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あの人どうにかしてくんない?と思った日に読む話

「人は変えられないけど自分は変えられる」

という言葉があります。
わたしはこの言葉にずっと違和感がありました。
間違ってないんです、真実だと理解しています。でもなんとなくだけどそれが響く言葉では私にはなかったんです。
間違ってないはずなのになんでやろ〜?と思ってて、それの答えが最近わかったのでシェアします。おほほ

結論:人は自由自在。こちらのかけてるメガネを変えれば。

結局人は変えられなくて自分をかえなきゃなんかい〜!と思うかもしれませんが、そうではないんです。

もっとなんか楽な感じです。自分を変えるっていう表現がなんだか難しそう。だからわたしは自分に良い人間関係を許可するという表現をします。

人ってめちゃくちゃいろんな顔を持っています。
優しい部分、短気な部分、仕事熱心、恋愛体質、あらゆる特徴がごまんとあります。
「ただ優しいだけのひと」というのは存在しないのです。1人の人間に隠陽の姿がありますよね。
外では真面目で家では言いたい放題、内弁慶とかもそれにはいりますね。

みなさんは、誰に対しても同じ自分でいますか?

わたしはいません。いろんな顔があります。
家族には甘えてしまうし、不機嫌もだしてしまうけど外ではまるで愛溢れてますみたいな人でいられます。どちらも本当の私です。

人間はたくさんの顔を持っていて、その人のどの部分をみるのかは実は受け取る側のこちらで選択することが可能です。

関わる私たち自身がその人のどこにフォーカスするか、がその人のあなたの前での人となりを決めています。
自分のかけてるメガネを変えるだけで全然違う人にみえたりするものです。

ある一つの話があります。

Aさんという女の子がいました。
彼女は新しい仕事についたばかりで右も左もわかりません。
Bさんは、その女の子を指導する担当になり、事前にその女の子の情報を採用担当者から聞きました。
採用担当「彼女はすこし変わっていて、プライドが高いんだ。注意をすると拗ねてしまうよ。気をつけて」
Bさんはあらかじめその話を聞いていたので、Aさんの指導をする際に
「プライドが高い人、扱いに注意」しながら指導しました。そして案の定、プライドが高いな〜と感じました。
一方で、Cさんという方がたまたまBさんがお休みの日に指導することになりました。
Cさんは彼女がどんな人かは知りません。
ただ、Cさんは「きっと仕事に一生懸命で素敵な人なんだろう」と思い、その姿勢で指導をしました。
案の定、CさんからみたAさんは仕事熱心で素敵な人でした。

Aさんはその日特別に機嫌が良かったわけでもなく、おんなじようにしていただけです。
違うことはBさんとCさんがあらかじめ決めた彼女へのメガネです。
プライドが高い彼女に意識を向けたのか、仕事熱心な彼女に意識を向けたのか、そこだけの違いなんです。

Bさんが悪い、ということではなく人間関係というのはその人の行動よりもはるかに
受け取る側の人間次第であると確信しています。

親であれ子供であれパートナーであれ、その人の全てを知ることは不可能です。その人がなにを経験し何を感じてきてどのような人格があるのかは、私たちが背負う問題では全くありません。

よく、恋人に「隠し事はなしだよ」と約束するカップルがいます。ですが、本来「隠し事」という概念がない人間にはそのような約束は浮かびません。
対等な関係を望むのであれば、関係に制限をつける事は決して健全ではない、と知っているからです。
浮気も同じです、浮気されたらどうしようと考えるのは自分が浮気をしてしまう可能性があるからです。もしくは、浮気をされて当然だと無意識の中で自分に暗示がかかっています。

全ての不安は自分の中にあります。

浮気を望まないのであれば、浮気という言葉すら、概念すらない世界に意識を向ける事です。
こっそり携帯を見るのではなく、「パートナーとこういう関係であれたら幸せ」と思うことに意識を向けます。
そしてそれを受け取れるほどめちゃくちゃ価値のある自分だと言うことを思い出すことです。

過去にどんなことが起きても、どんな扱いを受けようとも、あなたの価値は変わらないんです。貴重なんです。

「かけているメガネをかえる」というのは、"自分は健全で心地のいい人間関係を送れる"という事を疑わないことです。
先に決めてしまうんです、私はどこでもうまくやれるってね。

「どこにいっても嫌な人はいるよね」という言葉も聞きます。それは、そう思っているからご丁寧に登場してくれているだけです。
キャスティングしてるのはあなたです。
(一回無理だと思うとどんどん無理な部分が見えてきちゃったりありますよね...)

どこに行っても私は愛されてみんな優しいんだ、と信じれば、たとえひどく注意をされても「言ってくれたから次からはミスをしないで済む、ありがとう!」となれるんですよ。

その人の愛の部分にフォーカスしているんですから。たとえ相手が元々意地悪で言ったとしても、そんな返事をされたら「ありゃ。どういたしまして笑」と笑ってしまうんですよ。

○○○をされたらどうしよう
○○○が起きたらどうしよう
は、○○○が起きる要素を全力で探しまーすといってるのとおんなじです。

あらかじめ決めたことが案外重要なんです。
登場人物は自由自在です。

あ!でも、これを恋愛で履き違えてストーカーをしたり迷惑をかけるのは御法度ですよ。
相手は自分のことが好きなんだ、と思い込むところまでなら良いですが、だからあなたもおなじくらい好きよね?と迫っていいという話ではありません。

それでもイバラの道がやってきたら?

良い人間関係を送ると決めていき、毎日を豊かに過ごしていたとしましょう。
それでも、あれれ?嫌なことをされたぞ、とても酷い扱いを受けているな?となることがあります。笑

毎日パワハラされているけど、いい部分だけをみてフォーカスすれば大丈夫♪ということではありません。それじゃあ臭いものに蓋をしているだけです。

私たちが敏感に自分の心に従う時、必ず起きてくることは「本当に必要のない関係性は耐えられなくなる」もしくは「離れざる得ないことが起きる」ということです。
体の調子が悪くなったりするのもです。

マイルドなところだと、仲の良かった友達に違和感を覚えて前ほど楽しめなくなる、のもありますね。

これは冷たいのでもなんでもなく自然な現象で、単純に周波数が合わなくなったというだけなんです。悲しいことではないんです。
それと案外相手は悲しみません。
そして、また周波数が合致すれば、会えます☆

自分が常に心地の良い選択をえらび健やかに過ごせば過ごすほど、合わない周波数の人間関係はどんどん苦しくなります。
手放して良いよ〜んというサインです。
最初は軽い違和感からはじまります。
それはどちらが偉いというわけでもありません。
別のお部屋に移動したいと魂が言ってるけど、自分の中のエゴがそれを許さなくて苦しいんです。もはや環境への苦しみは、相手の問題ではありませんね。その人間関係に対して思い詰めることを全くやめていい、というサインです。

パワハラの例で言うと、たとえそのパワハラをしてくる人が権力があり素晴らしいと言われる人であっても、自分の心にノイズがかかるのであればそれはあなたにはふさわしくないということです。
ふさわしくない、とまず思い出す。
こう行動しようと降りてきたら行動すればいいし、どんな行動してもモヤモヤがつきまとうのであればそれは「いまじゃない」ということです。ふさわしくない、とわかればちゃんとあなた専用の道が準備されてますのでご安心を。

先に決める、そして手放す。

ここで話しているのは、先に人間関係のあり方を都合よく決めてしまうとその通りになる。ということと
周波数が合わない人とは離れるようになってる、ということですがなんだか矛盾しているように聞こえるかもしれません。

ですが、これは段階を踏んで考えてほしいのです。

①人間関係を自分の望むものに決めてしまう
②そうである前提で付き合う

ここで思い通り!幸せGOODなかんじならそのまま感謝して生きれますよね。
しかしながらそれでも思ってたんと違うな?ってことになってるとしましょう。

③違和感がでてきたら、関係を手放す許可を自分に出す

です。手放すというのは、サッサと絶縁しやがれ!ってことでもありません。
手放すと言う言葉だとしっくりこないかもしれませんが、心が会いたいと思わないなら会わないようにするんであったり、「一般的に」とか「人として」とかそういった概念を全部手放すということです。
長く付き合ってるから、、とか、失礼なことしたくないな、とかそういう自分が決めている常識を一度白紙に戻します。
私の気持ちはNOだ、とわかればNOのまま何かを変えようともがかないことです。
静観のタイミングです。
喧嘩をしたり話し合いをすることではないですよ。
それについて考える時間をもたないことです。

暴力や精神的にくる暴言を受けているのであれば離れる、といった行動に出るのはもちろんGOです。その離れる行動のために身体的、精神的にSOSを出してる場合がよくありますからね。

自分の心を疑わなくていい、と許可してください。

しかしながら
「なぜせっかく心地よく生きてるはずなのに、人をよく見ようと努力してるはずなのに、合わない人や嫌な事がでてきて苦しいことになるんですか?」
と疑問に思うこともあるかもしれません。

その苦しみは、あなたが作り出した常識や概念を炙り出すためだけの展開であり、
あなたがいい周波数のお部屋にいるからこそ、今まで気づかなかった合ってない周波数の人がクッキリ!ハッキリ!と見えちゃった、ということです。わかりますかね?

だから、総じて言えるのは
うまくいってるから、うまくいってないことが起きて気づかせようとしてるんですよ。

そしてうまくいってないことは何を教えてくれてるの?と自分に問い、それに気づいたら
案外すんなり解決したりします。
気づきは、心がホッとするものですよ。
我慢、忍耐、ではなく、
心がホッと、あぁそんなんでいいのか、ってことですよ。お風呂に入りながらぽわーんと浮かんできたりします。

色々いうたけどまずは思い出してみて

あなたの目の前には何個もメガネがあります。
それは同じ現実を別々のものに見せるメガネです。何度でも変えてもいいし、どれを選んでもいいです。自由です。

自分にはいいことしか起きないメガネを選んだ人は、犬のうんちを踏んだ時にこう思います。
「うわ〜!運がついたか?宝くじ買おうかな」
「ちょうど靴を洗おうかとおもってたんだ!」
「立ち止まらなかったら事故ってたかも、、!うんこありがと!」笑
はたからみればとんだハッピー野郎。
でも超幸せですね。

反対に、
人生には苦労がつきものという概念があるメガネを選んだ人はこう思います。

「最悪だ!!!!どこの犬だ??!」
「こんなとこで時間を食ってふんだりけったりだなぁ、、」
「まぁ人生なんてこんなもんか笑」と

どんなメガネをかけるのか、選ぶ権利があります。こんなもんな人生はこんなもんにしかなりません。

でもどんな人といたいか想像してください。
一緒にいたら最高だなと思う人にまずは自分がなるんです。
そうすればあらゆる形であなたのまわりは最高の人たちだけになります。

いつでも私たちは楽しくいるためにここにいるってことを思い出してくださいね。

いつでも、1番いいところに連れていくために私たちの感情は忙しいとおもったら、あなたは全然ひとりじゃないですよ。ね!!

よく食べてよく眠り〜


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