見出し画像

超個人的「共感」論

去年の今頃あたりからだろうか、やたらと「共感」という言葉を目にするようになった。
その意見に、行動に、態度に、オススメする音楽やら本やら商品やらサービスに…etc
とにもかくにも、誉め言葉の中に「共感」というワードがあるのだな、ということをまず理解した。

その一方で、一部の人々が使う「共感」というワードに違和感を抱いた。それは本当に「共感」なのだろうか? と。
むしろ、僕は「同調」という概念に近い気がしているのだ。

[名](スル)
1 調子が同じであること。同じ調子。
2 他に調子を合わせること。他人の意見・主張などに賛同すること。「彼の提案に同調する」
3 受信機などで、特定の周波数に共振するように固有振動数を合わせること。
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/156407/meaning/m0u/

掘り下げてみると、「同調圧力」という熟語があるように「僕は本当はノーなんだけど、相手に合わせるためにイエス」という側面が「同調」にはある。
そう、口では「共感」という言葉を使いながらも、文脈を考えたり、振る舞いを見ていると「同調」のケースがある…というのに気がついたのだ。

改めて「共感」という言葉を辞書でひいてみる。 

[名](スル)他人の意見や感情などにそのとおりだと感じること。また、その気持ち。「共感を覚える」「共感を呼ぶ」「彼の主張に共感する」
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/55993/meaning/m0u/

もちろん、「共感」という言葉の中には「同調」の意味合いも含まれている。ただ、「共感」という言葉は「同調」よりも遙かに、他者の心情の深いところに潜り込む行為だというのもわかる。言うなれば、僕と他者の立場が対極の位置にあったとしても、何かしらの接点を見出すことができ、結びついたり分かりあえる。このことこそが「共感」ではないだろうか?

故に、軽々しく「共感」という言葉を使う人に対しては一歩引いて接するだろうし、自分自身も軽々しく使わないようにしたいと思う。さて、この主張はどれだけ読者に「共感」されるだろうか…

===============

当方の新作エッセイ集「反省と勉強」はBCCKSにて好評発売中!
電子版は無料&紙でもお買求めいただけます

どうもです。このサポートの力を僕の馬券術でウン倍にしてやるぜ(してやるとは言っていない)