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【ぶんぶくちゃいな】中国戦狼「内」政

「中国人なのになんで中国語で歌わないの?」

1998年に香港のアンダーグラウンドロックバンドが北京のライブバーで演奏したときのことだった。満場の観客の中には当地の著名ロックスターたちの顔もあった。かぶりつきで真剣な目を注ぐ彼らを前にライブを終え、汗だくになっていたメンバーを興奮した面持ちの観客たちが取り囲み、満面の笑みで「良かった」「良かった」と握手を求めた後、口々に早口の北京語でそう捲し立てた。

これはなかなかの難問だった。というのも、香港で1960年代に生まれ、英語を主要言語とする普通の香港の教育を受けてきたメンバーにとって、英語で心の内を書き表すのはそれほど特異なことではなかった。さらに、歌詞を担当していたのは、香港で生まれだが小学生のときに家族でカナダに移住し、二十歳過ぎに香港に戻ってきたメンバーだった。カナダ国籍の彼もまた、れっきとした香港の永久居住者である。メンバー3人の日頃のやりとりは広東語だが、日頃から英語のロックに親しみ、自分たちの表現言語として英語を使い、さらに当時の香港のアンダーグラウンド界では知らぬ者はいないバンドになっていた。

一方、今でこそ中国ロックはそれなりに裾野の広い音楽ジャンルになっているが、1990年代はまだそれが生まれて10年ほどで、台湾資本のレコードレーベルのおかげでやっと著名バンドや著名ミュージシャンが台頭し始めた頃だった。彼らもまた欧米からもたらされた音源を聴き、「英語のロック」には彼らもすっかり馴染んでいたはずだ。だが「香港からバンドが来る」という情報に会場がパンクしそうなほど観客が集まったのは、「香港という『中国』のバンド」という「期待」があったからだろう。その歌詞が英語だったから肩透かしをくらい、「ウケ狙いか?」と疑う人すらいた。もちろん、当時は「中国人」同士が英語で会話するなんて、人々には想像もつかなかったはずだ(実際、その時の観客たちとメンバーの通訳は日本人であるわたしが担当した-笑)。

香港バンドのメンバーは当時、観客に「中国人」と言われたことを気にかける様子はなかった。だが、「中国語で歌うべきだ」と言われたことには、複雑な思いを抱いたようだった。「中国人が英語で歌うことがなぜダメなの?」と問いかけても、返ってくるのは「中国人なんだから……」ばかりで、この問題における両者の距離感が縮まることはなかった。

今年5月末に香港のナショナルフラッグであるキャセイパシフィック航空(以下、キャセイ航空)を巡る言葉に関する騒ぎが大きくなるにつれ、筆者の脳裏にはあの夏の両者の戸惑いが蘇っていた。

中国(のネット)と香港で大騒ぎになったこの事件を日本のメディアはどう伝えたのだろうと調べてみたが、大手メディアでも一部からはまったく関連記事が出ていないようだった。ただの、あるいはまたネットの騒ぎだろ……と、無視されたのか、それともただの小競り合いと思われたのか。

しかし、この「事件」は今の香港と中国が抱える、あるいは直面するさまざまな問題が包括されており、今後の両者の関係にかなり深い傷跡を残す可能性がある大事件である。ここでその本質をまとめ、またこの話を聞きかじった日本人がむやみな誤解を抱かないためにもきちんと説明しておきたい。

●政治問題にまで仕立て上げられた「おしゃべり」

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