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介護とBTSなんです ARMYしか勝たんと言ってたSUGAしか勝たん

たしか「BURN THE STAGE」のドキュメントシリーズだったような気もするのですが、SUGA氏がこんな意味のことを言っていました。

「普通の人は多分、4万5千人の前には怖くて立てないと思う」と。

BTSに限らず、何万人もの人の前でライブができるアーティストは本当にすごいと思います。だって、何万人ですよ。その一人一人が、ライブ情報を知った時点でチケット発売日の予定をチェックし(会社員だったら有休取得案件)当日はPCの前で発売開始を今か今かと待ち構え、秒を争う争奪戦を繰り広げ、そして勝利するや否や当日のために万障繰り合わせる。会場のチェック、移動手段のチェック、場合によっては宿泊予約も必要だし、何を着ていこうか悩み、体調不良にならないよう健康的な生活を維持し、応援グッズも作る。天気のこともちょっと心配し、親族に急な不幸がないよう心から願い、とにかく当日は心の底から絶対楽しんでやる、一緒に声を出す、愛してると叫んでやる。
そんな執念の塊りの何万人ですよ。その全員が出すオーラを受け止めるんですよ。並みの人なら吹き飛ばされますよ。本当に。

そんな観客のオーラを一身で受け止める強メンタルの持ち主、SUGA氏の「SUGA/Agust-D TOUR D-DAY THE MOVIE」が公開されました。
冒頭の彼のコメントがこれ。

「普段の僕jは冷静だけど<圧倒してやる>と思ってステージに上がった           瞬間から負ける気はしない。僕は無敵だ」

BTSではなく、俺ひとり。
観客の期待に応えられるだろうか。
などとは言わない。
ステージは観客との勝負の場であり、それだけ真剣であるということ。それだけ自分の存在を賭けているということ。
観客冥利につきるというものです。

D-DAYのツアーは世界10都市で25公演あったそうですが、ファイナルは当然ですが地元韓国で。ワールドツアーには慣れているでしょうが、母国語でライブができるのは、やはりラッパーであるSUGA氏にとっては一番やりやすく幸せなことなのではと思います。
去年オンラインで見た日本公演より生き生きとした感じ。やっぱり海外は言葉が通じにくいという意味でアウェイというか、地元以上の緊張感があるというか、私にとってSUGA氏は言葉を大切にしているというイメージがあるので、この映画では本当に自分が歌いたい曲、観客が聴きたい曲を「これでしょ?」って感じで自由に歌っている印象がありました。同じセトリのはずなんですけどね。全然違う印象。
しかもソウル公演ではDear my friendも歌ったそう。これ映画の中にも入れといて欲しかったな。
SUGA氏のラップがネイティブで聴けたら、そしてそれはどんなニュアンスなのか、こればかりは日本人の私には永遠に分かりません。残念です。


私にとって一番強烈なSUGA氏のソロ曲と言えば、やっぱりAgustDです。
A to the G to the U to the STDっていうあれ。もの凄い熱量と圧倒的な世界観で、ただただ「はぁ…」と、例えれば目の前をリニア新幹線が通り過ぎていったような感じ?(見たことないけど)
それで色々と検索していったのですが。

BTSの曲はどちらかと言えば日常のモチベーションを上げてくれるものが多くて、ちょっと面倒くさい家事をやるときなんかにもお世話になっているのですが、Agust-Dの場合は「ながら」では聴けない。というか、何か正座して聴かなきゃいけないというか、翻訳者さま渾身の翻訳をずっと目で追い続ける作業が必要というか、しんどい曲が多いんですよね。なのに底知れぬ魅力に溢れている。
どういうことなんだ。

私がSUGA氏に惹かれてやまない理由として腑に落ちたのが、来日したときに出演したバズリズム02という番組でのインタビューです。
「どんなときに曲を思いつくんですか」という質問に対して、SUGA氏は「特定の状況で何かを思いつく、というよりは直感やひらめき」と答えているんですが、その答えの中身より「え?」と思ったのが、自分のことを「大衆作曲家」と表現していることなんです。

大衆作曲家? え? ちょっとダサダサなイメージなんですけど。
本当にそう言ってるんですか? 翻訳合ってます?
あのAgustDを作ったあなたですよ?
みたいな驚き。

音楽と一言で言っても実際にはヒエラルキーがあって、事実韓国では同じ音楽に携わっている人でも、クラシックの分野で功績のあった人は兵役を免除されているそうです。
すなわちクラシック音楽は芸術で、大衆音楽は娯楽。クラシック音楽は格上で大衆音楽は格下。そして「大衆音楽」でもヒップホップは格上でアイドルは格下みたいな。
私自身がそういったバイアスに毒されているので、「大衆作曲家」という肩書に反応してしまったのかもしれません。
大衆作曲家。それは「創造性」とか「芸術性」みたいな「上質」の音楽とは縁の薄い、世間受けする音楽を作る人、といったバイアスです。

しかしSUGA氏は自らの意思で、ずっとその世界で生きてきました。
本人も言ってる通り、大衆音楽ではより多くの人に聴かれることが最大の成功であって、その成功の基準は数字です。売上げ、順位、MV再生回数、その他ありとあらゆるものが全て数字と言う冷酷かつ明確な結果で評価されます。そして実際に彼はその勝者であることを目指してきました。何と言われようが売れたもん勝ち。だったら「DYNAMITE」とか「BUTTER」みたいな曲を作ればいい訳です。
だけど「AgustD」は違いますよね。私は違うと思う。

自分が良いと思っているもの、表現したいものが必ずしも成功するとは限りません。音楽性を追求したくても「数字」と引き換えに妥協せざるを得ないことも数知れずあったでしょう。俺の音楽性とは何なのか、何のために音楽と言う道を選んだのか、と果てしない葛藤もあったに違いありません。そしてその末にたどり着いたのが、彼が自ら言うところの「大衆作曲家」というポジションだったのではないかと思うのです。
自分が良いと思っても成功しないとなれば、成功するように持っていくのには大変なスキルが必要だと思うんです。妥協してきた過去を糧にして数字が取れるスキルを磨き、妥協しなくても成功できる方法を諦めない。
その兼ね合いの絶妙さがまさにAgust-Dの楽曲であり、大衆作曲家を名乗る所以なのではないかと。

そう考えれば「クリエイター」とか「アーティスト」みたいなフワッとした横文字のカッコよさは必要ない。「数字」では表せないような曖昧とした評価はいりません。
売れる曲を作る職人なんです僕は、っていう顔つきでバズリズムのインタビューに答えていたSUGA氏のカッコよさよ。

映画の冒頭で「圧倒してやる」と語っていた彼ですが、最後にはこうコメントするんです。

「観客と向き合うときはその表情を見るんですが、みんな本当に幸せそ        うです。僕なんかのために…。僕は全ての人たちが気分よく幸せであ                                                                                                                                                                               ることを願っていますが、僕もステージで幸せです」

いやこちらこそほんまにありがとう。この幸せを誰かと分かち合いたい、誰かに手を差し伸べられる、親切でいい人でありたい、と改めて思わせてくれる映画でした。満足すると人は優しくなるんですね。
ステージに上がれることに感謝し、そこでベストを尽くすのが俺の仕事、と考えているというSUGA氏。
今さらやけど「あなたは本当にプロなんやね」と言いたい。
音楽小僧から音楽職人へと見事に昇りつめたSUGA氏。
帰還が待ち遠しいです。


最後までお読み下さった方は本当にありがとうございます。












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