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早稲田卒ニート183日目〜独善的観念のアウフヘーベン〜

「先生、そういえば遠藤周作の本買いましたよ」と言われ、「『海と毒薬』、『沈黙』?」と聞くと、「いや、違います。『真昼の悪魔』です」と言う。テキストに遠藤周作の『海と毒薬』が載っていて授業をしたのだが、終わったあとに買ったらしい。授業で扱った文章の出典となっている本や、それ以外に紹介した本を買う生徒なんて滅多にいないのに、それのみならずその他の著作を調べてすぐに買って、しかもこうして報告してくれる。口角が上がりそうになるのを抑えて対応した。ちなみにこの生徒は、小学校6年生である。遠藤周作を扱う授業を受けて面白がり、遠藤周作の著作を買う小6がいるのだと知ると、不思議な思いに捕えられずにはいない。

小学生の授業でこのような反応をもらえるクラスは6年生以外に無いが、全てのクラスにそれを求めるのは傲慢でしかない。それよりも、小学生にも中学生にも、というのはつまり、高校生や浪人生ではなくても私の言葉が確かに届くのだという事実と遭遇できたことに、大袈裟ではなく私の人生そのものを揺さぶるだけの体験があるのである。これは、よもや想像だにしなかったことである。私の根底において欠落し続けていた「他者への信頼」というものを、ようやく改めて回復する端緒となり得よう。そして、何より、自分が如何に独善的だったのかということを噛み締めされられるのである。まあしかしこれでいい。成長はこのようにして、即ち、独善的観念が破壊されることで、かえって現実に基づいた新たな思考を獲得するという「止揚」によってこそ果たされる。現実という土壌の上に砕け散った独善的観念の破片とは、その足元から新たな思考が生成してくる可能性を秘めた種子なのである。

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