶりに会った香港人の友人がこう言ってため息をついた。

彼と知り合ったのは、彼がステージ上で歌うロックライブで、わたしがステージの下で口を開けて観ていたころのことだから、もう15年も前(注・1990年代)の話だ。ご他聞に漏れず、創作性よりも商業性が重視される香港の音楽シーンではプロのミュージシャンになることは難しく、今の彼は音楽活動を楽しみながらマルチメディア系のクリエーターの仕事をしている。

その彼と北京で再会したのが5年ほど前だった。その頃働いていた北京の会社に来る前は上海で1年あまり同様の仕事をしていたと言い、その後2年ほどしてまた北京から、香港に隣接する広東省の中心都市広州に移って行った。「広東じゃ広東語が普通に使えるし、週末ごとに香港に帰ってバンドができる」と喜んでいたはずなのに、また突然、「広州の仕事を辞めて、これからフリーランスで仕事をしようかと思って北京に来てるんだ」と連絡してきたのである。会うのはもう2年ぶりくらいだった。

彼の話では、やはり金融不況の欧米からのオーダーが激減したため、貿易都市である広州市や広東省の経済の冷え込みは相当なもので、輸出品生産基地を広東省に移している香港企業のショックはさらに大きく、「中国でいっぱい人脈を作ったけど、このまま香港に帰ってもしょうがないくらい」だと言う。逆に香港から仕事にあぶれた音楽やマルチメディアの業界関係者が「視察」にやって来るのを案内して回ることも多いのだという。

「みんな、これまで本当に中国を知らなくて、来てみて初めて、『えっ、大陸(中国)ってこんなに空間が広いんだ? 音楽活動だって盛んだし、商業に絡め取られてる香港の活動空間よりずっと自由じゃん。いいねぇ、いい仕事あったら紹介してくれよな』と言って帰っていくよ」と、彼は笑いながら言った。実際のところ、90年代に香港で鳴らした有名作詞家なんかもすでに北京に「移住」して活動しているのだそうだ。

「で、あんたはどうすんのさ、これからフリーランスで?」と尋ねたとき、彼は顔を曇らせた。

彼によると、北京でも何人かのクライアント候補と会って話をした。その相手の一人が、「キミは標準語も話せるし、北京、上海、広州といった大都市の業界にも詳しいことは分かった。でも、うちの会社のクライアントはみんな中国国内企業だ。国内企業が何を求めているのか、香港人のキミにわかるのかい? キミは彼らの要求を満足させられるかい?」と言われ、言葉に詰まったのだそうだ。

「ぼくらはここの人たちと一緒になってなにかをやりたいのに、何年たってもそのチャンスを彼らは結局くれないんだよな」と、彼は北京語でかしましいレストランの一角で広東語で言ってうつむいた。

ふうん……と応えながらわたしは、最近よくこれと似たようなシチュエーションを目にしてるなぁ、と考えていた。

たとえば、3月に開かれた、1年に1度の二つの政治会議の後で、中国国務院(内閣に相当)が「2020年までに上海に国際金融センターと国際水上輸送センターを建設する」と、正式に発表したときのこと。

その月の初めにはロンドン市が行った世界金融センターについての調査において、ロンドン、ニューヨーク、シンガポールについで香港は4位と評価された。香港のこの地位は長年変わっていないものの、3位のシンガポールとの差はわずか3ポイントで、その他アジアの都市では東京が15位(8つ後退)、台北41位、クアラルンプール45位、バンコク50位、北京51位、ソウル53位とされ、その中で上海は昨年よりひとつ順位を落とし、35位につけている。

その香港にとって、中国政府が「上海に国際金融センターを建設する」と宣言したことは、これまで遅かれ早かれそういう政策が発表されるだろうとウワサされてはいたものの、脅威が現実になったことに上から下までショックが走った。

中国の都市による香港の国際金融センターに対する挑戦が迫っている。国務院が先週、2020年をめどに上海を国際金融センターとして発展させるという政策を可決したのに続き、5月には深センのGEM(Growth Enterprise Market)市場が取引を始める。香港はしっかりとした国際金融センターの地位条件を利用して、中央政府による全面的な金融業界の発展、上海や深センの発展推進に立ち向かっていかなければならない。香港はすでにモテモテの「皇女」などではなく、厳しい挑戦に向かうために努力を怠ってはならないのだ。(「社説:金融センターとしての香港はもうモテなくなった」香港経済日報・4月1日)

ここには急激な経済成長を遂げる中国の中央政府がその発展をバックアップする上海や深センの追い上げに対する、香港の無力感が現れている。ならば国は世界4位の香港をどうしようというのか、国務院はその上海の国際金融センター化政策の発表では触れておらず、そこも一国二制度下にある香港にとって不安要素なのである。

ドナルド・ツァン香港特別区行政長官も「香港は最も資質を備えたアジアの金融センターと認められているが、前進に励み、いかに力を発揮し続けるか、税制度を強化していくかを検討していかなければならない」というコメントを発表し、前進への激励という形で市民の不安を払拭しようとした。また、香港特区政府の曾俊華財政長官も「中国のような大国において二つの国際金融センターが出現することはそれぞれ別々の地域の需要を満たすことができ、多いとはいえない。香港は上海と協力してさらに国のために尽くさなければならない」とコメントし、また香港人の尊敬を集める富豪の李嘉誠氏も「香港人は自信を持って上海との競争に向かっていかざるを得ない」と語る。

しかし、上海を支えるのは中央政府である。香港人たちの「もしかしたら上海に追い落とされるのではないか」という不安はぬぐえない。香港における中央政府からの「出張所」である中央駐香港連絡弁公室の李剛副主任は「長年、香港は国際金融センターとして機能しており、世界の国々とは香港を通じてつながることができる。一方で上海は主に中国国内との関係作りを進め、香港と上海は相互補てん、相互協力の関係であるべきで、上海は香港の脅威にはならない」と、ならば実際に両者の何が違うのかについては具体的に語らず、香港の人々は中央の政策の不透明さにますます不安を募らせている。

上海の金融センター建設は大局に沿ったもので、短期間においては人民元が自由に交換できず、そのオフショア決済などはまだ香港で行うしかなく、また海外における人民元債券の発行業務も上海は短期において香港に抗うべくもなく、上海と香港の金融市場が衝突を起こすことはないだろう。しかし、長期的に見て、香港の金融センターの地位は上海へと移り、上海の国内への浸透力はさらに広く深くなり、一旦人民元関連投資項目が徹底的に解放され、人民元レートが徹底的に市場化されれば、上海は国内外の人々にすべての金融サービスを提供できるようになり、同時に上海には香港の香港ドルと人民元間レートにかかわる問題も存在しなくなる。(「香港の金融センターは上海に取って代わられる」新京報・3月27日)

北京で発行されている新聞「新京報」はこう伝えている。いや、香港を含めて多くの理性的なメディアの分析はこれと似たようなものである。ますます「慰め」の言葉は香港市民の市民の「慰め」にはならない。

それだけではない。今年初めには、すでに香港に進出しているディズニーランドがこれまたこれまで何度も語られてきたウワサを証明するかのように、「ウォルト・ディズニー社は上海市政府と同社の上海進出に向けた枠組協議にサインした」という形で正式にメディアで報じられた。

もともと香港のディズニーランドは規模が東京よりも小さく、自由に東京ディズニーランドを訪れることができる香港人よりも、中国国内から香港へ観光にやってくる人たちをあてにした観光スポットとなっている。そのディズニーランドに香港特区政府はこれまで230億香港ドル(約3000億円)以上を投入しているが、それでも赤字が続き、ディズニーランドは施設拡充のためにさらなる投資を求めている。当然、香港市民には自分たちが楽しめないディズニーランドに対して、「いくら香港の雇用や観光業界のためといえども、私企業にこれ以上税金を投入する必要はない」という反対の声が高まっている。

そこに、中国国内にも香港よりもずっと広い面積のディズニーランドを建設するという話が本格化したのだから、香港の人々がディズニーランドと上海市に足元をすくわれたような思いに包まれるのも当然といえば当然だろう。もともと香港での建設決定当時にも公にはされなかったが、上海も建設地として名乗りを上げており、「上海に勝った」という思いがあっただけに香港の人々は穏やかではない。金融センターにしてもディズニーランドにしても、香港はその小さな土地の後ろに広がる広大な中国市場が後ろ盾になってくれると信じていたのに、と感じている。

「中国は力をつけてきているからね、香港はこのままじゃ、後退していくことになるんだよ」と、冒頭の友人は言った。「だから、もっともっと中国との協力関係を深めなきゃ、連結を強めていかなければならないんだ」

そう、香港特区政府の関係者もそう考えている。だからツァン行政長官は、「香港は絶えずアジア地区における最も重要な金融センターとしての地位を東京やソウル、シンガポールと争っている。国が上海を金融センターに育て上げようとすることは誇りにすべきで支援すべきだ」などという「苦しい」コメントも吐いている。国の決定を支持しなければ、という気持ちが香港中に充満している。

「だからさ、今進んでいる珠江三角州地域の協力体制が確立すれば、香港の状況も良くなるだろうし、香港人の士気も上がると思うんだ」

……ビジネスマンみたいなこと言うね。

珠江三角州の計画協力というのは、中国広東省と香港を結ぶ珠江沿岸の地域、特に広州、香港、マカオ、深セン、珠海、東莞、中山などの地域を密接に結ぶ交通網を敷き、それをもとに強力な華南経済帯を作ろうという計画である。まず、香港や外国企業の下請け工場で栄えてきた深セン、珠海、東莞、中山を大都市圏と結ぶことで流通の流れを良くし、相互の物資と人々の往来を促す、というのがもともとの構想にあった。

しかし、実際にはこれらの工場進出先地区ではここ数年、コストの上昇によって多くの香港企業が撤退し、さらに最近の金融不況で残っていた企業も次々と工場閉鎖に追い込まれている。もともと、壮大な規模の交通網計画だったことから、その投資をどうやって回収するのか、「車両10台のうち観光バスが3台、自家用車が5台、貨物トラックが2台という割合で、有料道路にしても高すぎれば自家用車や観光バスの利用が減るのは間違いなく、さりとてコスト回収も必要」という懸案がずっと解決されないまま、アイディアと威勢のよい掛け声だけが先走りしている。

そして、この「ニューヨークやロンドン、東京に並ぶ世界的経済地域とスーパー都市グループを作る」という目標を掲げた珠江三角州経済地帯化計画の投資プランは、香港が50.2%、マカオが14.7%、そして広東省が35.1%と、その面積比例とはまったく逆の香港の「資金力」に負うところが大きい。しかし、メディアの報道を見る限り、掛け声が一番大きいのは広東省政府であり、黄華華同省省長は「香港と深センはアメリカのニューヨークとニュージャージー州のような双子の都市になるべきだ」とまで言っている。

このほか、香港から深セン、広東省、そして北京へと続く高速鉄道の建設計画も持ち上がっており、香港は約400億香港ドル(約5000億円)を投資することになっている。それが2015年に完成すれば、香港から広州までを50分(現行鉄道では2時間)、北京までを10時間(同23時間)で結ぶ予定で、2020年には1日当たり10万人の利用客を見込む。

さらに、珠江を跨ぎ、香港とマカオ、珠海を結ぶ全長29.6キロメートルの大型橋梁建設計画が今年3月に正式に決まり、年末に正式に着工する予定で、香港は総投資額の42%にあたる67.5億香港ドル(約870億円)を負担する。

香港はこれらの計画に乗ることで、間違いなく自身を中国大陸の一部として「同化」させようとしている。実際には香港から北京まではすでに京九鉄道が走っており、もともと香港域内と中国国内は線路幅が違ったがそれを走らせるために主権返還直前に大掛かりな拡張工事が行われた。それからわずか10数年後の高速鉄道建設はそれぞれの関係をもっと緊密にするものだが、今では航空業界も過当競争に陥っているほどなのである。主要路線ばかりそこまで分散させる必要があるのか。

さらにまた、後者の大橋が完成すれば、香港空港から車でそのまま珠海空港に行けるというのも売りの一つとなっている。しかし、規模こそ違え、どちらも国際空港をうたい、中国各地へ国内線を飛ばしている空港間での乗客の「交換」がどれほど必要なのか。

これらのニュースを聞きながら、わたしは思っていた。

かつて東南アジアの片隅で、イギリスの植民地統治を受けながら、実際には中国と西洋諸国、東洋と西洋の間で、どこにも属さず、あるいはどちらにも属して屹立していた香港はどこに行ったのか。人々がそこで養った視野や行動範囲の広さが、どうして今、中国にだけフォーカスされ、「同化」される必要があるのか。

そんな思いがまた頭にもたげてきたとき、友人に向かって、「アホじゃないの? あんた」という言葉が口から突いて出ていた。

「香港人のキミに、中国国内のクライアントが何を求めているか分かるのか」て、訊く方も香港人がどんな人たちなのか、なんにも分かっちゃいない。あんたはこう言うべきでしょう? 「そうですね、ぼくは今はあなたのクライアントが何を望んでいるのかは分かりません。でも、ぼくには世界的な業界の発展が見えていて、中国でもこの業界はこういうふうに発展すると考えていて、あなたの会社をその方向に向けて発展させるプランがぼくにはあります。ぼくにはあなたの心は読めないけれど、プランがあります。それをあなたのために実現したい」って。

同化なんかする必要はない。香港には中国大陸とは違った歴史があり、環境があり、経験があり、視野がある。一人ひとりの香港人は確かに中国国内の現状をよく知らないかもしれない。でも、香港という中国にはない、西洋に開かれた環境で培った視野と知識と経験がある。

たとえば、教育。いまや中国から香港の大学に入学する中国国内の学生は引きも切らない。彼らは香港の大学で学べば、中国とは違う国際的な視野を吸収できると信じている。そして、実際に香港の学校で学び、そのまま香港で就職している人も続々と増えている。それだけじゃない、中国から海外に留学した人たちが、中国国内に戻らずに香港で就職するというパターンも激増している。それはなぜか?

一旦海外を知ってしまった中国人には捨てがたい、中国国内にはない、世界に開かれた環境がそこにはあるからでしょう? 中国から香港の大学に進んだ人がその後、外資系の業界トップ企業に雇われて、そのままアメリカでの研修に招かれたのちに本社勤務になった、という話もごろごろ聞いた。それらの企業はなぜ中国国内で人材を探さず、香港で探すのか?……それを真面目に考えてごらんよ。

つまり、一国二制度下にある香港が求めるべきものは「同化」ではないってこと。「同化」ではなくて相手の目には奇異に映るかもしれないような独自性をもっともっと求め、磨くこと。違う制度の相手との「同化」を求めるのではなく、制度が違うからこその「標奇立異」(独自性を見せる)を目指すこと。

それを主権返還後、あんたも香港政府も忘れてないかい? 香港はこれまでずっとダイレクトに世界の情報とつながり、制度も考え方も違う中国の水先案内人として西洋社会に向けてその言語能力を最大に生かして彼らとの信頼関係を結んできた。その頃の信頼はまだ決してすっかり消えてなくなってしまってはいない。もし、あなたたち香港人が「香港人であること」を誇りに思うなら、そして香港をこのまま失速させたくなければ、自分が中国の人たちと何が違うのかをもっと真剣に考えてみるべきでしょ。そう、あんた自身についてもね……

彼が本当にわたしが言いたいことを理解したのかどうかはわからない。しかし、わたしが香港の独自性をまくし立てている間、彼がうなづきながらそっと涙をぬぐったのを見た。「そうか、標奇立異かぁ」とつぶやきながら。

(原文は「Japan Mail Media」2009年4月9日配信)

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