記述に誤差はありえる。その事実は認識しておきたい。

城山三郎賞 安田峰俊さんの「八九六四」に

安田峰俊さんの「八九六四」が城山三郎賞を受賞したとのこと、おめでとうございます。安田さんは、視点が独特でアプローチも面白い。とにかく個性と行動力のある書き手さんなので、わたしもいつも読むのが楽しみです。

ですが、香港で天安門事件を体験し、その後も香港の政治及び社会状況を見続けてきた人間として、今回の受賞作のうち香港の部分に対しては取材対象者が限られていて、彼らの情報をもとに香港の社会事情や社会運動の背景を綴っており、特に香港の一九八九年天安門事件に関する記述は事実と相反していることは指摘しておきたい。

一例として、香港で当時、天安門に座り込んだ学生たちを支援し、事件後抗議行動の中心になった団体は、大学生が発起人ではなかったこと。どちらかというと労働組合的な要素を持つ社会運動家が中心となり、学生はまったく主導権を持っていなかった。このへんの記述は完全に事実とは違います。

香港の独立、及び民主を求める若者たちにシンパシーを持つのは理解できるし、彼らを中国国内の天安門世代に見立てて取材対象の中心においたというのも、「安田視点」としてアリだと思います。ですが、客観的社会事情を、彼らが語る情報だけで組み立ててしまい、きちんとした客観資料でファクトチェックをせず、及び八九年当時に抗議運動のトップに立った人物ではなく、その後続いている活動の現トップに話を聞いただけでストーリーを作り、今の若き運動家との対比例にしているのはちょっと甘いのではないか、と思います。当時先頭に立った李柱銘たちはまだ存命ですし、当時の話を聞くなら、彼らにアプローチすべきではなかったかと。もし、取材時に李たちの存在及びその役割の大きさに気づいていなかったとしたら、それこそ香港の天安門事件関連の活動を論じる上で大問題だと思います。わたしの視点については具合的にはここにまとめてあります(有料記事ですが)。

【読んでみました中国本】30年前のあの日は人々にとって何を意味するのか:安田峰俊「八九六四 『天安門事件』は再び起きるか」

ただ、今回の受賞の理由及びこの本の面白さは、日本の中国ウォッチャーや学術研究者が「聖域」にしてしまいやすい、1989年の天安門事件に対する生々しい「今の声」をまとめたことにあると思います。そういう意味では受賞に対して心から「おめでとうございます」と申し上げます。

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