【ぶんぶくちゃいな】アリが象を呑んだ? 中国小売今昔物語

「カルフールが中国事業を蘇寧に売却」

これは2000年代以降に中国で暮らしたことがある人にとっては、かなり衝撃的なニュースだった。「あの」カルフールが、「あの」蘇寧に買い取られるなんて…

「カルフール」(Carrefour、中国語表記は「家楽福」)はフランスのスーパーチェーン。本国では倉庫型(バルク型)ルーパーと言われ、車で乗り付けて箱買いする客を狙った店舗展開をしており、かつて日本でも同様の店舗を展開しようとして失敗、撤退したらしい。

「らしい」というのは、日本への出店と閉店の事実をカルフールについて調べているときに初めて知ったからだ。それも2000年に日本進出というから、わたしはとっくに中国で展開されていた「カルフール」に馴染んでいたころだった。日本では箱買いが一般的ではなく撤退したらしいが、実は中国のカルフールも箱買いは一般的ではないものの、高い人気を誇るスーパーだった。

中国で最初のカルフールの店舗が出来たのは1995年だという。最初は北京で、翌年に上海、深センで新店舗を開設。1995年といえば、天安門事件後の国際封鎖によって国内で「経済発展」が叫ばれていた頃。首都北京はもとより、経済都市上海、そして香港との連携で大きな経済発展が見込まれていたのが深センで、すでにそれぞれに株式市場があり、文字通りお金が集まりやすい都市を狙った戦術だったことがわかる。

そして、その戦術は大成功した。

90年代の中国は、「個人が自分でお金を稼ぎ、自分で使う」ことを初めて覚えた時代である。だが、その一方でお金を使うことができる消費品は非常に限られていた。沿海地方ですら続々とお金を稼ぐことが出来た一方で、国内物流がまだまだだったからだ。海外からの輸入品は関税も高く(WTO加入前だし)、北京、上海、深センですら、めったに個人が手に取ることができなかった。

そこにどーんと出来たカルフールは、中国の人の目には消費品の博物館のように映った。徹底的に品揃えにこだわり、中国国内で生産された外国ブランド商品を集中的に並べ、たとえ北京や上海、深センといった「超」がつくほどの大都市に暮らしている人たちですら、一つの店舗でそのすべてを目にし、選び、手に入れることができるという体験は貴重だった。かくいうわたしも、ときどきカルフールを訪れては、その品揃えの多さと、「欲しいものが絶対にそこにある」という万能感に安心したことが何度もある。

当時すでに、商品棚にモノが置かれて客が好き勝手に選んでレジで生産するというスーパーマーケットは出現していたものの、ほとんどが狭いところにぎゅうぎゅうに押し込まれ、万引き防止の職員の目が光っていた。一方で、カルフールはゆったりとした作り、店内は明るく、食品などの異臭もしない清潔さは見て歩くのも楽しく、買う買わないに関係なく歓迎されるショーケースとなった。

夜遅くまで営業していたのも人気だった。中国のお店は当時6時過ぎには閉まっていた。夕飯を終えてから、あとは寝るだけといった家族連れが散歩代わりにやってきて店をぶらついていた。とにかく眺めるだけで楽しいから、食後の娯楽にぴったりだったんだろう。

「カルフール」といえば、対面販売、従量販売も話題になった。お魚販売ケースに生身の魚や魚介類、野菜や果物が並べられ、欲しいだけ取って袋に入れて量ってもらってその分だけ支払う。中国では露店市場では一般的だったそれが、清潔なスーパーマーケットでできると大変人気を呼んだ。コーナーにはいつも、沢山の人だかりができていた。

その華やかなりしカルフールが、国内の家電販売店「蘇寧」をバックグラウンドに持つ「蘇寧易購 Suning」(以下、蘇寧)に買収されたというのだから、人々が驚かないわけがなかった。

●中国の消費を刺激した3大外資スーパー

続きをみるには

残り 4,685字

¥ 300

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

このアカウントは、完全フリーランスのライターが運営しています。もし記事が少しでも参考になった、あるいは気に入っていただけたら、下の「サポートをする」から少しだけでもサポートをいただけますと励みになります。サポートはできなくてもSNSでシェアしていただけると嬉しいです。