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有名人の生まれ変わりが空想や「コード」である場合【診断チェック】

前世の「名前」について考えさせる件。
近ごろ頻繁にいただくようになったメールについて、個人情報に触れない範囲にて少々露骨な話をします。
少し厳しめなことも書いてしまいますが、他人を責める目的で書いているわけではないことご理解ください。

〔この記事はプライベートブログからの転載(一部カット)です。元記事https://ksnovel-labo.com/blog-entry-931.html

有名人の生まれ変わりを名乗る人たち


最近、少しずつ「有名人の生まれ変わり」を名乗る方々からメールをいただくようになりました。
これまで誰にも言えず孤独の中で生きて来られた方にとって、私の活動が何らか励みになったのだとしたら嬉しく思います。

なかには具体的な記憶の詳細とともに、記録と照合した際の資料を送ってくださる方もいて感激しました。
そのような誠実な方のお話には疑う余地がありません。
さらにホロスコープを見ればお話の裏付けが可能ですので、完全に信頼することもできます。
私が言うのも何ですが、「現実に肉体に近い位置での転生はあるのだな」とひしひしと感じることができました。
同じような体験をした方が地上に生きているというだけで、孤独ではないのだと知って私も救われます。ありがたいことです。

しかし一部の方が語る前世は残念なことに、私をからかうための嘘・作り話か、願望の表れとしての思い込みであるようです。

【追記】この記事を書いた時は失礼な人へ怒っていたため少し厳しめな表現となっています。もし、「“嘘をついている”とは自分のことかも」と誤解された方がいたら申し訳ありません。少なくとも、ご自身の詳細な資料を送って来られた誠実な方は違います。あなたのおかげで占星術にて前世を分析することに確信が持てました。感謝しております。

嘘をつくつもりはなく、ご本人が思い込んでいるだけのケースの場合。
何かのきっかけで知った有名人を好きになり、好きが高じて自分と同化させる妄想に囚われているのだと思います。
このような方はご本人には罪がないのですが、あまり心の健康に良いこととは思えません。できればもっと前向きなこと、たとえばその人物について学んで今後に活かしていくなど、現実的な方面に昇華していくべきでしょう。

もう一つ。
明らかに前世記憶ではないのですが、単なる空想として片づけられないケースもあります。
それが、巫女たちの受ける「神託」のようなものである場合。
霊的に敏感な方が、何かしら大きな存在(集合意識など)からメッセージを受けることはどうやらあるようです。
これこそ、松村潔氏が言うところの「コード」である場合(集合意識のメタファー)なのだろうと思います。
何の理由があって集合意識からメッセージを受けたのかは、私には分かりません。
そのようなケースは私の理解の範疇を超えます。私は、霊能力や心理分析の専門家ではないからです。
もし「コード」としてのメッセージを受けたら、私ではなく、神社の宮司など専門家にご相談することをお奨めします。

下にご自身の記憶を診断するためのチェック項目を挙げます。
「自分は有名人の生まれ変わりだ」と名乗る人の記憶のうち、以下に挙げる特徴に当てはまる場合、空想・妄想であるか「コード」であると言えます。
前世記憶と思われるイメージを持つ方は一度チェックしてみてください。


【有名人の生まれ変わりとしてのイメージが、「空想」または「コード」である場合】

1.人生の記憶よりも、まず名前が強いインパクトを持っている

〔例〕
・枕元に立った神様から「お前の前世は〇〇である」というお告げを受けた
・覚醒時、霊などに背後や耳元で前世の名を呼ばれた
・夢の中で前世の名をはっきりと呼ばれた 等々

2.前世が外国人や古代人であるのに、何故か現代日本語の発音でその名が聴こえる(あるいは自分で発音する)

※追記 正確な外国語で発音した場合は、前世記憶や「コード」ではなく浮遊霊に憑依された可能性があります

3.フィクションなど一般に浸透している姿でイメージされる

〔例〕
・源義経として、「牛若丸」の童子の姿で橋の上に立っていた
・聖徳太子と名乗り、十人の話を同時に聴いていた 
・諸葛コウメイと名乗り羽扇を振り回していた(笑) 等々

4.日常の具体的なシーンを一切記憶していない

特に大事!

5.「前世」の自分の欠点について一切思い出さない

一番大事です!!


これらの項目のうち、どれか一つでも当てはまったら「空想」または「コード」の疑いが濃厚です。

詳しく解説します。

1~2: まず、名前が強いインパクトを持つということは、本物の前世記憶ならあり得ません。魂にとって地上の名前は全く重要ではないからです。
今世で前世記憶を思い出す目的は、その人生の経験を再び感じることです。したがって、その人生で「何があったか」「何をしたか」ということと、その際の感情を味わうことこそ重要になります。ですから名前などより圧倒で先に当時の感情を味わうことになるでしょう。

もし名前を思い出さなければならない事情があるとしても(そんな事情は滅多にないと思いますが)、転生すると言語記憶を持ち越すことはできないため、当時の名を音として思い出すことは困難です。前世が近代なら稀に言語記憶を持ち越していることもありますが、その場合も外国語名だったりしますから、覚醒時に日本語で発音することは難しいはずです。

外国人や古代人であるのに、現代日本語で当時の名を呼んだり呼ばれたりする場合は、やはり「個人としての前世記憶ではなく空想・コードである」と言って良いと思います。たとえ名を思い出したとしてもそれだけで前世記憶が否定されるわけではありませんが、さすがに古代人や外国人なのに現代日本語でしか発音できない場合は違うでしょう。

【ちなみに】 私は前世の自分の名を記憶していません。覚えているシーンや経緯から現実記録を探しているだけの者です。
私が名前から先に思い出して(あるいは思い出したと錯覚し)、その気になっているだけだと考えている人は多いのですが、これは小説や当ブログを読めば第一に分かるはずのこと。


3: 当然ながら前世記憶は本人視点の現実シーンのみですから、フィクションのイメージで見ることはあり得ません。脳内の知識情報が空想として混ざることはあるでしょうが、その場合も本人視点の現実的な(地味な)イメージがベースとなっています。


4: 転生を経ると肉体の記憶が持ち越せないようです。
 関連記事『何故、前世記憶では肉体に関する習慣はカットされるのか 2
食事など生理的なシーンを覚えていないのは当然です。ただ、いつも自分が行っていた仕事など、日常の場面なら思い出して然るべきと思います。(細かいシーンを一切思い出さなかった人の記憶でも、前世記憶には何らかの地味な現実性があります)
再確認してください。前世記憶は、有名人としての名を背負うために思い出すわけではなく自分の人生を感じるために思い出すものです。現実的なシーンを一切思い出さないなら、思い出すこと自体に全く意味がありません。つまりそれは自分の記憶ではなく誇大なイメージに過ぎないわけです。


4~5: 欠点のない人は存在しません。そして未来から過去を振り返ると、欠点ほどフォーカスされて思い出されるものです。
これは現世でも同じ。十年以上経ってから過去の人生を振り返ると、自分で自分の欠点がよく見えますよね?
特に前世記憶では、自己の欠点を思い出して反省することが重要になります。このため、欠点や嫌な経験こそ強く思い出されイメージが迫ってきます。だから前世記憶を思い出すと、いたたまれず穴があったら入りたい想いになるわけです。

また、どのような有名人でセレブと呼ばれる人たちでも、人間個人の日常は地味です。このため、自分の日常は小さく地味なイメージとして浮かぶはずです。
ところが「妄想」や「コード」では欠点や、地味な個人としての生活がイメージされません。もともと他人視点でその人物に憧れを抱いているからです。良い評価や、きらびやかで派手なイメージばかり浮かぶので、今現在の日常から逃避するためにその派手なイメージに中毒してしまう人が多いようです。


いかがでしたでしょうか。
ご自分の「前世記憶」はどうでしたか?

このチェック項目は、他人について判断するときでも役立つと思います。
「我は〇〇の生まれ変わりなり!」
と前面に押し出し(サイトトップなど目立つ所で「生まれ変わり」を名乗る、選挙にその名で出馬する、宗教法人の教祖となってその名を宣伝に使う等。自分の現在の名はほとんど使用しない)、その名を権威として振りかざし偉そうに振る舞っている人がいたら、その人の話が上の項目に当てはまらないかチェックしてください。たいてい当てはまるはずです。

私は、自分だけは正当だと言うためにこの項目を掲げるものではありません。
ただ体験者として「名前がインパクトを持ち前面に出てくる場合は、前世記憶ではない」ということを強く申し上げておきたいのです。

名前に騙されないこと、そして差別しないこと

「コード」と思われる有名人の前世イメージを持つ方が、二回目に有名な名を夢で告げられた時に仰った言葉が印象的でした。

「まさか二回も過去に有名人だったことはあり得ないと思うので、この記憶は間違いだと思います。悪い霊にそそのかされたミスリードです」

何故、回数が根拠になるのでしょうか?
有名になる人生の回数に上限はあるのでしょうかね。
いったい誰が決めた法律なんですか? 

人によっては、たった一回であろうと
「有名人だった前世なんて絶対にあり得ない」
と仰います。
“絶対にあり得ない”と仰る根拠が、ただ有名だというだけとは。(あるいは貴族だから違うとか)
謎の思考回路ですねえ。
それを言うなら今現在の有名人や、名家出身の人は自分の存在を否定しなければならなくなります。

いつの時代にも必ず有名人や貴族は存在したはずなのに、その人たちの記憶を「絶対にあり得ない」と全否定するのは理屈が通りません。
「前世で有名人や貴族だった人は絶対に存在しない」
と言い切ることは、「有名人や貴族はこの世に一瞬たりとも存在してはならない」、ということになります。
それは完全なる差別、殺人に等しい人間存在の否定です。
身なりや肌の色で人を差別することと同じ。

そもそも名前だけに基準を置く人は本性では差別心の強い人なのだと思います。
そのような人はいずれ必ず詐欺師に騙されます。差別心があるからこそ、差別心を逆手に取られ詐欺師に騙されるわけです。
また、そのような人ほど自分が前世で有名人だったという空想に中毒しやすいとも言えます。名前という表面的なことに注目しているからこそ、名前がインパクトを持つ空想に囚われやすいのではないでしょうか。

何度も書くように、全ての魂の価値は対等でフラットです。

人の心を衣服で決めてはならないのと同じく、人の価値を名前で決めてはなりません。
前世記憶も名前ではなく、内容という本質を見るべきものです。
衣服にも、肌の色にも、名前にも囚われることなく、本質で判断してください。

有名か無名かと言うことは、その時々の人生計画の違い、水や空気の温度と同じような「状態」でしかありません。
同じ物でも冷たい時は個体になり、温かい時は気体になるのと同じで、「状態」は時々によって変わります。
「水の過去が、まさか氷であるはずがない!」と言う人がいたらその愚かさが分かるでしょう。
眺めるべきは見かけ上の状態ではなくて、本質(たとえば水だったらH2O)なのです。

私は、全ての魂が少なくとも一回は地上で有名となる人生を送るはずだと考えています。
何故なら、有名になって人の目にさらされるという経験も、魂にとって必須カリキュラムであると思うからです。
その時にもし課題をクリアできなかったら、再び有名人になる人生を繰り返すことにもなるはず。
だから回数ではないのです。
まして、うっかり有名になったからといってその人生を完全否定、抹消される理由もないでしょう。

有名だったかもしれない過去世記憶を持つ人は、名前ではなく内容という本質で判断して過去を受け入れるようにしてください。

もし、名前しか思い出さず具体的な記憶がないなら、それは空想または「コード」です。囚われないようにしてください。空想に溺れ過ぎると身を亡ぼすことがあり、危険です。
ただ、夢から醒めた後も、せっかく縁を持った人物なのですから現実の歴史を学習してくと良いと思います。リアルな人物を学ぶことは、文学と同じように人生について学ぶ良い機会となるはずです。


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