「読者は知らない」という言い訳

ライターのお仕事の始まりは「企画作り」。自分の専門分野を持つライターはそうやってお仕事につなげていくのだが、必ずしもそれがきちんと企画化されるとは限らない。その理由にはもちろん、企画が未熟な場合もある。また、企画の持ち込み先がテーマ専門誌でない限り、編集者自身がそのテーマや意図を理解しているわけではないというのも事実。

だが、編集者が経験豊かで、ある程度の企画化権限を持っている人の場合、未熟な案件やあるいは編集者自身がよく理解しているわけではない案件でも話をしているうちに、肉付けをくれたり、あるいはヒントをくれたり、方向性をつけてくれたりしてくれる。少なくとも、わたしはイギリス人の上司に「編集者というのは、すべてを知っている人間ではなく、持ち込まれた企画からライターの意図を読み取り、それを自身の雑誌の読者に手渡すための構造作りをする仕事だ」と教えられ、実践してきたつもりだ。

だが、日本の編集者と話をしていていつも気になることがある。それは断り文句として「読者が知らない話だから」という言葉が常套化していることだ。これを聞くたびに、わたしは「当たり前ですよ。読者が知らないから書くんですよ、企画にするんですよ。知ってる話書いてなんになるの?」と心のなかで舌打ちする。わたしが専門にしている中国なんて、それこそ読者や日本の編集者が知らない話がごろごろある。

もちろん、編集者側の本意は多くの場合、「ウチの読者に合わない」あるいは「我々には分からない」だ。だが、「読者が知らない話」だから掲載できない/したくないという物言いを、文章やロジックを武器にしている人たちが疑問にも思わずに口にするという現状は呆れるばかりだ。逆にこの人たちのメディアは「読者が知っている話」ばかりを記事にしてなんになるんだろう、と皮肉の一つも飛び出してくる。実際に現場では、「読者が知っている」ことを何度も調理し直して記事化しているメディアも増えているし、自分が読んだり、見聞きしたことのある話ばかりにこだわって、「知らない話」には耳を傾けない編集者も数多くいる。

逆に、時々「書いてくれないか」と声をかけてくる中国や香港のメディア関係者と企画の話をしていると、「読者が知らない話」に彼らは飛びついてくる。そりゃそうだ、そっちのほうが価値があるんだから。もちろん、「知らない話」が全て正確、正しい、というわけではない。きちんとした検証をしない記事はただのゴシップ記事でしかない。

だが、少なくともメディアたるもの、「知っている話」じゃなくて「知らない話」を伝える努力をしないのは、本末転倒でしょうに。だから日本の報道って浅いものばかりで面白くないんだよ。



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