やすめよ

連続して書く
というのも ともだちが「心をやってしまい」少し休んでいる 鉤括弧内は本人の言葉原文ママ 「心をやってしま」っているのだ こころは健康と言い続けてぼろぼろのからだのわたしと似て非なる いや もしかすると 非て似なる 状況なのかもしれない 彼とたくさん話をしている 話をしたい
わたしは当事者研究者 そう 研究者という立場で取り組んでわかったことがたくさんある がん当事者になる前からよく思っていたこと そしてがんになってからもそう思い続けた 当事者意識を持って なんてのは言ってしまえば不可能なのである 当事者以外は当事者じゃないというちょう当たり前のこと
しかしこのブログではそんな矛盾を覚悟で色々書いた 当事者意識は無理だけれど当事者の気持ちにできるだけ ほんとにできるだけ近付いて考えてみるってのはできるはずで 理解できなくても考えれば何かしら生まれるんだと そのきっかけを作れるか デザインできるか そのスタンスで書いた しかし無理だった というか まだ作れていないんだと思う わたしが人に与えるどころか 色んな言葉をくれる人たちがいて その言葉のやさしさを取り零したこともあります 返答に失敗したことも何回もある 当事者と当事者ではない人の間を繋げるのは困難だ とても難しい 痛感した
んで今回またわたしと彼は違う当事者として出会っているのである
でもわたしは「心をやってしま」った当事者ではない 当事者って言葉も難しいが「なんらかの苦労を抱えている人」と熊谷晋一郎が述べていた その定義に当て嵌めればわたしもともだちも当事者だ あくまでそれぞれの苦労の当事者
わたしはがんという病気の当事者なので相手が違う苦労の当事者だと何の役にも立てない 言い方が荒くて申し訳ないが全くわからないのである こころの苦労を抱える人の気持ちが 今のわたしでは わからないのである 当事者ではないのにわかる方法がない みつからない 知らない
けれどもがんを経て自身の苦労に対する打開策をみつけた 彼もわたしのように自身で色々とみつけるのかもしれない ということはわかる 自分の苦労と向き合って打開策を模索していくその過程の葛藤やら面倒臭さやら諸々は近いものがあるのだろうと思う またみつけられないのってのもアリである 何にもしないってのもアリである 苦労に正解なんてものはない そうである
当事者になるのは不可能だが気持ちが多少 わかるかな わからないかな のギリギリあたりまでは近付ける 何のために書いているのか迷い続けている地獄 彼の話を聞くこともわたしの地獄の一部なのである ワカンネー と放ったらかすもんでもない と思っているのだ 違う苦労でワカンネーからこそ無理矢理共有して何それワカンネーよ とやってみたい
これまでサークルで音楽やって遊んだ仲 今時間が合えば彼とスタジオでギター弾いたりも計画している わたしを使ってなんかやってみてくれ やすめ

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「地獄」vol.201〜

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