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意識の低い日

なぜ競馬場に行くのですか? というベタな質問をたまに受ける。あまり賭け事に身を投じなさそうな風貌に見えるらしい。
その理由はいくつかあるのだが、最近は「自分の意識を低くするため」と答えている。

さて、「意識を低くするために競馬場に行く」などと言ったら、一部の競馬ファンに怒られるだろう。ふざけるな! こっちは必死になって馬券を当てようとしているんだ! とか、馬の姿に心を打たれているんだ! とか。その点は申し訳なく思う。
だが、僕が月に1~2回ほど競馬場に行くのはどんな時かを考えれば考えるほど、偉ぶりすぎていたり傲慢になっているときと合致してしまうのだ。勢いよく鉄火場に乗り込み、パドックで馬に癒されつつ、レースになると差せー! とか、こらー○○(✳みなさんも頭を過った騎手名を入れて下さい)! と声を出す。すると不思議なもので、自らの小ささに気がつき、なんだか謙虚な状態になるのだ(財布が謙虚な状態になることにも気がつくのだが)。

365日全てがキラキラと輝き、夢や目標に近づく充実した人生。そういうのが送れるにこしたことはない。でも、それを目指したり、あるいは維持しようとしていたら、相当疲れるのでは? 最近、そういう人に出会っているから、身勝手ながらなおさら心配になる。

だから、意図的に「意識の低い日」をつくるべきだ、と僕は提案したい。頑張りすぎたり、上を目指しすぎて自分を見失うことに対し、もっと警鐘を鳴らしていこう。下を向いて足元を見よう。散らかった自分の外れ馬券が広がっていたって、「意識が低い日」ならばそれでいいのだ

どうもです。このサポートの力を僕の馬券術でウン倍にしてやるぜ(してやるとは言っていない)