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あの日のジャケ買い後記(楠本まき作品、特に『Kの葬列 愛蔵版』のこと)

 中学生の時だったか、学校と家だけで囲われた世界の狭さを測るように、やみくもに転がり回ってはすぐ壁にぶつかっていた10代の頃。
 近所の本屋へ、今日は漫画を(一冊だけ)買うぞ!と決めて出かけ、延々時間をかけて決して大きいとはいえない漫画コーナーを歩き回り、上から下まで棚を眺め、気になるものを手に取ってはパッケージの上から裏表を確認…というのを繰り返して、子供なりの「最大の吟味によるジャケ買い」をすることがあった。
 そういう出会い方をしたうちの一冊が、楠本まきの『KISSxxxx』だった。

 ジャケ買い、それは背伸びする心の発露である。少女漫画の棚の中で一番渋くて「大人っぽい感じ」の装丁だったから惹かれたのだと思う。
 気まぐれに出会った素晴らしい作品により、自らの退屈な日常に決定的な風穴を開けられてしまうのが思春期だ。

 わくわくしながら開いた『KISSxxxx』の中には、今まで読んだどの漫画とも違う空気が流れていた。子供ながらに、とにかく目に入ってくる絵柄、紙面の「白黒の感じ」が他の漫画と違う(何がどう違うのかはよくわからないけど)、めちゃくちゃおしゃれだなぁ、と思った。こうあらねばとの教科書を持たない、自分の中に正解がある人の絵。これを描いた人は、自分が好きなもののかたちをはっきり知っている。

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・・という当時のことを、十ウン年経って、ふと思い出したのである。いや忘れてたのかよという話だが、それでもある日突然記憶の引き出しが開いて、そういえばあの時〇〇って作品に感動したっけ、どんな彩度の感動だったかなぁと覗き込みたくなることはある。そして、そういう時こそ絶好の「再会のとき」なのだと思う。

 そういうわけで、私は楠本まき作品と無事再会を果たした。まずは『KISSxxxx』を読み返して思い出とともに抱きしめたい気持ちでいっぱいになり、少しずつ他の作品のドアを叩いているところ。最新作『赤白つるばみ』では作者と同時代を生きる幸福感に満たされ、つい先日、『Kの葬列 愛蔵版』を読んだ。こちらは90年代前半の作品の増補版である。


 『Kの葬列』については、読んだ、というより鑑賞した、の方がもっとしっくりくる。コマとストーリーを目で追うのと同じくらいかそれ以上に、ページ全体を眺めて惚れぼれする時間をとらないといけなかった。
 何といっても構図の思いがけなさ。大胆なベタ塗りと、神経のようにか細い線とのコントラストで編まれた一頁一頁をめくりながら、紙面のすみずみまでダイヤモンドの硬さで貫かれた美意識に、胸を打たれる。見開きごとに、うわぁー!って、なる。

 世間と切り離されているかのようにひっそりと佇むアパートメントが舞台だが、この作品が丸ごと、作者が美しいとみなしたものだけが集められ、閉じこめられたアパートの一室みたいだ。
 偏愛するものを、アパートの自室に蒐集するように、誰からも侵害されない場所へ閉じ込めておくこと。あるいは、閉じ込めておきたいという願望。それはここで描かれているテーマの一つでもある。

 アパートの住人たちの、他者からの理解を得がたい何かへの執着(四六時中風呂に入っているとか、アパートを巡回してひたすら謎の物体 “モルクワァラ” を回収しているとか)。生きもののように見えて実際は生きていないもの(”人形”とか”機械仕掛けの猫”とか)を愛玩する行為。これらによって強調される彼らの孤独の輪郭は、わかりやすくいびつである。
 「生きているもの」は、思い通りにならない。誰にも邪魔されずに、それを手に入れ、ガラスケースに入れるようにして大切に手元に置いておきたいと思ったら、そのものは「生きていない必要がある」…。振り切れたエゴにまみれた思考回路がためらいなく描かれる。

”私どきどきしたわ Kが死んじゃったのは悲しいけど でもこれでKをやっと手にいれられるって思うと嬉しくて泣きそうだったわ”

『Kの葬列 愛蔵版』p.154

 
 物語は空の棺が埋葬されるシーンから始まる。愛し、執着するものと一緒に自己隔離を図るような閉鎖性に浸された作品世界で、「埋葬」は象徴的なモチーフである。大切な亡骸をご丁寧に密閉して、さらに土の中へ埋めてしまうのだから。
 読み終えてからパラパラとページを遡り、そうか、作者は「埋葬」への願望を描いただけでなく、うやうやしく土の中へ閉じ込めてしまおうとするもの自体が本当は「空っぽ」かもしれない、というところまで示しているのか、と気づく。中身が空と知りながら棺を閉じ、埋葬の儀を執り行う冒頭の空しいおかしみこそ、本質ではないか。

 やはり楠本まきは自分が最も美しいと思うものをここに閉じ込めたのだと思う。それらが「空っぽ」であることも知りながら。

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 それにしても、久しぶりに紙の本で漫画を買った。
 先述の『KISSxxxx』をジャケ買いした当時、読むものを選ぶのに、より大きい市街地の本屋まで行ってみよ〜とか、どれが良さそうか調べてから買いに行こ〜とかの発想はなかった。それでいて本屋に行く時はいつも、小遣いを握りしめ、この店の中から私の一冊を探し当てるのだ!と張り切っていた。
 タイトルや装丁、手に持った感触、重み、雰囲気。本という「物」が個々にまとうオーラを、いちいち自分へのメッセージとして、いちばん厚かましく、いちばん確かに受け取っていた季節だったと今になって思う。


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