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「手紙」 2年・高田侑真

先週、実家に一通の手紙が届きました。
宛名は、高田侑真
何処か見覚えのある字で書かれていました。
手紙の内容は、10歳の自分から20歳を迎えた自分へ向けたもので、当時の担任の先生が10年後に投函してくれていました。
この手紙を書いた記憶は全くなく、手紙が届いたという連絡を家族から貰った時は驚きました。

手紙には、全国高校サッカー選手権大会に出場しプロサッカー選手になりたい、当時の全国高校サッカー選手権大会に出場していた選手にサッカーを教えてもらって嬉しかったこと、家族への感謝の気持ちなどが書かれていました。

まだどこのサッカーチームに所属もせず水泳クラブに通いながら、いろんなスポーツに打ち込んでいた時期に。

この手紙を読み進めるうちに、自然と自分のこれまでのサッカー人生を振り返っていました。

サッカーを本格的に始めたのはこの手紙を書いた1年後の小学5年生の時、京都の名門京都紫光サッカークラブでサッカー人生がスタートしました。紫光クラブのチームメイト達はエリート選手ばかり。どうせするなら一番強いところでしたいと思い入りましたが、リフティングすらできない僕が当然通用するわけもなく…入団し1ヶ月ほどたったある日、監督がチームメイトよりも少し背が高かったのでゴールキーパーをしてみないか?と言ってくれました。考えてみれば、サッカーを好きになったきっかけは、当時日本代表で主将を務めていた川口能活選手とドイツW杯での当時ドイツ代表で主将を務めていたオリバーカーン選手をテレビで観ながら子供ながらにカッコいいと思ったことでした。偶然その両選手はゴールキーパーだったので、喜んで引き受けました。
ゴールキーパーを始めてから試合にずっと出させてもらっていましたが、僕のせいで負けた試合は何度もありました。涙をこらえながら家に帰ったことも何度もありました。チームのみんなに追いつきたくて、少しでも上手くなりたくて…それでもうまくいかず、こんな辛いことなんてもうしたくない、サッカーを辞めたいと何度も思いました。
時は経ち、小学6年生になるとチームメイトにも恵まれ京都の大会は全て優勝し、全国少年サッカー大会に出場するなど人生で初めての経験や感動をたくさんさせてもらいました。

中学生になり、宇治FCという京都の街クラブに所属しました。宇治FCでは僕の人生を大きく変える3年間を過ごすことができました。その大きな要因に部谷監督、山本ゴールキーパーコーチとの出逢いがあります。山本ゴールキーパーコーチはとても厳しい方でしたが愛情を持って僕を叱り、熱心に指導してくれるので、そんなコーチについていこうと毎日死に物狂いで練習しました。中学3年になるとチームとしては約10年ぶりとなる全国クラブユース選手権にキャプテンとして出場したり、ナショナルゴールキーパーキャンプにも参加することができました。そのキャンプには現在プロとして活躍している同世代の選手も参加しており、彼らと同じ練習をして自分にとって大きな刺激をもらいました。自分の遥か先を走っている同世代の選手達にどうやったら追いつけるんだろうと奥歯を噛みしめ、必死に走り続けました。いつか越えてやる、絶対にいつか越えてやると。
そして、その年の冬、初めて世代別の日本代表に選ばれました。サッカーを始めた時には想像すらしていなかった舞台でした。そこからはワールドカップ予選や、数々の国際試合を経験させていただいたりと、僕のサッカー人生に大きな影響を与えてもらいました。そうした活動の中、日本代表監督の森山監督との出逢いは自身の人生にとって大きなものとなりました。僕のサッカー観、サッカーに対する意識、情熱、その全てをガラッと変えていただきました。練習に対する姿勢や、闘う気持ち、リバウンドメンタリティの部分は今でもサッカーをする上で必ず誰よりも強く持とうと意識しています。
高校は京都の東山高校へ進学し、小さい頃からの夢だった全国高校サッカー選手権大会に出場することを叶えるべく、日々サッカーと向き合いました。1年生から試合に出させてもらったものの、一度も選手権出場の夢は叶いませんでした。たくさんの方々との出逢いのおかげで、新しい価値観、サッカーだけすればいいのではなく「人としての成長することの大切さ」を学びました。

そして大学へ進学し、もう2年が経ちました。

こうして振り返ると、決して自分のこれまで歩んできた道は全て思い通りにいっていたわけではなく、いろんな壁にぶつかってはその度に必死にその壁をどう乗り越えようかと考えてきました。このような経験から共通して言えるのは、ひとつ上のステージにあがる前には必ず試練が訪れるということです。僕は上のステージにいってもやっていけるのかどうかサッカーの神様が自分を試しているんだと思います。

必ず努力が報われるとか、頑張ったら必ず結果が出るとは思いません。けれども、困難に正面から向き合い前に進もうと、もがき、悩んで、苦しんで、何かを変えようと日々試行錯誤を繰り返す、昨日の自分を少しでも越えていこうとしている自分の姿こそが、何よりも価値があり、財産になるものだと思います。

『 思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。』

これは僕が大切にしている言葉であり、人生を歩む上での行動指針です。
物事をどう捉えて、どのような言葉で発信し、どのような形で自らに落とし込み、そこから考え出したものを基に日常を変え、自分に新しい風を吹き込ませ好循環を生ませることができるか。このことの大切さを知り、サッカーで身をもって体感しました。

そして最後に、10歳の自分へ。
小学生の頃の手紙を書いてる自分は順風満帆の人生を期待していたのかもしれません。
サッカーを始めてからはたくさん辛いことを経験して、正直なんでサッカーなんてしているんだろうって思ったことは何度もありました。
もうすぐ20歳を迎える自分の現状はやっぱり嬉しいことよりも悔しくて、辛いことの方が多い人生で嫌になることもあるけど、その度に立ち上がって、自分を奮い立たせて、前を向いて、少しでも進もうとしている自分を今は少し誇らしくも思えます。
サッカーに出会えて本当によかった、今は心からそう思えます。
だからこれからもたくさんの方々に支えられ築いてきたこの道を、毎日ひたむきに走り続けようと思います。自分を創ってくれたサッカーと共に。


高田 侑真(たかだ ゆうま)
学年:2年
学部:スポーツ科学部
経歴:宇治FC(京都市立加茂川中学校)→東山高校

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