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早稲田卒ニート29日目〜「手」を繋ぎ直そう〜

牛タン屋の採用を頂戴した。というわけで近々牛タン屋に勤め、ニートからフリーターへと転身致します。とあるテレビ番組で千鳥が来店して大絶賛した牛タン屋です。ランキング次第では仙台1位の大人気店。



私の1日はほとんど、メルカリに出品しそれが売れ、売れた商品を発送するためにコンビニへ向かう。そのついでにチャリをテキトーに漕ぐ。その連続である。

私の通り道は小学校の通学路なので、小学生の大群の脇を運転することになる。小学生男子は歩行者横断歩道をかけっこのレーンとみなし、信号の切り替わりをかけっこのスタートの号砲だとみなしているので、青に切り替わった瞬間にダッシュをする。負けず嫌いな私はチャリで応戦してスタートダッシュを決め、当然のように彼らよりも先に信号を渡り切る。みっともない大人だ。保護者もこちらを見ている。

そんなとき、警察に声をかけられた。しまった!と思ったら、「ヘルメットお願いしますね〜」であった。ヒヤヒヤさせてくれるぜ。努力義務のヘルメット着用を努力などしようはずもないが、「は〜いすんませ〜ん」とだけ返した。

今日はその「ついで」に、藤崎7階で開催されている北海道展へ出向いた。百貨店の恒例行事だが、私も毎年酒のツマミになる海鮮や、サッポロクラシックを購入するのが常であった。

サッポロクラシック。


私は所謂、「男は黙ってサッポロビール」に該当する男である。

また、赤星が置いてある居酒屋を心から信用する。

サッポロラガー。愛称「赤星」。
メニューにこれがあると歓喜。

ところが今はそんなものを買う金も無い。が、ビアガーデンのバイト面接でここを通りかかった時に、何やら目を引く工藝品の出店があったのを思い出して、今日も立ち寄ってみた。

札幌の工藝家、廣田さん。

美しいペンダントやブローチ、タイピン、カフス、ループタイなどの装身具がある。デザインは梟や馬、バーツール、ギターにヴァイオリンなど、とにかく様々ある。

金が無くても、こういう物はどうしたって看過できない性分だ。工藝品や民藝用品に目が無い。私は「手」を感じる作品に強く惹かれる。規格通り作られた工業品に「手」は感じられないが、工藝品になら確かに「手」を感じられる。そしてそんな工藝品を使用することは、その「手」と私の手とが繋がり合うような共同感覚をもたらしてくれる。物が工場で作られることが当たり前になる前、人と人が繋がっている感覚というのは、こういう何気ない「手」の感覚から醸成され広まっていたのだと思う。工業化以前、「手」によって作られたものを通して私たちは、間接的に手を繋いで生きていたのだ。しかし、近代化よる機械工業化は、繋がれていた我々のその「手」を引き離したのである。身の回りの物から「手」の感覚が消えてしまった。

それによって、である。「人と人の繋がりが希薄になった現代」とか言って、「SNSで繋がりを満たす若者が増えている」だとか、何やら現代では人の繋がりが社会問題になっている。それは、「手」の失われた工業製品に囲まれた暮らしがもたらす必然的帰結ではないか。これだけ「手」の無い生活の中で、人間の共同性を感じながら生きろという方が難しいだろう。とっくに「手」はほどかれているのである。そして、そんな現代の我々に必要なのは、この「手」をもう1度繋ぎ直すことではないか。何も2度と離れないほどに強くでなくてもいい。むしろこれだけ工業化の勢力に攻め込まれた社会あってそれは大変難しいことだ。だけれど、赤ちゃんがお母さんの指を1本キュッと握り締めるくらいの弱い力で、しかし確かな繋がりを与えてくれるあの感触を、どうにかして取り戻すことが必要だ。

(私はプリントを手書きで配ったりすることもあったが、それも「手」の繋がりを求めてのことである。手書きの文字には、私という人間そのものが表れる。決してパソコンが苦手だからというわけでは…、決して…)

(恐らく料理なんかも。私の様に「チェーン店なんかに行くもんか、個人店が好きなんだ」という人が世の中にはいるが、それも「手」の感覚だと思う。そこには確かに、具体的な「作り」の存在がある。チェーン店なんて、誰が作っても同じだ。そんなもの食っても旨くない。)



伊達ちゃんも着用。

「これ、テレビで伊達さんも着けてくれたんですよ〜」と廣田さんが教えてくださった。本物の廣田さんは、一般人とはちょっとオーラが違った。


私は迷いに迷ったが、馬のカフスとシェイカーのタイピンを購入。シェイカーのデザインなんて見たことがない。他にもメジャーカップやカクテルグラスもあった。

馬のカフス。
勝負運が高まる気配がする。
シェイカーのタイピン。
かわいい。

おっといけない、すっかり忘れていた。カフスとタイピンを買ったはいいものの、今の私にスーツを着る機会など皆無であった。相変わらず八兵衛、八兵衛である。

最後に袋を馬のクリップで留めてくださった。こういう心遣いが接客業の肝心なところである。

嬉しいサービス。

恐らく廣田さんのご夫人と思われる方が、「買っていただいたの今日が初めてじゃありませんもんね、前にも買ってくださいましたよね」と言って、感謝の意味を込めて付けて渡してくださったのである。が、私は今日が初めてである。きっと誰かと勘違いなさっているのだろう。

しかしこんな時に、「いえ、初めてですよ」と言ってしまうのは相手の厚意を無碍にするあまりに無粋な返答ってもんだ。ご夫人の差し伸べてくれた厚意の「手」を、私なりに精一杯握り返さなければならない。

「そういえばそうでしたかね。確かに僕はこういう素敵な商品が並んでいる店を見つけるといつもすぐに買ってしまうので、以前もそんなことがあ
ったかもしれませんね」


とギリギリのところでお返し差し上げ、やや足早に店を後にするまでであった。



(※写真の背景は実家の砂壁である。まさか砂壁なんて、最近の人は恐らく見たことがないかもしれない。)



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