わる胃

胃の中見たことあります?


私は先日初めて自分の胃の中を見た。それはもうまじまじと見た。
まじまじと見たのだが、実を言うとどんなだったかあまり覚えていない。


検査の前のことはよく覚えている。
まず消泡剤を飲んで、数十分時間を置く。
そのあとゼリーみたいな麻酔を鼻からすすり、鼻腔を広げる管をしばらく通しておく。
麻酔が効いてから、別の部屋に移動する。ここからが検査の、いわば本番である。

経鼻内視鏡という、鉛筆くらいの太さの管を鼻から通す。そいつで食道、胃、十二指腸を診たり、小さい異常なら切除することもできるらしい。
経鼻は経口より嘔吐反射が起きにくいので多少楽なのだが、そうはいっても鼻から異物を入れるわけで、噎せたり気持ち悪くなることもなくはない。
そのため希望に応じて事前に鎮静剤を打ってもらうことができる。

私はその鎮静剤を打ってもらったのだが、聞いていたほどぼんやりする感覚はなかった。心拍をモニターするために指先に付けた装置の「ピッ、ピッ」という音が、鎮静剤を打った瞬間から数秒間めちゃくちゃ速くなったので、むしろ「全然鎮静感ないな」と思った。

実際、検査は鎮静剤のおかげなのかそこそこ楽だった。画面もはっきり認識できるので、「今胃壁をつまみ取られたぞ」というのもわかる。
たまに麻酔のきいた喉で唾液を飲み込んでしまってうっかり噎せたりすると、助手さんが「唾液は外出しちゃっていいですよー」と言う。
なるほど、顔の下のタオルはそのためか。

検査が終わってからしばらくベッドで休むように言われる。


さて、そのあと会計するまでいろいろあったはずなのだが、さっぱり覚えていない。びっくりするほど覚えていない。説明を受けたのに、「説明を受けた」という事実以外何も覚えていない資料が手元にある。

あれだけ凝視していた自分の胃の中身も、会計の時点ですでに「なんか肌色みたいな壁がずっと続いてて時々赤くて一部分切られた」くらいの思い出になっている。
めったに見られないものなんだから頑張って目に焼き付けておこうと思い、そしてそれは成功したはずだったのだが、忘れた。

人間に連帯保証人の判を押させるなら、内視鏡検査の後がねらい目である。


父親が昔「鎮静剤打ってから、終わって待合に戻るまでのことを何も覚えていない」と言っていた。
「バードみたいなブレインしてんじゃん」と思ったのだが、鎮静剤を侮っていた。ごめんなお父さん。
でも何も覚えていないまでいくと効きすぎだと思うよお父さん。


不思議なことに、十二指腸入り口の綺麗さだけはよく覚えている。
整然と続く円型の襞があった。つやつやして傷のない、赤っぽい管である。
自分の体の中で唯一セクシーな器官じゃなかろうかと思った。


検査の結果、胃はそこそこ荒れてました。

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