【ぶんぶくちゃいな】「流行語」から見る昨今の中国社会

中国を離れてこの5月で7年。その後最後に北京に行ってからやっぱり6年ちょっと。その後は上海乗り換え便で上海で飛行機が飛ばず、真夜中にホテルに移送されて一泊して翌朝飛び立ったり、香港滞在中に深センや広州に日帰りででかけたりしたものの、わたしもすっかり「中国の日常生活」から離れてしまい、自分が浦島太郎になりつつあることを感じている。

もちろん、日々のニュースやSNSでの友人たちの会話のチェックは続いているけれども、どこの地区でもやはりそこに暮らしていないとわからない空気がある。そして、文字や言葉でしか触れることができなくなった今、突然「当然のように」現れる言葉に、その空気の変化を感じて慌てることがよくある。

言葉は生き物だ。日本でもそうだが、ある種の流行を指す言葉がニュース記事に現れるようになると、それはその社会でその言葉や文化が市民権を得たことを意味する。

たとえば、日本のマスメディアでもつい5年ほど前は、「Twitter」や「Facebook」、「YouTube」という固有名称は現れず、「ネット投稿サイト」という言葉でくくられていた。でも、今や政治家の言葉をこの「ネット投稿サイト」で拾うようになり、こうしたまだるっこしい言い方だけでは間に合わなくなった。「〇〇新聞が報道した」と同じように「Twitterに投稿した」などといった名称がストレートに使われ始めている。

そんなこともあって、ニュース読みのときにふと気になってメモってきた、中国の新しい言葉とその文化を今回は取り上げてみる。言葉の背景には当然、人々の生活様式の変化、そしてときには言葉尻だけではない思いが組み込まれている。そうしたところを「ぶんぶくちゃいな」風にご紹介する。

●「ネタがウケるのは共鳴を呼ぶから」

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