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ただ一度の正しい夏休み。

#海  というお題で、思いだすのは、たった一度のものすごく正しい夏休みです。

小学校低学年、当時東京に住んでいた叔母夫婦が、叔父の帰省に私を連れて行ってくれることになりました。私の家は酪農を営んでいて、家族旅行なんぞ夢のまた夢、という環境にいたのを叔母がかわいそうとでも思ってくれたんでしょうか?たぶんそんなことだったと思います。私は、何の感慨もなく連れて行かれるままで、期待も何もしない子供でした。今から思うと、「楽しみに思う」ということがあまりなかったように思います。

叔父の実家は新潟で、白鳥が来ることで有名な湖の近くでした。家族構成は、叔父のお母さん、お兄さん夫婦、その子供中学生のお姉さん、幼稚園の弟君だったかな…。家は大きな、古い、というよりも歴史ある…という感じの大きな農家で、子供の目から見ても手入れの生き届いたきれいな庭がありました。いかにも正しい日本の「田舎の家」で、絵にかいたような正しい夏休みを一夏だけ過ごしたのです。朝は、連れだってラジオ体操に、散歩がてら近所の湖に遊びに行き、夕方は花火をしながらスイカをかじる。誰もが親切で、優しくしてくれて、居心地がよくて、私はホームシックにかかることはありませんでした。それどころか、帰りたくないな…とぼんやり思っていたと記憶しています。(それまで泊りがけで行ったことがあるのは、母の実家だけで、そこでは伯母が私と同い年の従妹を比べて何かと嫌なことばかり言うので「ちょっと居心地が悪い」というのが当たり前だったからかもしれません)

それを自覚したのは、海に出かけたときのことだったかもしれません。叔父のお兄さんである「新潟のおじさん」が子供達を海に連れて行ってくれたのです。私には、初めての海水浴でした。みんなは楽しく自由に泳ぎだしましたが、私はプールでさえあまり行った事がなかったので当然泳げるわけもなく、浮き輪に掴まって波打ち際出遊んでるだけでしたが、それなりに楽しんでいました。ただ、足裏の砂の感触が気持ち悪くて嫌だったので浮き輪の穴にお尻を入れて浮くことにしました。ぷかぷか浮きながら波に揺れてるのは、大変気分がよいものだったと記憶しています。

海に浮かびながらぼんやりしていたら、気がつくと随分沖に出ていました。私は助けを呼ぼうともせずに波間に浮いていました。考えていたことといったら「帰りたくない」だけだったと思います。それもとても積極的なものじゃなく、「帰らなくてもいいや」位なものだったかと。

「家」に帰れば、「母の実家」どころじゃないほど「居心地の悪い」思いが続くのがわかっていたからです。「新潟の家」は誰もが優しく親切で、そりゃあ、お客さんだからというのは子供ながらにもわかってりましたが、なによりも誰も怒鳴ることもなかったし、理不尽なことで叱られれ、殴られることもなかったから。言葉がよくわからないけど、新潟のおばあさんはいつもニコニコとしていたようだし(当時の私は「おばあさん」が怖くて、あまり顔をみていなかったのです)海に浮かびながら、私はどうやら自分の家はほかの家とは決定的に違うものがあると思っていました。

我が家には暴君がいました。祖母です。いつでも不機嫌で、機嫌が良い時でもいつ爆発するかわからない地雷のような存在で、誰もかれもを支配しないと気が済まない人でした。私は毎日「死ね、バカ」と暴言を吐かれ大した理由もなく殴られていました。(そういう光景をみても、祖父は祖母の機嫌を損ねるのが面倒で見て見ぬふりをし、父は忙しくて知らなかったでしょうし、母は祖母に言われるまま、畑に牛の世話に追われて祖母が私に辛く当るというのは知っていたけど、殴ることまではわからなかったそうです)

そんなのですから、『仲の良い家族』というものはテレビの中にしか存在していないと私は思っていました。でも、そういう家族は存在していた。優しいおばあさんなんて童話の世界にしかいないんじゃないかと思っていたけど、いるじゃないか…とか思っていた私に浮き輪に大人の手が掴まってきました。

ぼけーと漂っていた私に「新潟のおじさん」が気がついて助けに来てくれたのでした。事件にならずに済みましたが、当然、次の年からはお呼びがかからなくなってしまいました(苦笑)まーよその子をあずかって肝を冷やすなんてまっぴらごめんですものねぇ。危なくなっても「悲鳴も上げない子」じゃなおさらですよね。たぶん、大人の顔色ばかり見て自分から声を上げることができない子供だったからだな、と思ってるんですけど。

あの時はとても楽しかった、ありがとうと言いたくても、おじさんもおばあさんも、とても遠いところに行ってしまいました。ご迷惑をおかけしてごめんなさいと謝りたかったなぁ…

「海」というと、あの新潟の海に漂っていた自分を思い出します。自分の家が「少しおかしい」と自覚した夏でした。その違和感が、じぶんのなかの「核」となった気がします。

そうして、きっと今でも私の中に、海に漂ってる「あの日の私」がいるのです。



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