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早稲田卒ニート156日目〜くるり、東京〜

横浜の塾の面接を終えて結果の通知が来た。不採用である。ここへ入るために前職を辞めたのに、これで進路は断たれた。今は何も先行きが見えない。お先真っ暗という言葉がピッタリ来る。人生はこうも容易くなければ思い通りにも行かないものか。やはり、「賭け」である。

この塾に入る気満々で、毎日の様に横浜の歌を聞きながらSUUMOで物件を眺める日々送っていた自分が笑えてくる。

(※「横浜」、「横浜リリー」、「YOKOHAMA blues」の3曲を毎日リピートで聞いていた。普段なら嫌う趣向のアーティストだのに。)

面接中の不協和音としてあるとするならば、「どんな先生になりたいか」だったか、それとも「生徒にどうなってほしいか」だったか、とにかくそんな質問に対して、「青年らが自分の動機を持って人生を生きていくこと、すなわち人間的な教育を果たす」という旨の回答をしたところで、どうも私のアンサーが肯定的に受け止められていない様な反応が示されたことである。そのとき一瞬、暗雲の立ち込める気配を感じた。そして向こうからは、「国語という教科はたかだか、いくつもある受験科目の1つでしかなくて、先生たちも、所詮は受験のわずかな部分に過ぎないとわかって教えている」と跳ね返ってきた。

こういう、教育観を問うてくる質問が確か2,3度あり、いずれも「人間的な教育」を根本に据えて、「模倣の価値」や「知や技能の伝達に終わらない対面の価値」などの回答を致したが、その度にやはり怪しい反応には変わりなかった。「合格第一です」や「生徒の喜ぶ顔が見たいです」という様な「模範回答」がよかっただろうか。

ともかく落ちたわけだが、自転車もカバンも盗まれて無一文の生活を強いられたことのショックに比べれば、この落ち込みはそこまで深刻ではない。そんなことよりも反省しなければならないのは、私自身の傲りである。自分が落ちるわけがないという慢心が、確かにあった。足元は、こういう時にこそ掬われてしまうのである。

さて、これで横浜に用は無くなった。こうなったら、向きを変えて東京へ帰ろう。来年の春をメドに東京へ戻る。仕事はそこで探す。

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