【ぶんぶくちゃいな】「秋後算賬」:香港雨傘運動から4年目の冬

今年9月28日、あの雨傘運動開始から4年目を香港で迎えた。

雨傘運動のことは、初めて香港に来たという東南アジアのフェローたちも知っており、「4周年の日には何があるのだろう」という期待感が漂っていた。

ただ、学生たちが中心となって盛り上がった運動だったというのに、その日が近づいてもそれを感じさせるようなものは、私たちが暮らしていた大学の中でも目につかなかった。一つ、学部ビルをつなぐ長い廊下に体験型インスタレーションと呼べる「作品小屋」が出現したので、中に入って覗いてみた。それは小さな2畳ほどの広さをダンボールかベニヤ板で作った壁で区切り、その壁に雨傘関係者のシュプレヒコールや、学生自身の声が書き込まれていた。それを覗いた学生の書き込みらしいものもあった。

でも、ただそれだけ。目新しい発見は何もなかった。英語話者のフェローの一部もその存在に気がついていたようで、「あれ見た? 何が書いてあるの?」と尋ねられた。彼は中国語で書かれた言葉が理解できず、残念そうだった。

結果からいうと、雨傘の記憶はこの例に見られるように、どうにも内向きになっていると感じた。28日には4年前の中心部となった政府ビルそばに人が集まってシュプレヒコールを挙げたものの、街全体ではそれと気づかせられるようなムードはほとんどなかったし、香港に不慣れな非中国語話者がその4年が実際に香港に生んでるのかを知るのはそう簡単ではないだろう。

とはいっても、その思い出が風化しつつあるというのではなく、人々はそれを意識していても、言葉にしたり、自分の周囲で表現したりすることを避けるようになっている、と感じた。」人々の雨傘運動への思いや言葉はほぼ水面下に押しやられてしまっている、そんな感じである。

実際、「雨傘運動」話題はこの4年間、重苦しさ以外のなにものもこの社会にもたらしていない。雨傘が人々の民主的選挙制度導入という希求を達成できずに強制排除され、その排除の過程では激しい暴力が振るわれたことが人々の記憶だけではなく、動画や映像で記録されており、それがもとになって訴訟も起きている。

その一方で、誰がどうみてもやりすぎだろうと思うような警察の暴力に対しても政府のトップが同情的な発言をし、市民を刺激した。平和的手段で訴えの声を挙げた運動を暴力的に排除した結果、権力の側煮立つ者への憎悪や怒りは極限に達しており、社会は分裂してしまった。それはさらに「権力の側に立てば悪いようにはならない」といったムードすら生んでいる。

また、権力に抵抗する人たちの一部は2015年の春節に前代未聞の大暴動を引き起こした。正月早々、人々にとって見慣れた街で起きた乱闘事件は、面倒に巻き込まれたくないと思う人たちをますます遠ざけてしまった。

それでも2016年末の立法会議員選挙では、雨傘後に生まれた若い世代が議会に送り込まれた。しかし、徹底的な雨傘世代つぶしを図る政府と保守派によって彼らは次々とその議員資格を奪われてしまった。現時点で唯一残っている朱凱迪議員もつい最近、選挙区の村代表立候補を政治的見解を理由に一方的に拒否されている。同様の理由で議員資格を剥奪される日も近い、と多くのメディアは書き立てた。

ニュースの紙面を飾るようなこうした大きな出来事の裏にも変化はもちろん生まれている。

香港でも最も貧しい人たちが暮らすとされる地域で、「リペア(修理)活動」を行うボランティアグループ。地域の中で「壊れたもの」を募り、週に1回、修理のプロとボランティアがチームを組んで修理に出かけるのだ。

それは中古冷蔵庫の修理だったり、古ぼけた洗濯機の修理だったり、割れた窓ガラスの貼り替えだったり、屋上に住み着いた野良猫の保護だったり、独居老人の家の家事だったり。

人間関係が希薄になり、また貧しさも手伝って、「助けて」と頼む相手がいない人たちの手助けをし、コミュニティの信頼感を取り戻そうという活動だった。

その街で暮らしているのは独居老人や、中国から移民してきたばかりの人たち、あるいは子沢山、離婚、病弱などの家庭の負担を抱えた人たち、難民、少数民族…その人たちに手を差し伸べようとするグループたちの背後にも「雨傘運動」の陰があった。ボランティアとして参加する人たちは多かれ少なかれ、雨傘運動とその後の社会の亀裂に思うところがあり、真剣にコミュニティの「リペア」(修復)を考えるようになったという。

もちろん、そこでは「民主社会」への啓蒙活動も行われていた。社会に放って置かれた人たちの社会への意欲をもっと高めてやりたい、そうした思いから、電気職人から教師、企業のホワイトカラーたちが集まって活動する場があった。

その反面、若者たちの間には深い、どんよりとした絶望感も広がっていた。雨傘運動後、香港に危機感を覚えた中国政府の態度はますます厳しいものになっている。かつて政府内の福祉責任者として高い評価を受けていた林鄭月娥氏の行政長官就任に、一縷の望みを描いた人たちも少なくなかったが、2017年の就任後、林鄭行政長官はそんな人々が期待した「社会に寄り添う姿勢」を見せないままだ。

それがますます人々の出口のない、息の詰まる思いをもたらしていると感じた。

●「曲解」が生んだ、息苦しい1年

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