2011 May, Monterey_San Francisco_Napa

2011年春、何度目かの北カリフォルニアへの旅の出るのですが、今回は1960年代にチャールス・ムーア達、MLTWがデザインしたシーランチ・コンドミニアムに宿泊できることがわかりまずは泊まらなくては、と決めてサンフランシスコから車で北を目指すことにしたのです。
でも、せっかくサンフランシスコに行くのなら好きな街であるモンタレーに寄ろう、あの桟橋のクラムチャウダーを食べに行こう、それにナパまで足を伸ばそうかと考えたところ、友人のUCBの先生、デイナ・バントロックに相談したら、それなら自分たちもナパにワインを試飲して、好きなワインを探しに行く予定にしていたから、一緒に行こうということになりました。

まずはサンフランシスコ空港で車をピックアップして、モンタレーに向かいます。実はこの街の大晦日から新年を迎えるイベントが好きで大晦日の深夜のモンタレーに通ったこともあったのですが、冬の曇り空の厳しく寒いモンタレー湾ではなく、青空と穏やかな海に向かって伸びる桟橋や春の穏やかな日差しのスパニッシュ・コロニアルの街並みも、冬とは異なった優しい表情を見せてくれます。

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モンタレーの自然と街 ― それに勿論クラムチャウダーも ―  を堪能した後、今度は北に向かいます。サンフランシスコを通り過ぎてゴールデンゲートを渡り、さらに北、シーランチを目指します。このシーランチ・コンドミニアムは1970年代に建築の学生だった自分にとって、大好きな建築でした。
当時アメリカの建築界を代表する建築家は二つに分かれていて、一つはホワイト派、これは初期コルビュジェの作品傾向をマニエリスティックに洗練させた作品傾向の建築家たちで、ピーター・アイゼンマン、リチャード・マイヤー、後にポストモダンの代表的な建築家となるマイケル・グレイブス達であり、もう一つはグレイ派、こちらは「建築の複合と対立」という本を出版しモダニズム以降の新しい考え方を主唱していたロバート・ヴェンチューリやアメリカという場所に密着した切妻の納屋や現代の広告のビジュアルや正統的ではないモノ達を積極的に建築のレファレンスとしたチャールス・ムーア達で、ホワイト派が抽象的な建築を目指すのだとすれば、グレイ派は具象的でポップな建築像を目指していたと言ってもいいでしょう。
このシーランチ・コンドミニアムは下見板貼りの切妻の建築の集合系を基本とし、そこに太平洋からの風を受け流すような屋根の集合でこの敷地の環境条件に答えながら、外壁面や住宅内部に導入された「スーパー・グラフィック」と呼ばれる巨大なビジュアルや建物のコーナーにL字型に廻された大きなガラス面による出窓で大胆に外部に開く手法、MLTW、ムーア、リンドン、ターンブル、ウィテイカーという4人の協働体制の建築家とさらにはランドスケープ・デザイナーであるローレンス・ハルプリンとも協働するという設計体制で、1人の個人の建築家の作品ではないという立ち位置も当時の我々にとって、新鮮なものでした。
コルビュジェやミースのような天才的な1人の巨匠だけが建築を設計するのではない何か新しい時代がきたような、自分達にも建築が設計できるのではないか、そんなポジティブな気分を味わせてくれた建築だったのです。

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シーランチに宿泊し、あの場所と環境を堪能した後、サンフランシスコに戻ります。
サンフランシスコの港のそばにギラデリ・スクエアという、元のチョコレート工場の建物をリノベーションした商業建築があります。すぐ近くのある缶詰工場をリノベーションしたキャナリーの方が有名だし、デザインも優れていると思うのですが、このギラデリの一部がホテルにコンバートされているというのを知り、一度泊まってみようと思っていました。

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ここを拠点にして南に海沿いに向かうと、いわゆるフィッシャーマンズ・ウォーフです。成功している商業施設のPier39,その先に旧税関建物のリノベーション、その右側はエンバカルデロ・プラザで広場はハルプリンのデザイン、その奥にジョン・ポートマン設計のハイアット・リージェンシー・ホテル、ホテルで最初にアトリウムを持つホテルとして出来たもの。しかもポートマンはデベロッパー・アーキテクトという新しい職能を見せてくれた建築家です。余談ですが、1970年代に「タワリング・インフェルノ」と言う映画が作られました。これは竣工したばかりの高層ホテル、それがそのオープニングのその日に施工の手抜きから火事を起こし、一夜にして燃え落ちるという映画です。そのホテルを設計した建築家を演じるのがポール・ニューマン、火事を消す役目の消防署長がスティーブ・マックイーンでしたが、その燃え落ちるホテルとしてロケされたのが、このハイアットリージェンシーでした。

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今度はジラデリから逆に北に向かうと、ゴールデンゲート・ブリッジの足元まで散歩できます。

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そんなサンフランシスコからナパに一日の日帰り旅行、デイナに誘われてワイン・フライトと英語で呼ばれる、ワイナリーのテイスティング巡りに出かけます。
この時はスパークリングの白ワイン、ウェディング・キュベに限定したテイスティング・ツアーでした。
ゴールデン・ゲート・ブリッジを渡って北に向かいます。

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そして、ワイナリーに到着。
もうこの写真がいくつめのワイナリーだったか、覚えていません。

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あ、この写真が一番お気に入りのIron Horseですね。実はここ、Iron Horse Wineryでワイン、それもカリフォルニアで飲む白のスパークリングの美味しさに目覚めます。
ソノマの街、ヒールスバーグで昼食。

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フランスのワイナリーのナパの出先も。

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もうこのあたりで酔いも完全に回ってきて、どれが好きなワインだかわからなくなります。
ぼんやりした頭で考えます。なんでここにフランスのシャトーの偽物が建っているのか、わからない。でもそんなに嫌いじゃない。。。
わかった。ナパ、ソノマは大人のディズニーランドか、ユニバーサルスタジオだ、ワインを主題にした巨大なテーマパークなんだ、などと考え始めます。
建築や都市に関わる人間としては、地域全体がワインを主題にしたテーマパークとなっていること、それは本当は唾棄すべき方法論ではないのか、商業が地域開発の主体となるのは当たり前だとしても、ここまで、視覚的にまでフェイクであること。
ところがナパで飲んだくれていると、不思議にそれを否定する気分ではなく、むしろ積極的にそれを肯定するのもいいのではないのか、ディズニーランドで叫び声をあげている子供達と同じ気分になればいいんじゃないのか、と思ったのです。

そんなことを考えながら、今度はゴールデン・ゲートではなく、ベイ・ブリッジの方からサンフランシスコに帰還したのでした。
その大人のテーマパークを楽しむために自分がナパをもう一度訪れることになること、それがさらにトスカーナへと繋がることになろうとは夢にも思っていませんでした。

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