【ぶんぶくちゃいな】香港市民が模索する、香港式「一国二制度」

「逃亡犯条例」改訂案の議会提出をきっかけに始まった香港の市民デモ、6月に100万人、200万人の市民が街に繰り出して抗議の声をあげてから1ヶ月が過ぎた。驚いたことに、今でも毎週末に関連デモが続いている。

「逃亡犯条例」の改訂草案自体は、7月1日の立法会議場突入を受けて「寿命を終えた」と行政長官は発表したが、まだ現役でもない草案が「寿命」とは何たる言いぐさ、なぜ「撤回」と言わない?!という声は根強い。今や、「撤回」という言葉を言うか言わないかが最大の争点になっている(ほら、香港は死後キョンシーとなって復活するという伝説がある街ですしねぇ…)。

最高議決機関の立法会の本会議はすでに6月いっぱいで夏休みに入り、10月の新会期開始まで休会中だ。この間、一部の専門部会会議が予定されていたが、立法会議場突入で議場が破壊されたため、これも開けず延期となっている。ただ、このままでは行政停滞状態に陥るため、意見対立の少ない福祉予算などについては別途、担当委員たちがオンライン会議で諮問し、異議なくば可決させて実施に移すという実行案も進められている。

それは全人口780万人の都市における、議員総数わずか70人の議会だからこそできることかもしれないが、それでもこの臨機応変さはみごとだ。そして、その優先議題が「福祉」「民生」に直結するところもさすが香港である。もちろん、規模も形態も違う日本の最高議決機関と単純に比べることはできないとしても、ならば日本の一地方自治体の政策運営においてこうした議会運用が可能だろうか? …首長の一存でならともかく、議会がこうした対応を行うためのコンセンサスは日本の議会文化にはないので、多分無理だろう。

「福祉」「民生」を政治課題よりも重視する議会の姿勢は、わたしが香港で暮らし始めた当初から続く伝統である。そうなのだ、1980年代末期の香港の議会でもそういう姿勢は(日本に比べて)顕らかだった。

「え、当時の香港って主権返還前だよね? 植民地下の香港で福祉や民生を重視した議会運営が行われていたの?」

きっと、あなたはそう思うだろう。そうなのだ、植民地だった香港において、民生や福祉の議題はとても重視されていることがわたしの目にも不思議だった。

だが、それこそが現在の政治的混乱の中において、香港市民から「植民地」時代を懐かしむ声が挙がる理由の一つなのである。

●「植民地」イメージによる「誤読」

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