岸和郎_トスカーナへの旅

建築家・建築設計事務所 ケイ・アソシエイツ主宰  京都大学名誉教授/京都工芸繊維大学名…

岸和郎_トスカーナへの旅

建築家・建築設計事務所 ケイ・アソシエイツ主宰  京都大学名誉教授/京都工芸繊維大学名誉教授  現在は京都芸術大学大学院教授

最近の記事

2019 October, Part 3_Rome

さて、パエストゥムを離れ、ナポリからの電車でローマのテルミニに戻ったのはもう夜遅く。 次の日、まずはカンピドリオの丘に向かいます。 この広場、ミケランジェロの楕円形平面の広場に来たのは1980年代が最後で、それからはご無沙汰していたのですが、2019年に進行中だった中国でのプロジェクト、オフィスビル2棟にレジデンシャルタワー1棟の3棟構成の巨大オフィス・コンプレックスを設計中で、そのうちの最大の建物、15万㎡のオフィスビルの中庭にこのカンピドリオ広場を実物と同じサイズで計画

    • 2019 October, Part 2_Paestum

      フィレンツェからローマに入りました。 次の日から電車でナポリ、そこから先は車でパエストゥムに行くので、ホテルはテルミニのそばに取ったのですが、天気は悪くなり、時間も遅くなったのにもかかわらず、ついつい旧市街に循環バスで出かけてしまいました。 バスから発見した建築。 ローマの遺跡の上にすくなくとも19世紀以前に増築した建築。 これ、確かアンドレア・パラディオが見たローマという本にも出ていたような気がしたのは思い過ごしでしょうか。 ただこの時点で私は進行中のプロジェクトで1

      • 2019 October, Part 1_Firenze

        トスカーナでのワインとの出会いは前回で一応の決着を迎えました。さて、これからは邪念もなく、あらためて建築と出会いたいと考えて、またイタリアに向かいました。 自分にとって重要なのはルネッサンスの建築、それもブルネレスキの建築との出会いが現在の自分の原点となっていてその建築と出会えるフィレンツェ、その上に建築的空間の原点を体験させてくれるものとしてのパンテオン、加えてルネッサンス以降の展開としてのバロック、ベルニーニとボッロミーニの建築があるローマ、この二つが自分にとっての重要

        • 2018 October, Part 2_Firenze

          さて、これからは建築と都市を巡る旅に再び戻る時です。 次の日にはフィレンツェに入ります。 ちょっとファシズム時代の匂いを感じるかのような、モダニズムのフィレンツェ駅。サンタ・マリア・ノヴェッラのすぐ裏なのにこのモダン・デザイン。またあらためてこれでいいのかな、と思ってしまいます。まあ、ローマのテルミニもローマの遺跡のそばであのモダン・デザインですからね。 それは19世紀以降の新しい交通機関、蒸気機関車や汽船、それに自動車などの移動手段の出現が近代という時代に持っていた意味、「

          2018 October, Part 1_Rome_Grosetto

          この旅でトスカーナへの長い旅も一応の終わりを迎えます。 カリフォルニア大学バークレー校の友人の先生に誘われて初めてナパのワイナリー巡り、それもリムジンをチャーターして運転はドライバーに任せてひたすらワインに身を委ねるという経験をし、はじめてワインの魅力を知り、飲むだけでも楽しいんだけれど一度自分でも輸入してみようか、インターネットで見ていると意外に個人で輸入している人も多いことを知ってから何年かが経ち、様々な人たちと出会うなかでナパがトスカーナに変わりました。 実はそれはナ

          2018 October, Part 1_Rome_Grosetto

          2018 March, Part 3_Firenze-3

          次の日、この日は友人が車でフィレンツェまで迎えに来てくれて、誘われてトスカーナのワイナリーを見に行きます。 彼が泊まっていたトスカーナの小さな山上都市に立ち寄り、 そこで出会った、懐かしいフィアット・パンダ。 1985年にチューリッヒからミラノに入り、その初めてのイタリアで、ミラノ駅で借りて、2週間後に同じミラノ駅で返却した途端にパンクしたAVISレンタカーのフィアット・パンダを思い出しました。 でもイタリアではこの1980年代のパンダは現在のイタリアでもたくさん走ってい

          2018 March, Part 3_Firenze-3

          2018 March, Part 3_Firenze-2

          フィレンツェのつづきです。 ところで廊下という空間が発見された後は、その空間はパブリックなインフラ、交通空間として自立して成立しますから、ではこの閨房という空間は無くなったかというと、勿論生き残っています。組織の責任者と会うために通される、その責任者だけしか使えない、その人の執務室前室としての会議室のあり方とか、ホテルのスイートルームから廊下無しで直接繋がる別室とか、形を変えてこうした閨房のような形式、セミ・パブリックという呼び方も正確ではない、むしろパブリックでもなくプラ

          2018 March, Part 3_Firenze-2

          2018 March, Part 3_Firenze-1

          さてポンペイの次の日、再びFrecciarossaで、今度はフィレンツェへ。 この日は昨日のナポリの大雨とは違って、天気が良かった。 ポンテ・ヴェッキオとアルノ川です。 早速、散歩でポンテ・ヴェッキオを向こう岸に渡りながら振り返る。 ポンテ・ヴェッキオ越しに見えるドゥォモ、サンタ・マリア・デル・フィオーレ聖堂。 対岸の街並みといつも行くレストラン。 夜のポンテ・ヴェッキオと夜のドゥォモ。 この風景を見ながらホテルに戻ります。 何度目かの夜のポンテ・ヴェッキオが、少しだ

          2018 March, Part 3_Firenze-1

          2018 March, Part 2_Pompei

          翌日は朝一番の電車でナポリに向かいます。 日本の新幹線のような高速電車でナポリに向かうのですが、そのTreinItaliaのFrecciarossaですね。フェラーリがデザインに絡んだとかいう話を聞きましたが、その車両デザインと色、それに洗面所のプラスティックの壁仕上げの魅力とか、1990年代に初めてAlitaliaでミラノからボローニャに飛んだ時、その濃い緑の色の使い方に感動したことを思い出しました。 そのフライトでは機内食が出たらジョエ・コロンボがデザインしたプラスティ

          2018 March, Part 1_Rome-2

          さて、改めて旅行記に戻ります。 30代で初めてイタリアを訪ねた時には遠く思えていたローマ、場所としてのローマではなくて古代ローマという意味ですが、これまではちゃんと訪ねなかったフォロ・ロマーノや前回のハドリアヌスのヴィッラにドムス・アウレアなど、これまではパンテオンだけを見ていた古代ローマにも徐々に目が向き始めます。そんな訳で今回の目玉はナポリの先、ポンペイに行こうと決めました。 まずは半年ぶりのローマ、今回はポンペイに向かうのでテルミニの近くに宿を取りました。まずはそん

          2018 March, Part 1_Rome-1

          2016年に決心したことがありました。 自分の原点確認としてのイタリアへの旅、それはローマとフィレンツェへの旅だったのですが、それを実際にやって見て2017年のフィレンツェで思ったこと、それはブルネレスキだけではなくてミケランジェロも今ならようやく見に行く自信ができたことでした。これ、ブルネレスキには失礼この上ないことなのですが、ブルネレスキ先生の後ろはこの30年間追っかけてきて、ようやく自信過剰な建築家としての自分だけではなく、同時に制作者としての自分の限界も見えてきたと思

          2017 October, Part3_Firenze-2

          絵に描いたような、誰もが思い描くような、トスカーナのワイナリー。 イメージが貧困で恐縮ですが、ダイアン・レイン主演の2003年の映画、「トスカーナの休日」。あのトスカーナ、ですね。 次回のフィレンツェ、トスカーナのワイナリー巡りに行きませんか、という誘いに乗ってしまうのですが、そのきっかけがここでした。 で、サンジミニアーノに向かいます。 この街はイタリアの典型的な山上都市の一つですが、成功した家族は塔をたてる、しかもなるべく高い塔を建てることが成功の証という伝統のある

          2017 October, Part3_Firenze-2

          2017 October, Part3_Firenze-1

          ローマからフィレンツェへ。 フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅、アルベルティがファサードをデザインしたサンタ・マリア・ノヴェッラの裏側に建つ駅に電車で着きます。 1934年に竣工したジョヴァンニ・ミケルッチ設計の近代建築。 久しぶりのポンテ・ヴェッキオ。 ポンテ・ヴェッキオの店舗のショーウインドー・システム、再び。 来るたびに気になってしようがない。いつか、どこかでこれをやってやろうと改めて決心。 何時もの下町。 今回の目的は実はフィレンツェではなく、30数

          2017 October, Part3_Firenze-1

          2017 October, Part2_Rome

          ベルリンからローマに入ります。 ベルリンも晴れていたのですが、到着したローマ。 フィウミツィーノ空港。 ベルリンは冬の入り口だったのに、ここローマはまだ夏の名残。それにローマの青空はベルリンとはまるで違います。 この時のホテルは「ローマの休日」でグレゴリー・ペックの自宅だった場所の近く。夕暮れになると道路ではレストランが営業を始め、ああ、ローマに来たなあという気分になります。 今、欲しいなあと思っていた車と出会ったり。。。 まずは今回の目的だったドムス・アウレア、最近

          2017 October, Part1_Berlin-2

          Berlinのつづきです。 まず一つは第二次世界大戦時の防空壕_それも工場跡と聞きました_をこれもイギリスのジョン・ポーソンが改装したギャラリーです。真白いミニマルな空間をつくるこの建築家も1990年代はじめに同じ出版社で作品集を出した仲。その頃はお互いに若手の建築家だったのですが、時は流れます。 そのミニマリストである彼が自然光の入らない、人工光しかない場所でどんな空間をつくるか、興味津々で訪れました。 外観はまさに第二次世界大戦の防空壕というか、Bunkerです。それ

          2017 October, Part1_Berlin-2

          2017 October, Part1_Berlin-1

          さて、ベルリンでの賞の審査員を依頼され、久しぶりにベルリンを訪れます。 二日間の賞の審査とセレモニーを終え、自由時間の1日に行くべきところは決まっています。まずはフリードリッヒ・シンケルが設計したアルテス・ムゼウムです。 朝一番、初めて使うスマホ・アプリmy taxiでタクシーを捕まえ午前中の光を受けるアルテス・ムゼウムが現れます。 これまでは午後の光、しかも曇った時しか見たことがなかったのですが、初めて天気のいい午前中の光で見ると、ファサードの奥、列柱の奥の壁面まで光が

          2017 October, Part1_Berlin-1