【読んでみましたアジア本】記憶と時代、そして多くの人々を紡いだのは一台の自転車だった:呉明益・著/天野健太郎・訳『自転車泥棒』

「どうせ盗まれるんだから、そんな高級なのを買う必要はないんだよ」

北京で暮らしていた頃、なんどかふと、「自転車欲しいな〜」と口に出したときに必ず誰かにこう言われた。自転車を持つ人で一度も盗まれたことのない人なんていないんだから…と、ちょっとカッコいい自転車に目移りしていたわたしの気持ちが見透かされていた。結局は一度も自分用の自転車を手に入れることはなかったのだけれど、そういえば自転車を足のように使っていた留学生たちも、新車を買う人はほぼいなかった。

「ぴかぴかの自転車は目をつけられやすいし、中古なら盗まれてもショックは小さいもん」

原則的には自転車は登録が義務付けられており、登録証がついていない自転車が警察に見つかると盗品として取り調べを受ける、という話も耳にした。だが、ちゃんと登録料を払った登録証をつけていても、自転車が盗難にあったことを届け出ても警察がわざわざその自転車を探してくることはしない。登録証とは警察がその自転車が盗品かどうかを見分けるためであり、盗まれた自転車を警察が探し出すための手がかりとはみなされていなかった。

つまるところ、警察もまた「自転車は盗まれるもの」と考えていたのだ。所有者はわざわざ登録料(5元≒100円だったか)を払って、「警察が盗品を見分けるためのお手伝い」をしているに過ぎなかったのだ。だが、自分が買った自転車でも登録証をつけていないのが見つかると盗品を疑われ、罰金を課せられる。それはなんとも理不尽なシステムだった。

まだ公共交通がそれほど発達していなかった時代、中国では一つの都市もまた非常に広大で、そこに暮らす人たちは驚くべき距離を自転車で移動するのが普通だった。でも、中国よりずっと狭く、インフラが中国よりも発達していた台湾でも自転車がとても珍重されていた時代があったことを台湾人作家、呉明益の『自転車泥棒』を読んで初めて知った。

●自転車から広がる時空

ここから先は

2,275字

¥ 300

このアカウントは、完全フリーランスのライターが運営しています。もし記事が少しでも参考になった、あるいは気に入っていただけたら、下の「サポートをする」から少しだけでもサポートをいただけますと励みになります。サポートはできなくてもSNSでシェアしていただけると嬉しいです。