【ぶんぶくちゃいな】 すり替えられた、中国政権下の「香港」「民主」「選挙」

1月初め、中国の国営通信社、新華社は香港特別行政区の司法長官にあたる律政司長の袁国強(リムスキー・ユン)氏がその職を辞し、その後任に鄭若驊(テレサ・チョン)氏が就任すると伝えた。

香港の主権が1997年にイギリスから中国へと返還された際、期待と不安を抱えつつ、香港及び世界が最も注目したのが司法制度の今後だった。中国国内における司法は強権のもと常に疑義にさらされている。西洋司法体系からその体制下に入る香港の司法が平等と公正を維持できること、政治的に大きく揺れが起こっても、香港人は最終的に司法の公平性を信じてここまできた。

そのため、香港政治のトップである歴代行政長官選挙には必ず法曹界から立候補者が出ている。しかし、今のところ行政長官は住民の直接選挙ではなく、中国政府が認める有識者による投票で選ばれるため、法曹界出身の行政長官はまだ一人も出現していない。

司法長官はその行政長官の下で司法のすべてを取りまとめる役目を果たす。しかし、返還から20年経ち、3代目となった袁司法長官の下で、その「中国化」への最後の砦とみられていた司法への信頼はこれまでないほど地に落ちてしまった。

最大の分水嶺が2014年に起きた香港では過去最大の民主要求運動「雨傘運動」だった。香港の中心部アドミラルティに集まった群衆に対して警察は催涙弾を発射。当初参加するつもりはなかった市民の多くが政府権力が無抵抗の学生らを敵とみなしたことに驚愕、次々と現場に駆けつけて運動参加者への支援を行った。

実のところ、「雨傘運動」が3カ月近くも主要幹線道路を占拠して続けられたのは、この司法長官下における判断ミスの影響は大きかった。人びとは初めて、司法が庶民の反対側に立ったことを意識して怒りを増大させたのだ。

その後さすがに一時はやり過ぎを反省したらしく、警察など司法当局はおとなしく運動の動きを見守った。しかし、長期化し、強制排除の決定が近づくと、香港警察や機動隊による活動参加者や支援者への人目をはばからない暴力が激化する。

特に警官複数による参加者への集団暴行事件は現場に詰めていたテレビ局のカメラに事の次第をしっかり捉えられ、放送された。テレビ局での放映はその後中止されたものの、ネットでは繰り返しシェアされて、香港中の怒りを買った。

また強制撤収の作業の合間に現場を通りかかった若者が、現場に詰めていた警察官の誤解から殴る蹴るの暴行を受けたときも、やはり目撃者のカメラに捉えられている。

しかし、こうした明らかな証拠があるにもかかわらず、司法当局の対応は明らかに緩慢だった。市民からの要求にものらりくらりと聞く耳を持とうとせず、昨年夏になってやっと当該警官らに有罪判決が下りたが、警察署長は彼らを英雄視するような発言をして社会は激震した。

さらに、その暴行警官らへの懲罰と引き換えだとでもいうように、雨傘運動の先頭に立った学生リーダーグループに次々と有罪判決が下った。運動が巨大化する前夜、抗議を呼びかけて政府ビルのフェンスを乗り越え、敷地内に侵入したことが罪に問われたのだが、人びとを驚かせたのは、この件はすでに年始めの略式起訴で社会服務令が下り、学生らもそれに服し、結審したことになっていた。それを袁司法長官自らが「不当な判決」と述べて再審を請求、学生リーダーたちに実刑と一定期間の政治権利剥奪の判決が下った。

政府は否定しているが、この前代未聞の再審請求の裏には政治的な背景がないという言葉を信じる者はいない。明らかに司法はその砦をかなぐり捨ててしまった。今や、香港には政府や司法に対する、過去30年間にわたしが経験したことのない不信感が漂っている。

かつて、暗黒と混乱の70年代を経て、「香港はクリーンで公正な社会だから」と香港市民が胸を張って堂々と口にしていた時代は再び過去の思い出として封印されてしまった。

●高まる司法への不満

ここから先は

6,927字
この記事のみ ¥ 300

このアカウントは、完全フリーランスのライターが運営しています。もし記事が少しでも参考になった、あるいは気に入っていただけたら、下の「サポートをする」から少しだけでもサポートをいただけますと励みになります。サポートはできなくてもSNSでシェアしていただけると嬉しいです。