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アメリカにおけるUFO問題への取り組みの変化(2)

Leslie Kean

レスリー・キーンは、アメリカで最も古い政治的家系の子孫としてニューヨークで育った。彼女の祖父ロバート・ウィンスロップ・キーンは、10期にわたって連邦議会議員を務めた人物である。祖先を辿ると父方には大陸会議のサウスカロライナ州代表だったジョン・キーンが、母方にはマサチューセッツ湾植民地を建設した清教徒のひとりであるジョン・ウィンスロップがいる。中でもキーンは、祖父の曽祖父にあたる奴隷解放論者ウィリアム・ロイド・ギャリソンに触発されたという。叔父のトーマス・キーンはニュージャージー州知事を2期務めた後、9.11委員会の議長に就任している。

キーンはスペンススクールに通い、バード大学に進学した。家族からささやかな仕送りを受け、成人してすぐの数年間は「霊的探求者」として過ごしたという。ニューヨーク州北部にある禅センターの設立に協力した後、コーネル大学鳥類研究所で写真家として働き、1990年代後半に政治犯の取材でビルマ(現ミャンマー)を訪れたのをきっかけに、調査報道の道に入った。その後バークレーのラジオ局KPFAに職を得て、左派系のニュース番組「Flashpoints」でプロデューサー兼司会を務め、冤罪や死刑などの刑事司法に関する問題を扱った。

1999年、パリに住むジャーナリストの友人がキーンに、フランスの退役将官、科学者、宇宙専門家12人による90ページに及ぶ報告書「Les OVNI et la Défense: À Quoi Doit-On Se Préparer?(UFOと防衛:われわれは何に備えるべきなのか?)」を送ってくれた。COMETAと呼ばれるグループに属する著者たちは、厖大な数のUFO情報を関連するレーダーや写真の証拠とともに分析していた。

報告書によれば、軍用機や民間機のパイロットが至近距離で観察した数々の物体は物理法則を無視しているように見え、「ソニックブームなしに容易に超音速に達し」、「周辺のラジオ・電気機器の動作を妨害する電磁効果」を持つと分析されている。目撃情報のほとんどは気象や地上からの原因か証拠の少なさのため判断不能だったが、中には少数ながら、「人工的な知性によって導かれたと思われる、並外れた性能をもつ完全に未知の飛行機械」に関係すると思われるものが含まれていた。COMETAは消去法によって「地球外生命体説」が最も論理的な説明であると結論づけていた。

キーンは1987年に出版された宇宙人による誘拐を描いたカルト的ベストセラー、ホイットリー・ストリーバー『コミュニオン ―異星人遭遇全記録』(邦訳:扶桑社、1994年)を読んだことはあったが、このフランスの調査結果を受け取るまでは、UFOには何となく興味があるという程度だった。

報告書に記された奇妙な事件を知っていくうちにキーンは、世界の悲惨な現実や既成概念の枠を超えた魅惑的な宇宙の一端を垣間見た気がした。
「わたしにとってそれは、人類の果てしない苦しみを超越するものでした。それは地球規模の問題でした。」

ボストン・グローブ紙の「フォーカス」部門の編集者のひとりで、キーンのビルマ(現ミャンマー)に関する記事を高く評価してくれていた人が、UFOに関する記事を共同執筆してみようと言ってくれた。キーンはジャーナリストの同僚とはこの件について話し合わないことに決めていた。同僚たちがこの話題をくだらないと思うことがわかっていたからだ。しかし彼女は、フランスの報告書のデータと結論を見た人なら誰もが自分が他のすべてを捨てた理由を理解してくれると信じていた。

やがて彼女がいかなる皮肉も交えずに客観的に執筆した記事が、COMETAの調査結果の簡潔な要約として2000年5月21日付ボストン・グローブ紙に掲載された。

「でもその後は、もちろんですが、何も起きませんでした」とキーンは言った。「そしてわたしはここから、UFOについて語る者が負うスティグマ(烙印)の力を学んでいくことになったのです」

つづく

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