【ぶんぶくちゃいな】まるでリアルSF小説…香港国家安全法の2年目

香港国家安全維持法(以下、国家安全法)施行後の2年目、香港は初年度よりもずっと早く「解体」されている気がする。

そのおかげで、この間に人生を大きく狂わされた人がどれほどいることか。

香港メディアは先月、香港出入境データをもとに、同法施行後の1年間において出境者が入境者の数を10万人以上上回ったことをはじき出した。ちょうどこの間は世界的なコロナ感染拡大下で世界規模で人的移動が大きく制限されており、その中で香港を出て行った人たちが入境者より10万も多いことは、そこになんらかの「出ていかなければならない理由」があったと捉えることができるはずだ。

その移動の波は、この7月にも起きている。

中旬には、香港生まれの香港市民のほぼ無条件受け入れを表明している英国による「ビザなし入境後の移民ビザ申請」受け入れが終了した。これからは香港を出発する前に英国当局に所謂「移民ビザ」を申請し、認可を受けた後で英国に向かう必要がある。だが、その期限直前の香港空港はなにはともあれまずは現地入りしようとする人たちで英国便搭乗カウンターはごった返した。

7月末にもやはり「出境ラッシュ」が起きた。8月1日から香港の「入境条例」が改定され、日本の出入国管理官にあたる出入境処員がその判断で香港を出入りしようとする人を「拒絶」できる権限が付与されたからだ。

実際に、それまでにも「アップル・デイリー」が警察の国家安全処の捜査対象になった後に出境仕様とした編集関係者が複数、出境を拒絶され、そのまま逮捕されている。それまでは逮捕対象になっていなかったというのに、である。つまり、香港市民はいままで香港で暮らす間はなにもなくても、海外に出ようとしたん足止めされるのではないか、と恐れ始めたのだ。

その結果、7月末までに自分が行ける海外に出ようとする人たちが空港に殺到した。

写真や動画、そしてSNSの書き込みで伝えられるそこでの涙涙の別れは、1997年主権返還前の香港「移民ブーム」にはなかった。当時は、自分は香港に残って仕事を続け、妻子だけ海外に送り出す「太空人」(宇宙飛行士)と呼ばれた手段や、アメリカやカナダなど出生地戸籍主義を採る国々で子供を出産するなどの方法を採る人も珍しくなかった。

だが、当時は移住先で国籍を取得したら「また住み慣れた香港に戻ってくる」という人が多く、実際に筆者の同僚も出産後けろりとした顔でオフィスに戻り、興味津々の同僚たちにその経験と手ほどきを伝えていたくらいだ。

しかし、それも昔ばなしである。その光景から約30年が経った今、香港の空港から飛び立つ人の多くがかの地に永遠の別れを告げる覚悟なのだ。彼らは口々に言う、「香港はもう我われがよく知る香港ではなくなった」と。

今回は国家安全法施行2年目のこの1ヶ月間で急速に悪化した圧迫感を、7月1日夜に起きた警官襲撃事件を軸にまとめてみる。振り返ると、それはまるでSF小説のプロットのようだ。

●返還記念日に起きた「悲劇」


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