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「俺にとってア式とは」 4年・天田光紀

気が付けば、本気でサッカーと向き合えるのもあと1週間になっていた。

思い起こせば、生活の中心にはいつもサッカーがあり・・・


な~んて
最後の部員ブログを書かせて頂くこのタイミングで、自分のサッカー人生を振り返ってはみたものの

なんだろう。

正直いまいち。
際立った経歴もなくパンチにも欠けるし、みんなとも文章似ちゃうしな~。
何を書こうかな~。

と迷っていた時に、
マネージャーのやし君(マネージャー兼学連 2年・林隆生)に
「選手・学連・就活・教育実習など、、、あんまり人がやらない経験をたくさんしてきていると思うので、あま君の価値観とか考え方について書いたらいいと思います」

なんて言ってもらったので、

早慶戦の時の毎年問われる「俺にとってア式とは」について再考し、
4年間を想起しつつ、今の自分の想いを綴りたいと思う。


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僕は生まれつき真面目な性格だと思っています。その点は変わっていないのかな?
ただ、自分の価値観や考え方は、ア式で過ごしたこの4年間で大きく変化した。

私の人生の目標は
「父を超えること」「祖父のように人から愛される人になること」

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そして、そこに中3の冬にテレビでインカレ決勝早大vs福岡大の試合を見てから
「ア式蹴球部の一員になり、早慶戦に出場すること」という新たな目標が加わった。

そんな目標を達成するためにも、早稲田大学に入学することは避けては通れない問題だった。
でも自分には、スポ推で早稲田に入る実力も一般入試で合格する自信もない。

どうしよう・・・

そんなとき早稲田大学本庄高等学院に出会い、
「サッカー」を使って「付属校からのエスカレーター進学」という自分なりの最短ルートをこじ開け、早稲田大学ア式蹴球部に辿り着くことが出来た。

如何なる時も、私にとって「サッカー」は自分の可能性を広げてくれるものだった。
だからこそ、ここまで続けてこられたのだと思う。

「なんだ、意外といけるじゃん」なんて思ったり、思わなかったり・・・
『意志あるところに道あり』を座右の銘にしていた私は、自分はこれを体現できる人間なんじゃないかなんて思ったりもしていた。

「私は、何としてでも自分の決めた目標を達成できる人間です」
挙句の果てには、自分自身をこんな風に評価していた。
クソ生意気な勘違い野郎だと気付けず・・・

もちろん実際は、そんなはずはなかった。
上手く掻い潜り、目標を達成したような気になっていただけだった。

そんな自分に気付かせてくれたのは、紛れもなくア式蹴球部での時間だった。
ア式は、この大学4年間は「真実の姿を映し出す鏡」だったように思う。

何も思い通りにいかない。本当に苦しかった。
絶対的な差を痛感し、絶望に浸る日々。
自分の情けなさや脆さ、
そして何より、肩書は一丁前だが中身は空っぽだということに気付かされた。
気付いているようで気付けておらず、見て見ぬふりをしていたその事実を目の当たりにし、何度逃げ出したくなったことか。

「なんでここにいるの?」
「ここで何を成し遂げたいの?」
「そのために何が出来るの?存在意義は何?」
「そもそも、どんな人間になりたいの?」
「強み・弱みは何?」
「強みは武器にできているか?」 ・・・

それでも、ア式は様々な「?」を私に投げかけ続けた。

そして、その度に、また醜い自分とにらめっこをしては、思い悩む日々。
そんな時ほど、強がって、他人には実際よりも大きく・強く見られたがる自分に嫌気がさしたりもした。

決して手を抜くとかそういうことではないが、なんだか自分の目標に対して信じきれず半信半疑で、練習場に向かった。なんか身が入っていないような感じだった。

懸命に何も気にしていないようなふりをした。

進んで水くみや準備・片付けなどに取り組み、自分を取り繕うかのように半ば偽善のような活動を続けた。


だが、そんな空虚な日々を送っているうちに、私はふとあることに気付くことが出来た。

「自分が尊敬できる人、応援したい人に“ありがとう”と言われること」が好きなことに。
「組織のために活動すること」が好きなことに。
「自分のために周りを気にせずがめつく成果を残すことが嫌いだ」ということに。
そして、「これが本当の自分なんだ」ということに。


“今の自分を受け入れる”

簡単なようで難しいことだと思う。
それからの自分は、座右の銘とは対照的な

「置かれた場所で咲きなさい」

という言葉を好み、自分にできる最大の行動をとろうと心掛けるようになった。

例えば
僕の可能性を広げ続けてくれた「サッカー」
だけど、プレーヤーとしてこれ以上の可能性を広げることは難しいと感じた自分は「マネジメント」という新たな側面で花を咲かせようとした。それが「学連」だった。

「体育会サッカー部」という一種の閉鎖的空間は、異なる空気感を拒むものだと感じていたが、それ以外の空気感を感じたくて、教育学部にいたこともあり、教職免許を取得する選択をし、「教育実習」という経験もした。

現在のBチームコーチという立場もそうかもしれない。
Iリーグに出し続けてもらい、調子が上がってきたころで怪我をした。
まさかこんなに長い期間離脱するなんて思ってもいなかった。
きっと引退する瞬間も怪我人として迎えることになるだろう。
でも、そんな状況でさえも「これもまた自分」と割り切って受け入れることが出来るようになった。
あの気づきがあったからこそ、怪我人としてBチームコーチを全うしようと思えた。
プレーしている選手が、余計なことを考えず“自分と向き合える”ように、
Aチームにも影響を与えるほどの雰囲気や活気を作り出せるように、
自分なりに取り組んでいるつもりだ。

就活もそう。
ア式での生活で常に自分と向き合い続け、こんな自分に気付けたからこそ納得のいく結果を得られたのだと思う。


ただ、勘違いしてほしくないのは、「目標から逃げた」わけではない。
自分があの日から持ち続けた目標を達成するために、最後までもがいた。
でも、届かなかった。叶わなかった。
ここで言いたいのは、そんな自分を受け入れたということ。

「自分勝手にやっていい」とも違う。
組織に所属する以上、何らかの形でチームに貢献しようとする姿勢を持つ義務があると思う。

「夢を持つな」「理想を追うな」なんて言いたいわけでもない。
むしろ夢や理想がなければ頑張れない。
その心は、いつだって持ち続けていたいと思っている。


ただそれと同じくらい
いや、それ以上に

「現実の自分を見つめ直し、受け入れる事」の大切さ気付くことが出来たということだ。
だからこそ見える「自分らしさ」や「強み」、「弱み」も見つけることが出来た。

自己犠牲してるわけでも、周りからの評価を得るために苦しみながらやっているわけではない。これが自分なりの表現方法だっただけ。
「プレーすること」でチームに貢献している人とやっていることは何ら変わらない。

「サッカーの組織だから、結局尺度はサッカーだろ」なんて考える人もいるが
自分から言わせてもらえば、その物差しは、ほんとにちっぽけな物差しだと思う。

みんな違ってみんないい。十人十色。
そんな言葉があるように
それぞれ異なる“自分”があって“自分らしさ”がある
それを受け入れ、それぞれが表現できる場があることこそ、“ア式”の、ひいては“早稲田”のいいところだと思う。自分は、そんな早稲田大学ア式蹴球部が大好きだ。

こんな“自分”に気付き、新たな価値観に出会えたのは、紛れもなくこのア式のおかげだ。
ア式で活動できて本当に良かったと思っている。
自分らの成長のために厳しい目を向けてくれた先輩方、楽しい時間も苦しい時間も共にした同期、こんな4年についてきてくれた後輩たち、自分達に成長の場を与えてくださったスタッフやOBの方々、どんな時も応援してくれたウルトラス、様々な瞬間を写真に収めてくれた時田さんなど、ア式に関わる全ての方に心の底から感謝している。
1人のサッカープレーヤーとしては、本当にふがいない4年間になったかもしれない。
でも、引退が間近に迫ったいま、後悔は何一つない。
“本当の自分”を見つけることが出来たから。


ただ、まだ1つだけ一生かけて悔やんでも悔やみきれない後悔を残してしまう可能性がある。

それは「降格」だ。

先日の早明戦で王者・明治大学に勝利し、最終節を残して自力残留を決められる立ち位置に自分たちはいるが、厳しい状況に変わりはない。

最終節を聖地・東伏見で行えることは本当に恵まれていると思う。
泣いても笑ってもあと1試合。
厳しい状況だからこそ、それぞれがもう一度“自分”を見つめ直し、自分がこのチームに対して発揮できる120%の貢献をしよう。
チーム一丸となって「歴史的残留」を掴み取ろう。

多くの学びや気付きを与えてくれたア式に恩返しできるのも、
あと1週間、あと1試合しかない。

昨年のブログの最後に書いた
「自分の大学サッカー人生が終わりを迎えるとき、仲間と心の底から笑い合いたい」
を達成するためにも、私にできる最善を尽くし、私なりの“自分らしさ”を最終節で見せる。

ぜひ、ア式での私の集大成と「歴史的残留」の瞬間を東伏見に見に来てください。

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天田 光紀(あまだ こうき)
学年:4年
学部:教育学部
経歴:前橋ジュニアユース(前橋市立第三中学校)→ザスパクサツ群馬U-18(早稲田大学本庄高等学院)

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